第六話 筋肉痛
朝早く起きて、智也はからだの異変に気づいた。
(き、筋肉痛……)
昨日の運動は智也にとって筋肉痛になってしまうほどに激しいものだった。
それでも、行かないという選択肢は出ない。何とか塔迷宮の前まで来たが、気分は下がったままだ。
宿に戻りたい。戻って今すぐ眠りたい。そんな自分を叩き潰すように、足に力を込めて塔迷宮へ踏み込む。一階層は問題なく進み、まずは昨日見つけた二階層だ。
二階層に入っても、緑あふれる大地は変わらない。森とまではいかないが、それなりに木々もあり、遠くの敵が見えないのは本当にやめてほしい。
二階層にはカニのような魔物が出て、相性がよかった。魔物には苦手とする武器や、属性などがある。どうにも打撃系の武器に弱いのか、階層があがったにもかかわらずサルとほとんど変わらず倒せる。
サルたちのレベルもあがっていて、動きが少し速くなったのが苦しいが、問題ないレベルだ。カニが落とす、カニの身(足一本)は売ることも忘れて一つつまみぐいしてしまった――おいしい。
第二層で袋が一杯になるまで狩りをするだけで、昼に近い時間になってしまった。教会によりレベルをあげてもらうと3に上がっていた。
自動でレベルが上がれば、教会による時間は減る。何より、教会の人だろうとあまり話したくはない。どうにか治さなければいけないのかもしれないが、人と話すのはそれなりに苦手だ。慣れるまで、我慢するしかない。
ギルドに寄り、素材を一通り売る。カニの身は十五リアムだった。八本あったので、百二十リアム。バナナ、リンゴ、魔石もいくつかあったので、カニの身と合わせて三百リアムだった。
それから、売却所とは別の場所に並ぶ。主に相談を受け付ける場所だ。相談と言ってもモンスターについてやダンジョン、迷宮についてだ。自分の生活状況などを相談する場所ではない。
智也はダンジョンについて聞きたかった。昨日図書館で得た情報なのだが、この世界には塔迷宮とは違う、ダンジョンと呼ばれるモノがある。
迷宮とダンジョンの違いは上に伸びるか下に伸びるか程度だ。迷宮と言っても塔迷宮しかないので迷宮は以上終了。
ダンジョンは世界のあちこちにある。地下へと伸び、最下層まで降りて魔法陣を破壊すればそのダンジョンは消える。
ダンジョンは基本的に迷宮と変わらない。ただ、地下に下りていくだけ。そこで少し考えたのはお金のことだ。
塔迷宮の序盤の階層は、多くの人間が魔物を倒している。それではリンゴやバナナといった素材は、たくさん市場に回ってしまっていて、高く売ることはできない。
高く売りたいのなら、珍しいものを手に入れる必要がある。
そうなると塔迷宮は、お金稼ぎにはあまり向かない。塔迷宮で多く取れる素材は必ずギルドに保管されているはずだ。
同じように考える人間は多いはずだ。
それでも、少しでも効率よく稼げる可能性もある。だから、一日くらいは、そちらを試してみたい。
お金に余裕があるとは言いにくいが、今のまま塔迷宮を登っていくだけでは、苦しいのも確かだ。塔迷宮は冒険者の誰もが目指す場所である。人が多いのも必然といえる。
後は国、宿を変えるというのも一つの手段だ。
智也が偶然ついたこの国は東のエアストという国だ。この世界でもっとも裕福であり、安全な場所だ。
塔迷宮を中心に東西南北と国があり、人が住むのはこの大陸だけとされている。
智也がいる大陸からはるか北西には、大陸があるらしいが、船を利用しても謎の結界に阻まれて、入ることは出来ない。人がいるかは分からない。
国を裕福順に並べると、東、南、西、北の順番になる。特に北の国は最悪らしい。犯罪者の流れ着く場所と言われるほどに治安が悪いと聞いた。実際国としての機能はなく、実力主義らしい。塔迷宮からどの国にもいけるが、北の国だけはふさがれているのだ。
絶対に近づきたくない。
東の国エアストは安全という利点があるので宿なども高い。単純にこの国を出れば、宿代にかかる金も減る。
が、他の国に行き飯がまずくなるのは避けたい。ベッドなどはまだ我慢できるが、飯がまずくなるのは嫌だ。
幸い、クックさんが料理を作るのがうまいのか、この世界にも醤油などの調味料があり、塔迷宮でそれらを入手できるからか、地球で食べていたものかそれ以上のものを今のところは食べられている。
ここが一番上の国なのだから、他の国に行けば下がる可能性は十分にある。
宿を下げるとなると、結局は同じ結果になるかもしれない。とはいえ、もしかしたらもっと安くていい場所もあるかもしれないので、今日は別の宿に泊まる予定だ。
「どうされましたか?」
ああ、緊張してきた。やはり見知らぬ人と話すのは気分が下がる。
「ダンジョンについて聞きたいのですが、えーと……この近くであまり魔物が強くない場所はありますか?」
「G、Fランク相当のものになると少し遠くになりますね。Eランクのダンジョンならこの街の近くにありますが」
(Eランク……)
確か塔迷宮換算で十五階層程度だったはずだ。
(さすがに、危険だよなぁ)
もしかしたらやれるかもしれないと思うかもしれないが、無理はしない方がいい。十五階層になると、最低でもレベルは10くらいは必要だ。才能の関係で一概に言い切れないのだが。
現在のレベルは3。ただ、才能がある。
今は無理でもレベル10あれば、どうにかなるかもしれない。
「G、Fランクのダンジョンは、どこにありますか?」
「ここから東にむかった場所にあるダリエにランクF、ダリエから北西のほうに向かった場所にあるムニエニにGランクのダンジョンがあります」
「どのように向かうのが、早いですか?」
ワープというスキルがあり、それが生活に用いられているというのは本で読んでいる。
「そうですね、ワープのスキルを持っている人間に連れて行ってもらうのが早いでしょう。そこにいる人に声をかけてください」
ありがとうございますと告げて、ギルド員に言われた一角に向かう。会話を盗み聞きすると、他の人間も街へとワープさせてもらっているようだ。間違っていないようで、ホッとする。
声をかけようとは思っても、中々喉に詰まって出てこないのだ。
「どうした? どこかの街に行きたいのか?」
目の前でうじうじしていると、相手から声をかけてくれた。ホッと息を漏らし、頷く。
「どこの街だ?」
ダリエとムニエニ。どちらにしよう。ランクFの低階層ならば、どうにかなりそうな気もする。
だが、安全に行くのならムニエニだ。
「あの、ダリエかムニエニなんですけど、やっぱり遠いほうがお金はかかりますか?」
「まあな。人数と距離で、MPの消費もあがるしな、ダンジョンにでも用があるのか?」
「は、はい。それじゃあ、ダリエにお願いします」
「ああ、わかった。金額は三百リアムだ」
お金を渡すと、彼の手がこちらの肩に触れる。ワープを使うには、術者の体に触れていなければならない。ダリエで大丈夫だろうか。少し不安は残ったが、
彼が肩に触れてから、十五秒ほど経過し、
「ワープ、ダリエ」
彼が言葉を発すると、一瞬で景色が変わる。
「ここはダリエのギルドだ。ダンジョンはこの街の北門をでて東に向かえばあるはずだ、頑張れよ」
「は、はい」
男はそれからギルド員に声をかけている。顔なじみでもいたのだろう。ギルド内にある街の地図を見て、ある程度把握してから北門へ向かう。
さっきまでいた首都エアストに比べれば、さすがに人は少なく、建物もそこまで豪華な物はない。
北門につき、東へダンジョンを探しに行く。すぐに目的の場所は見つけた。
ダンジョン近くには、一人の冒険者が立っていたのでわかりやすい。
ダンジョンの入り口は、小さな山のようになっている。外から中は見えない。中に入り、階段を下りていく。中は外に比べれば暗いが、十分前は見える。
肌をなでる空気はひんやりとしている。魔石が光を放っているので、真っ直ぐ歩くのに苦労はしない。
塔迷宮は広大であるが、ダンジョンはあまり広くない通路が主のようだ。時々小部屋のようなものこそあるが、基本的には通路で戦う必要があるようだ。
棒を縦に振り回すのは問題ないが、横に振るのは少々大変だ。暗い通路を歩いていると、魔物が出現する。
ブルースライム。ぶよぶよとした身体を小山のようにした魔物だ。身体の中心部分に丸いコアのような物があり、どうにもそれが弱点臭い。
異世界に来て、初めてモンスターらしいなと思う。智也は瞬時に武器を生み出し、地面を蹴って棒で突く。
「うぉっ」
ぶにょんと弾き返され、転ぶように体をよろけさせてしまった。
そこへスライムがのしかかってくる。嫌な予感がして、
(スピードッ)
反射的に唱えると、スライムの動きがゆっくりになる。それをなんなく避けてから、ボールを打つように棒を振るう。
今度は何とか吹き飛ばし、それからスキルを解除する。
スピードのスキルは宿で数回使ったことはあるが、戦闘ではこれが初めてだ。
スピードの能力は発動中常にMPを消費し、相手より速く動くことができるようになる。速さのステータスが上がるわけではないが、使っている間は誰からも逃げられる自信がある。
一回使用するだけならかなり強い。相手の数倍の速さで動くことが出来るので、相手が人間なら……一度発動すれば殺せるだろう。
ただ、恐ろしく燃費が悪い。
現在MPは101あるのだが、だいたい今の五秒程度で18まで減っている。
スライムが体を元に戻しながら、その場でモジモジとする。トイレに行きたい人間のようにも見える。
攻撃してこないのか、警戒しながらじりじり近づく。
一歩、踏み込んだ瞬間を狙うように、スライムの体が浮き上がりこちらに飛んでくる。
さながら雨の銃弾だ。
「づぅあっ!」
寸前に避けたが、それでも数発を受ける。鉄で叩かれたような痛みがじわりと広がり、目をきつく閉める。痛みに悶えている間にスライムが接近する。近づかれるのはまずい気がする。
棒で核を狙い打つように突くが、届く前に弾かれる。智也の体がふらつくが、足に力を入れて踏ん張りを利かせる。今度は倒れない。
体を捻り、体重を乗せるように棒を叩きつける。
弾き返される前に腕を引き、じわじわと回りの体を削っていく。弾かれた力をうまく反動させるように戦えば案外余裕だ。
核がむき出しになり、智也は隙を見逃さない。スピードを発動させながら、一気に突いて破壊した。MPが切れてしまった。
「はぁ、はぁ……」
ダンジョン、迷宮攻略にあたって更に問題が浮上する。智也の基礎的な体力、筋力などが決して高いわけではないのだ。
とはいえステータスで上昇はしている。それでも、そこまで変わることではない。
(ステータスが高ければ強いってわけでもない、のか?)
本にはステータスがすべてと書かれていた。それが本当なら、体力が上がれば自然に戦闘継続時間も延びるはずだ。
スライム一体にこれだけ時間をかけて、それで素材はでなかった。倒した魔物が必ず素材を落とすわけではないのだ。
魔石は出たので一応回収しておく。
周囲に人がいないことを確認してから、ダンジョンの壁におっかかるように座り込む。体中が痛い。魔物のダメージが原因ではない。昨日からの疲労が残っているせいだ。
(またかよ……勘弁してくれ)
休んでいると、壁から浮き上がるようにしてスライムが出現する。まだこちらに気づいていないので、智也は呼吸を落ち着けながらスライムを観察する。
スライムはもにゅもにゅと体を伸縮させて、移動していく。棒を取り、駆ける。
スピードを使いたい。
使えたとしても、1秒にも満たない時間だ。自然回復するのを待つしかない。
スライムはこちらに反応するが、それよりも早く背中に一突きを入れる。
正面よりは背中側のほうが核へ攻撃が当てやすい。背中のほうが液体による防御が薄いのだ。
今度は一撃で葬ることができ、残ったのは、
炭酸水
またまた拍子抜けでがくりと座り込む。もっと、武器の素材になりそうなものはないのか。丸い液体になっており、ゼリーのようだ。触ってみるとぶるるんと震える。
これをそのまま袋に入れても大丈夫なのか。各アイテムの周りには、神が与えた目に見えない保護壁があるとかなんとか、図書館の本にはそう書かれていた。
それに従えば炭酸水も大丈夫なのだろう。袋を覗き込んでみるが、形が崩れる様子はない。袋の口を閉めて、腰に巻きつけて魔石を回収する。
自分の体力を気にしながら、新たなスライムの討伐に向かった。
一日かけて、倒せたスライムは十六体。
素材を落としたのは十体だ。魔石は十四個。
炭酸水は一つ二十リアムで売れた。
Fランク魔石が十五リアムで売れたので、合わせて三百リアムだ。
「き、昨日に比べて少ない……」
思わず声に出てしまうほどに智也の絶望は大きい。原因は炭酸水の現在の値段だ。ギルドにもそれなりに予備があるらしく、高く売れなかった。
そもそもスライムと相性が悪いのが原因だ。後ろからの不意打ちでなければ、戦闘時間が大きく伸びてしまう。
一度風呂に向かい、身体の汗や汚れを流す。服も着替える。
それから食事つきの宿に泊まるが、あまりガラのよくない店で食事もクックさんの場所に比べておいしくない。
この世界の人から見れば普通なのかもしれないが、智也には許せなかった。
部屋も汚い。
それで八百リアム。値段が安いのはいいが、これではクックさんの宿のほうが、値段から考えて安い。
この街でなら一応はやっていけるかもしれない。
だが、一日、二日程度ならこの宿でもいいかもしれないが、明日からどうしようか。本当に困った。
それでも深く考える前に、疲労でベッドへ崩れ落ちてしまい、その日は終わった。




