5 そんな大げさな
「あらぁ、可愛い顔してるじゃないのぉ。アタシはジリアン。あなた、お名前は?」
「ナ、ナガレです」
はっきり言って、ほとんど言葉は耳に入ってきていなかった。目の前にいる気色悪い不思議生命体について思考が追いついていない。それでも何とか返事をした。
いや、オカマが苦手だとかではない。目の前のこれが常軌を逸してただけだ。
「変わった名前ねぇ……東方じゃそんな名前もあったかしら。まあいいわ」
「それで、何の用ですか」
「もう、せっかちさんね! ちょっとはレディとの会話を楽しみなさいよ」
もうすでにナガレは疲れてきた。さっきの傭兵騒ぎで疲れてはいたが、ジリアンの相手はその何倍も疲れる。それに、レディとの会話ならアシュリーでこと足りてる。
「ふふん、フォロッドの英雄さんとお話しをしたかったの」
「そんな大げさな」
「あらあら、この街で傭兵に面向かって何か言えるのは商人かシャル・ハールディンくらいよ」
ハールディン、というのはシャルの名字ラストネームのことだろうか。どうやら有名人らしい。シャルはかつてここで暮らしていたというから、知られていてもおかしくはない。
「シャル・ハールディンをご存知かしらん? この国を二度も救った英雄さんよ。名高き【ローデルの英雄】。その響きでアタシったら……あらやだっ!」
頬を抑えて再びくねくねするジリアン。アタシったら何なのだろう。もうどうにでもなれという感じだ。
しかし、シャルが英雄というのは、何のなく納得がいった。そんな雰囲気はある。面倒見のよさを考えれば、彼が慕われるであろう理由はわかる。元軍人であるとも言っていたし、何ら不思議でもない。
「ええと、すみません。俺はあんまりこの国のことを知らなくて」
「そうなの? それであれだけの啖呵が切れるのかしら。それは英雄の資質よ。大切にしなさいな」
「あ、ありがとうございます……?」
「よろしい! それに」
ジリアンはナガレの背後を見た。ナガレが振り返ると、シャルとアシュリーがこちらの様子を見ていた。シャルの視線は険しい。それに気づいてて無視してるのか、あるいは気づいてないのか、ジリアンは無反応だ。
「素敵なお友達がいるみたいね。特にあの女の子。美しいわ……」
うっとりとするような声音。確かにアシュリーは綺麗だ。垢抜けない部分はあるけれども、絶世の美人という言葉が相応しいだろう。
「嫉妬するくらいにね」
その言葉に。
ナガレは背筋に何かが走ったような気がした。それはまるで、底のない沼に片足を突っ込んだような感覚だ。
こいつは何者だ。どこのどいつだ。職業は何だ。どこの出身だ。
そんな疑問ばかりが頭の中を巡る。口に出して問わなければならないのに。
「それじゃ、またね」
聞きたいことは山ほどあったのに、問う暇も与えないで去っていく。それがジリアンの策略なのか、あるいは天然なのかはわからない。
言い知れない恐怖と、吐き気がするほどの悪意を垣間見た。冷や汗が一気に溢れ出す。
「また……?」
不安ばかりが、募っていく。
☆★
「おい、あのオカマは何だ」
シャルが呆れた声で言った。その言葉は尤もである。ナガレも知りたい。
その問いに答えたのはティリーだった。
「どっかから来た商人だよ。いまは宿に商隊を留めてるはず。エレアドールの周りの街を回ってるみたいだ。何商会って言ったかな……ああ、マクドネル商会だ」
「マクドネル商会?」
ティリーの出した名前に反応を示したのはアシュリーだ。
「マクドネル商会と言えば、テオドーラを中心に展開している商会の名前ですね」
「俺はそっちの方面はわからないからな」
シャルがなるほどと頷く。テオドーラと言えば、インフェルシアと戦争があったという国だったはずである。そうならば、構造としては非常に単純なものになるだろう。
「ってことは、テオドーラとかいう国の諜報員がこの街に入り込んでるってことか? それを商会が援助している?」
「商会そのものが国によって動いているという可能性もある。商会に何か依頼があったのか、あるいは商会は隠れ蓑なのかもな……。いや、テオドーラだけを疑うのもよくない。もしかしたら、商会が私兵を使って、独断で何かしようとしている……?」
ナガレの推測をシャルが補足した。確かに諜報員であると断定するのは難しいだろう。商会が独自に教育した私兵を傭兵という形で潜り込ませた。そういう可能性もある。
そして思ったのは、シャルの頭の回転の早さだ。さすがは元軍人、と言ったところだろう。
そんなシャルの腕を、アシュリーが掴んだ。顔は沈んでいて、元気がない。
「シャル……」
「大丈夫だ。これを最後にする」
そう言ってシャルは立ち上がった。その気配に並々ならぬものを感じた。何をしようとしているのかもわかる。
ティリーもそれを察したのか、不安げな顔でシャルを見上げていた。ナガレもまた、シャルを呼び止める。
「確信も持てないまま、何をしようって言うんだ?」
「……何、いくつか質問するだけだ。過去を隠すのも性分じゃない」
にかっと笑うシャルは、ナガレの目にはとても危ういものに見えた。
やはりだ。何かが足りない。この違和感はどこから出てくるのか。
「……私も行きます」
アシュリーもまた立ち上がろうとする。だがシャルはその肩を掴んで、強引に座らせた。
「だめだ」
「でも!」
「アシュリー、お前はダメだ。お前が来たら問題になる」
その言葉の意味は理解できない。だがアシュリーにまつわる重要な問題があるのだということは、ナガレも薄々察している。
「念のためだ。ここにいてくれ。すぐに戻る」
「……わかりました」
アシュリーは渋々といった様子でそう言った。
そして、その代わりにと言う風に、ナガレが立ち上がる。
柄じゃないこともわかっている。めんどくさいし、すっごく眠い。
でも、気になるものは気になるのだ。
「俺が行こう」
「……わかった。危なくなったら隠れろよ」
そう言って、互いに頷いて、八百屋を出る。
不安をその足取りに乗せて。
☆★
二人はまっすぐ、マグドネル商会が使っていると思われる宿へと向かった。そこは街の入り口付近であり、ナガレたちが通ってきた場所でもある。
「いない?」
しかしそこにはもう商隊が使っていたと思われる馬車はなかった。不思議に思ったシャルが宿に入って話しを聞きにいったが、結果は空振りだった。
「ああ、おかしいな。マグドネル商会は、今日は使ってないらしい」
「ということは、ここにあった馬車は他の商隊のもの?」
「確かに商隊の中継地点としては最適だからな、フォロッドは。他の商隊というのもあり得なくはない。テオドーラとの国交が正常になるまでは大して使われなかったが……するとどうなるんだ? まさかあのオカマは一人で旅をする物好きなのか?」
シャルが頭を巡らせる。何かが足りない。大切なことを忘れているような感覚。
「……聞いていいか、シャル?」
「何だ?」
シャルは気怠そうに答える。
「アシュリーは……俺の予想だが、貴族なのか?」
ヒントは多くあった。元軍人であり、性を偽っていたということから想像ができた。
シャルの眼光が鋭くなる。だがそれは敵意ではなく、見定めるような視線だった。
「ああ、そうだ。正しく言えば元王太子アレックス・L・インフェルシア。王位継承権を妹に譲ったあとは臣籍に下って外交官長を務めた。そして今は、ただのアシュリーだ」
でかい名前が出たな、とナガレはたじろぐ。元王太子などという肩書きを持つ人間をこんな間近で見ていたなんて。
「話してよかったのか?」
「悪いことできないだろ、お前は。それに、いまは少しでも頭が欲しい」
シャルはそう言う。それは信頼してもらえたといことなのだろうか。
いや、今はそんなことよりも優先しなければならないことがある。
「これはあくまで推測だが……まずやつらの目的はわからない」
「…………」
シャルは黙って耳を傾ける。それは無言の促しであると判断して、話しを続ける。
「シャルとアシュリーを探していた。二人がフォロッドに来ること、それがいつなのかもわかってた。都合良くやってきた二人に刺激を与えようとした……ってのはどうだ?」
「刺激?」
「言い方変えると、ちょっかい」
「ちょっかい!?」
「要するに、二人の反応を見てみたかったんだよ。国の要人二人がこれからどういう風に動くのか……ううん、弱いか」
「そうでもない。良い線はいってるはずだ。少なくとも何かの布石なんだろうな」
シャルはそう言って、ナガレの頭をぽんと叩く。まるで兄のようなその動作に、彼が慕われる理由を見た気がした。
そして、二人は八百屋に戻る。
しかしそこには誰もいない。争った形跡はないが、足跡がいくつも残ってる。
温かい空間がまるごと持って行かれたかのような、そんな感覚。
空には暗い雲が、低く漂っていた。




