2 リア充かよ!
硬いベッドの感触と鳥のさえずりに、ナガレの意識は浮かび上がった。どちらか片方だけならば自分の睡眠を妨げられることはないのだが、二つ合わされば目も覚ますというもの。何より、自分は空腹のために動けずにいたのだからそろそろ起きて食事をしなければならないと思った。
しかし、ではどうして自分は硬いベッドの上にいるのかと考える。
見上げれば木の板で作られた天井。まったく知らない景色に驚き、同時に誰かの家であることがわかった。そこでようやく、ナガレはシャルとアシュリーという二人の男女に連れられていったことを思い出した。
二人が悪い人たちではないのはわかっているが、見ず知らずの人に世話になった自分の不甲斐なさに呆れてしまった。もしかするとまた一日寝てしまったようにも思える。
日付を確認しようにも、カレンダーはなく、あったとしても異世界の暦が自分の知っているものと同じなのかとも考えると、途方もない虚無感に襲われた。
「観光客気分ってわけにもいかないか……」
そう言って身体を起こそうとするものの、力が入らず再び倒れる。硬いベッドに背中を打ち付け、顔をゆがめる。この痛みがここにいることが現実であるという証明でもあった。
「おう、目が覚めたか」
扉を開けて入ってきたのは、茶髪の男。名前は確かシャルと言っただろうか。改めて見ると馴染みやすい雰囲気のする男で、頼りがいのある兄を思わせた。
「シャル……だったか」
「記憶はあるみたいだな」
そう言ってシャルは、前のときと同じようにテキパキとナガレの身体を検診し、「待ってろ」と言うと再び扉から出て行った。わけもわからないままナガレは部屋を見渡す。客室のようであるが、少し埃っぽい。数日間掃除をサボっていたのか。
自分を回収したとき、森の中にいたのだから二人はどこか遠くから帰ってきたのかもしれないと結論づけ、ナガレはシャルを待った。
入ってきたシャルは大きな鍋を持ってきた。湯気が立ってるそれの中身は何かを煮詰めたもののようで、ナガレの空腹を気遣ってのものだと理解した。空腹時は消化に良い食事をしなければ、胃が食事を受け付けなくなり、吐き出した挙げ句死に至る可能性もあるのだ。
シャルの後ろには、ナガレの記憶違いでなければアシュリーという名の少女がいた。お碗とスプーンを三つずつ手に持っていることから、ここで共に食事をしようと言うのだろう。
小さなテーブルを引っ張ってきたシャルはその上に鍋を置き、アシュリーから受け取ったお椀に注いで行く。それを持って少し黙考したシャルは、ナガレにお椀を差し出す。
「自分で食えるか?」
「……何とか」
そう言ってナガレはお椀を受け取った。中身はポリッジを思わせるもので、薬味だと思われる緑が飾られていた。それは熱くはあったが腹が空いて仕方のないため我慢することもできず、「いただきます」と言ってからスプーンで掬って口に運んだ。
最初は弱々しく運んでいたのだが、食事が進むにつれナガレの食べる勢いは早くなっていった。それを見た男女は微笑ましいものを見る目をしていたが、ナガレはお構いなしに食べ進めた。
食べ終わる頃にはナガレは元気を取り戻し、体温も上がったからか顔に赤みが差した。ふぅと息を吐いたナガレは改めて二人を見た。
「美味かった。有難う」
「おう。困ってるやつを助けるのが薬師だからな」
シャルがそう言うと、アシュリーもまたホッとしたように笑う。ナガレは二人を見ていて、何となく間にある関係を察した。
最初は兄妹かとも思ったのだが、二人はあまりにも似ていない。もちろん世の中には似ていない兄弟もいるのだろうが、二人の間には血の繋がりを感じることはなかった。その代わりにあったのはどこかぎこちないながらも、互いを信じ合っているように思えた。
まるで――できたばかりのカップルのように。
「リア充かよ」
「え?」
「いや、こっちの話」
思わずもらしてしまった本音に、ナガレは恥ずかしかった。嫉妬するばかりか、伝わらない言葉で二人を表するなど、恥ずべきことである。
恐らく二人は、旅の医者か何かなのだろう。薬師と言うのはきっと医者と同じだと考えて良い。薬を処方する者と言う意味ではこの二つは変わらない。きっと旅先でシャルがアシュリーを見つけて……というラブロマンスがあるだろうことをナガレは想像した。この家もシャルの所有物であるだろう。
「あー悪いな。すっかり世話になったみたいで」
二人でいることも邪魔してしまった
「気にすんな……とはとても言えん。あんなところで食い物もなしにいるのは感心しねえな。お前、あそこで何をしてた?」
シャルの言葉に、ナガレは返事を窮した。光珠――並行して存在する世界を繋ぎ止めるために存在するそれを集めなくてはならないということを、果たしてこの世界の人間に説明していいものかと考えたのだ。そして、言ったところで信じてもらえるかとも。
「……探しものだ」
結果として、真実に最も近い嘘を言うことになってしまう。ナガレは自分の表情が曇っているのがわかりながらも、その嘘を通すことに決めた。
明らかに不自然な嘘ではあるが、シャルとアシュリーは何も言わなかった。遠くに探しに行くなら食料が必要であるし、近くで山菜などを探すならば腹が減るまですることではないはずなのだ。だが二人は聞いてこない。
「見つかると良いですね。大切なものでしょう?」
「ん……まあな」
不意打ち気味にアシュリーの発言に、ナガレはなんとか答えた。もっと追及されるかと思ったのだが、あまりにあっけなく済まされたものだ。驚いたものの、それならば問題ないかと思い、話を続けた。
「名乗り忘れてた。俺はアマクモ・ナガレ。ナガレが名前だ」
「変わった名乗り方ですね。東方の方はそのように名乗ると聞きますが……」
二人はナガレを見る。東方という認識がナガレが元いた世界と同じであるならば、ナガレはまさに東方の人間である。見た目はまったく問題ない。尤も、実際の東方のことを聞かれてもわからないが。あまり嘘を塗り重ねたくないというのが本音だ。
「話してるのを聞いたが、二人はシャルとアシュリーで合ってるか?」
名前を聞いた瞬間、二人の顔がわずかに固まったのを見逃さなかった。表情を崩すことはなく、仮にここがなんらかの会議の場であれば二人の変化がわかることはなかっただろうが、朗らかな雰囲気に一瞬差した凍った空気に気づくのは容易だった。
シャルとアシュリーは互いに視線を合わせ、無言で会話をしているようであった。まずいところに触れたかなと、ナガレは頭を掻いた。自分にも触れられたくないところがあるのだから、なるべく触れないようにしようと思った矢先にそれだった。
もしかすると、二人は何かに追われる立場なのかもしれない。または有名人なのか。いずれにせよ、詮索は避けるべきだろう。
「……ああ、それで相違ねえよ」
「わかった、シャル。ところで……俺はどこに倒れてたんだ?」
「フォロッドまで歩いて二時間ってところだな。もう少しがんばれよ」
笑いながらシャルは言った。ナガレもそれに一応頷いておく。あの場所にいたのは偶然であるが、もう少し気の利いたところに落としてほしいものである。街の中か、せめて水のあるところにでも。
だが、偶然にも二人が見つけてくれた。その幸運には感謝すべきだろう。
あの神様ではなく、この巡り合わせに。
「ああ、すまん。そうか、あとそれだけだったか……」
我ながらヘタクソな嘘ではあるが、ナガレはこれを突き通すしかなかった。
知らぬ存ぜぬでは通せない。適度に話題を合わせないと……。
「あの、気になってたのですが」
アシュリーがおもむろに指を指したのは、黒い布であった。
確かに、この世界にあるものとは考えられないし、なにより睡眠の文化を広めるいい機会だ、教えてしまおう。
「ああ、アイマスクって言うんだ。明るいところでも目を覆って寝やすくする道具だ」
ナガレはそう言ってアイマスクを手に取り、装着してみせた。ちょうど目に当たるその布は光を遮り、寝るのにちょうど良い環境を生み出す。まさに夢のアイテムである。
「ええと、貴方の国では昼に寝る文化が栄えていたのですか?」
「国じゃないな。世界規模で流行ってた。世界中どこにいても昼寝をする文化は存在する。まさしく人類の文化。ビバ、昼寝」
もちろん昼寝だけではなく飛行機なんかでも使うのだが、この世界にはそんなものがないだろうから、わかりやすく説明する。若干アシュリーが引いているように見えるのだが知ったことではない。
「お前は何を言っているんだ……」
シャルの溜め息が、妙に大きく聞こえた。




