8.聖女なんていない
聖女である私の意識を失わせるなんて、なにしたんだあの男。
目が覚めてそう思ったのはそれ。私がいたのは見覚えのない部屋。
「……ラナは、無事かな」
殺されたりはしてないと思うけど。まさかアンセルも王宮で人殺しをしたりはしないと思う。
まあ、王宮で聖女を攫うなんてのもどうかしてるんだけどね。あはは。
笑えない。
豪華絢爛と呼ぶべきベッドから立ち上がって扉に手をかける。だけど私が開ける前に扉が開いた。
「ああ、起きたのか」
「……アンセル様、ラナはどうしたのですか」
「起きて最初がそれか」
不機嫌そうに眉を寄せるアンセルに私は余裕たっぷりに微笑む。
辛いときほど笑いなさい。
これも私の幸せのための道なら私は笑ってみせる。
「私が欲しいのはそなただけ。他の者に手はかけておらぬ。……だが、そこまでそなたがあの女を気にするならば殺しておけばよかったな」
殺してはいないらしい。よかった。
ホッと一息をつく。
さて、あとはこの部屋から出なくちゃ。
オズを幸せに……あぁ、思い出した。
オズを幸せにしたかった。けど、それは私のため。
それなのに、オズは私に惹かれ始めてる。
その気持ちに気付かないほど初心ではないし、勘もいい方だ。
十三歳で、幼い頃に母親が死んで、周りは敵だらけで、現れた人形めいた周りを幸せにする麗しい聖女様は自分に心を砕いてくれる。そんな聖女様に惹かれるのは当然といえば当然。
私はオズを幸せにしたら消えるのに。
だけどそれなら、と思う私がいる。
最低、私。だけど私が幸せになれるなら、それでもいいって思うの。
どうせ十三歳。私が消えたらすぐに聖女なんて存在忘れる。
どちらにせよ、それもこの部屋から出てからだけど。
「私を閉じ込めてどうしたいのですか、アンセル様」
「そなたを愛してる」
即答したアンセルをただ黙って見つめる。馬鹿じゃないの、っていう冷めた目で。
「……私はあなたを愛しません。あなたを愛する人は他にいます」
「それでも私はそなたを愛してる」
「それで、なにが望みなんですか? 私を組み敷くのですか? そんなことをしてなにになると?」
無償の愛なんてものは存在しないことを私は知ってる。この世には見返りを求める愛しかないから。
私がアンセルを好きになる可能性なんてない。たとえアンセルがアントワーヌと離婚してたとしても、私は絶対に好きにならない。
「人を蔑ろにする人など、私は好きになりません」
「……それでも、私はいいのだ。そなたを手元に置きたい」
なるほど。愛玩か。
「私はこの世界に人を幸せにするために来ました。私を解放して」
「嫌だ。そなたを愛しているのだ。私だけを幸せにしてくれ。そうすれば私は王の座などいらぬ。そなたさえいれば」
「馬鹿じゃないの」
自分でも驚くくらい低い声が出た。
王の座、とやらでオズは不幸になってるのに。
兄と義母に虐げられたオズのことなど見ずに聖女に縋るの? 自分の奥さんがいるのに、救いだからと聖女を愛す? 愛されてるのに。
自己中心的な考え。聖女が欲しいなら聖女を壊してあげる。
「聖女はあなたがいても幸せになれない。自分の女を大切になんてしない男なんて大嫌い。私を愛するって、見た目が美しいからでしょ? 気持ち悪い」
「私の想いをそなたが否定するなッッ!」
私の言葉を遮るように、アンセルは私の頬を思いっきり叩いた。
その反動で床に倒れる。頬に手を当てると、じんじんとそこは熱を持ってる。痛みはそんなにないけど、これ私が聖女じゃなかったら絶対腫れてる。
「っ、そうやって、最後は暴力なんて最低」
「……っ、私の聖女はご乱心のようだ。落ち着くまでこの部屋に滞在するといい」
「ちょっと!」
アンセルはそう言うと無理矢理私を部屋に押し込んで、ガチャッと扉に鍵をかけた。
あぁ、最悪だ。どうしよう。
このまま監禁されるの?
アントワーヌがこの状態に気づいて、アンセルに詰め寄ってくれればいいんだけどなぁ。
彼女、アンセルには絶対服従みたいだったから無理かもしれない。
じゃあ、オズ? もしかしたらオズは私がアンセルに監禁されてることに勘付いてくれるかも。
でも、なんだかんだでオズは兄上には逆らわないようにしてるし、無理かも。私を好きになりかかってたとしても、そんな危ない道は渡らないと思う。
……助かるすべ、なしなの?
オズのこと幸せにしなくちゃいけないのに。オズを幸せにしなくちゃ、私は幸せになれない。
間接的にオズのことを幸せにする方法がないわけじゃない。うまくアンセルを動かして、アンセルにオズを幸せにするように動いてもらえればいい。
だけど、それをしないのは私の弱さ。
婚姻している男を誑かすような女になりたくない。
ただそれだけ。
「……なんか、もう、つかれた」
何度回しても鍵のかかった扉は開かない。
諦めてベッドに横になる。
すこし、やすもう。
目を閉じて、私はゆっくりと意識を手放した。