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爪の下の  作者: 3986
爪の下の(推敲前)
3/9

「中村さん、下の名前は」


菊花きっか。菊の花って書くの、古くさいでしょ、おばあちゃんみたいで」


そういって笑うと、彼はううん、と言って歩きながらこっちを振り向いた。


「僕が一番好きな花だ、菊って。でも大きいのじゃなくって、そこら辺に咲いてる野菊が好きなんだけど」


私は、へえ、と相槌を打ちながら彼と連れ立って歩いた。


磯貝君は元々の色素が薄いのか、縁なし眼鏡がよく似合う。そして夏の陽に溶けてしまいそうなくらい、髪の毛が薄茶色に見える。日焼けの様子が見えない白い横顔も、背景に続く水田に同化してしまいそうだった。


まだ9時台なのに照りつける太陽はとても暑い。

焼けるアスファルトの上を、くっきりとした影が二本、ゆらりと伸びている。その長さの違いで磯貝君が私よりも頭一つ分くらい高いんだな、と分かった。


経営学のレポートを仕上げるのに必要なものを持ってきていないから、と彼のアパートに行くことになった。

徒歩十分もかからないところに住んでいるのだという彼。


後から思えば付いていかなければよかったのだけれども、午前という明るい時間帯と彼の柔らかな雰囲気に、私はすっかり警戒心をなくしていた。学食での一瞬の強引さが嘘みたいだった。


アパートは二階建てで、同じような青いドアが等間隔に並んでいる。

コンクリの狭い階段を彼の後ろについて上がる。

変哲のない階段なのに、私が履いているサンダルの網になった部分がキュキュッと足の甲に当たって、今までになく気になった。


彼に招き入れられた部屋はこざっぱりしていて、背の高いスチールラック二つに本がぎっしり詰まっている以外はこれといって特徴のない部屋だった。

本棚には小難しそうな本だけでなく小説や漫画も混ざっていて、なんだかホッとした。


壁際にローテーブルと一人がけのソファが置いてあって、部屋の真ん中がぽっかり空いている。多分ここで寝ていたんだろうな、と推測できるような空間。

変わっているのはシャッターが閉まりっぱなしだということくらい。


「窓、開けないんだね」


適当に荷物置いて、と言われ、鞄を入り口端の方に置きながらそう聞くと


「ここ、東向きなんだよね、夏は暑いから洗濯干す時しか開けないんだ」


彼は壁際のローテーブルを部屋の真ん中に移動させた。


そしてお茶入れてくるから先に始めてて、と言い残してキッチンに消えていった。

初めてきた部屋に一人残されて少し心細くなったけど、キッチンからはカチャカチャと音がする。


その音を頼りに、私は鞄からレポート用紙と参考書を取り出した。


机の上にそれを並べていると、キッチンからひょいと顔を出した彼が、


「ねえ、中村さんはハーブティー飲める?」


「うん、どんなの?」


「ローズヒップ」


「大丈夫、飲めるよ」


そう、良かった、と言ってあちらへ戻って行く。

私はそれを見送って、参考書の続きに目を落とした。

相変わらず心細さは残っていたけど、気にしすぎるのはおかしい、と思い込んだ。

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