紅蓮の騎士 プロローグ
砦の四方にある円塔の屋上にに立てられた細長い旗。赤い生地に金色の竜の紋章が描かれ、その旗が風に靡いていた。
標高の高い山脈より吹き付ける北風が、短い夏の終わりを知らせていた。
その塔の天井にて、紅蓮の輝きを放つ鎧に身を包んだ一人の女性が歩を進めていた。
剣柄に手を当てて鞘の先を床に付けると、彼女は目を細めて遥か東方に広がる森林地帯を見据える。
「領民の避難は完了しているのだな?」
傍らに控える銀色の鎧に身を包んだ初老の男が、静かに答えていた。
「は、先ほど、ベルガの森より、最後の一世帯が出立したと報告がありました。彼らが避難すれば、完了です」
「そうか、ご苦労だったな。これで心置きなく戦えるな」
報告を聞いた女性は、呟くように言って東を見つめる。
「フランチェスカ候! 急報です!」
そんな二人の元に、一人の若い兵士が慌てて駆けつけていた。
「何事だ?」
女性が鋭い目付きで兵士を見ると、彼は少しだけ落ち着きを取り戻して言う。
「は! ハサン兵の小部隊、大よそ200名が国境を越境! 現在、ルブンガの森を西進中です!」
報告を聞いた女性、フランチェスカ・デュ・ハーフナーは自分の統治する領地の状況に憂いていた。
国境を接する東方の蛮族国家ハサン・タイが、度々挑発とも取れる行動を取ってきている。小部隊を越境させて村を襲わせたり、国境警備隊を襲撃する等の行為だ。
場当たり的には対処はするものの、その根源たるハサン・タイに対しては何らいい方策が取られておらず、結局、この挑発行為が度々繰り返されている。
「今年に入ってこれで七度目になりますな」
「ああ、あ奴らも懲りぬな」
傍らに控えていた初老の騎士に、フランチェスカはため息混じりに答えていた。
「領民の財、領民の命を守るのが、我々領主の務めだ。ダルコよ。兵400を率いて、私自らが敵を討ちに行く」
その言葉を聞いた初老の側近ダルコは、慌てて彼女を引き止める。
「お、お待ちください! ハーフナー家最後の頭首である貴方が出てしまい、万が一のことがありますと我が領内は内乱にも繋がりかねません! 御自らが先頭に立たなくとも、このダルコめが出陣して敵を撃退してきましょうぞ!」
慌ててふためく老将ダルコに、フランチェスカは胸を張っていう。
「私はハーフナー家の頭首だ。そろそろ初陣を飾ってもいいだろう? それともこの派手な鎧はただの飾りか?」
「いえ、しかし、この様な小さな小競り合いで命を落とされては……」
「その程度の器だったというだけだ。その時は潔くハーフナー家の命運を享受するしかあるまい」
必死の説得を続けるダルコを前に、フランチェスカは女性を感じさせない態度で言う。
だが、ダルコはそれでも彼女を出陣させられなかった。なぜなら……。
「フランチェスカ様。その……、私は先代とある約束を交わしております」
ダルコは伏し目がちに床を見たのち、再びフランチェスカと目を合わす。
「なに? 父上とか?」
フランチェスカは物珍しそうに、ダルコを見据える。
「はい。あなたの御身を預かる以上、婿を貰うまでは絶対に傷をつけささぬこと。と」
ダルコの言葉にフランチェスカは、顔を歪めていた。
父の遺言となれば、それに従わないわけには行かない。威厳があり、最後まで武勇を感じさせていた、フランチェスカの最も尊敬する男、それが父親だった。
だが、その父親も娘想いであったが故に、フランチェスカには少し迷惑な所もあった。
その最たるものが、このダルコと交わしていた約束だった。
「また、父上は余計なことを……。仕方ない……」
ようやく諦めてくれたのかと、安堵の表情を浮かべてダルコは彼女を見る。
「では、お取りやめを?」
「仕方がないから、後方で陣を張り、そこで私が指揮を取る。これならば、私自らが奴らを迎え撃って出ることにはかわりないだろう?」
「で、ですから! 私めが言いたいのはそうではなく!」
「ダルコ!」
「はい!」
凛と響いた声にダルコは、フランチェスカにすぐに目を向ける。彼女は少しだけ目を背けた後、目を細めて遥か東を見据える。
「奴らは私の兄二人と父上を奪った言わば仇敵。私が兄上達と父上の仇を晴らさずしては、ハーフナー家の名が廃るもの。今度という今度は私自らが剣を握り、その汚名を晴らさねばならまい?」
フランチェスカはそう言うと口元を緩めて、優しい瞳をダルコに向けていた。
それを見たダルコは確信する。彼女の意思は絶対に変わらない。
彼は小さく溜息を漏らした後、彼女に対して諦めの笑みを向けていた。
「承知いたしました。これも何かの定めなのでしょう。私めもお供させて頂きます」
「恩に着る。ダルコ。お前を心配させるような事はしないから安心しろ」
柔和な笑みを浮かべたフランチェスカを前に、ダルコは彼女の佇まいに先代を感じずにはいられなかった。
(本当に頑固な所はお父上にそっくりですな)
一度言い始めると、絶対にその言葉を曲げない。それは正に先代のゴーチェ・デュ・ハーフナーを彷彿とさせた。その外見は似ても似つかないが、彼女の放つ雰囲気は兄妹の中で最も先代に近い。
ハーフナー家に仕えてきた武人ダルコはそれを感じて、昔を懐かしみながらフランチェスカの後に続くのだった。
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武家の名門ハーフナー家が治める領地オストンブルカ。ヴェルムンティア王国の最東端に位置しており、東より勢力を伸ばしてきたハサン・タイ(国)との国境を接していた。
繰り返されるハサン軍との小競り合い。その最中、ハーフナー家頭首のゴーチェは、敵の策略によって深手を負い、その傷が原因で無念の戦病死してしまう。
四人の男に恵まれていたハーフナー家だが、一人は流行病で亡くなり、二人はハサン兵に命を奪われた。最後の一人は隣領の策略によって暗殺されていた。
ハーフナー家に残ったのは、爵位の認められていない末っ子の娘だった。
ヴェルムンティア王国は武家の名門がなくなる事を危惧し、ハーフナー家の嫡子に特別爵位、女爵を与えてオストンバブルカの統治を許可していた。
現在、オストンブルカは、ハサン・タイに国を滅ぼされた難民流入に加え、ハサン兵までもが領地に侵入し、治安情勢は最悪であった。そんな中、ハーフナー家頭首のフランチェスカは自らの信念を曲げることなく、日々、領主の務めを果たそうとしていた。
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