第四十三話 俺は弱い
迷宮へと移動する。戦いには命が関わるので、難しいことは考えない。
切り替えるように、智也は深呼吸する。
「とりあえず、二十八階層に行こうか」
「そう、ですね……」
アリスは返事をしながらも、意識は遠くを眺めている。
智也もそちらを見ると、そこには四人組のパーティーがいた。三人は戦闘系で、一人は荷物持ちで大きなリュックサックを持っている。どうやら、今日の狩りはひとまず終了のようで、出口である智也たちのほうへ向かってきている。
三人のうちのリーダー格の男が、荷物持ちに向かって何やら怒鳴りつけていてアリスはそれが気になるようだ。
「アリス?」
「あ、あの! あの子が少し、気になるんです」
それは智也も同じだ。それでも、ここは塔迷宮なのだから、他のパーティーの面倒を見る時間はない。
「でも、あれは俺たちには関係ない」
「だけど、私も似たようなことがあったから……気持ちがわかるんです。助けられませんか?」
「助けるって、それでどうするんだよ。助けて、あのパーティーから排除されたとして、そんなことになったら俺たちが責任をとって一緒に迷宮の探索をするのか?」
強く当たってしまうが、ここは大事なことなので譲れない。
「でも……」
アリスは頑なに首を振り続ける。本当にどうしたのだろうかと智也はここ最近のアリスを理解できない。
昨日の事件から何かが乗り移ったかのようだ。
別人のように感じてしまう。中々動かないアリスに痺れを切らしたクリュが智也よりも強く言い放つ。
「あんた、バカじゃないの? 自分のことは自分でどうにかするしかないに決まってるじゃない。本当にあんた大丈夫? 目じゃなくて頭の中が悪いんじゃない?」
「それは強い人の言い分ですよ。強いから好き勝手に言えるんです」
「強い強いって、あんたは弱い自分を変えようと何かしたの? 何も知らないくせにムカつくのよ、あんた」
「何も知らないのはクリュさんもですよ……」
アリスの態度にクリュがぴくりと眉をあげる。
「だったら言いなさいよ。言わなきゃ分からないわよ」
「弱い人の気持ちなんて強い人には分からないんですっ」
アリスは一際大きな声をあげて、問題のパーティーへと駆け出した。
歩きながらアリスは自身の武器であるクロスボウを構えたので、智也は最悪の事態を想像して後を追いかける。
「待てアリス! おいっ」
クリュが追いかけてくる様子はないので、智也も慌てて追いかける。
あの一団の先にぶつかるのはアリスだ。相手のパーティーは突っ込んできたアリスに目を丸くする。
アリスが荷物持ちに文句を言っているリーダーへ飛び蹴りを放つ。
いい蹴りだ、出来れば魔物に使ってほしい。智也も覚醒強化を使い、一気に迫る。
アリスは流れるようによろめいたリーダーに体をぶつけ、倒れた体にクロスボウを突きつけようとしたところで智也がアリスの手を横に向ける。
クロスボウが放たれ、リーダーの男の横に刺さり、小さな悲鳴がもれる。
智也は鋭く目を吊り上げて、アリスを握る手に力がこもる。
「おまえ、何がしたいんだよ。昨日から……おかしいぞ」
「私は別におかしくないですよ。弱い人間はやられる前にやらないといけないんですよ。じゃないと、強い人間の好きにされる」
「だからって、殺すのか? それは、おかしいだろ」
「敵に隙を見せるから、私の仲間は殺されたんです。昨日だって、すぐにクロスボウで撃っていれば私は誘拐されなかった!」
今の彼女は興奮状態で、智也の言葉が届かない。
後から追いついてきたクリュにひとまずアリスを押さえてもらい、智也はまだ腰を抜かしているリーダーの男に手を貸す。
「すみません、彼女前に他の人に殺されかけたことがあって。自分と同じ荷物持ちの男の子が傷つけられそうになっているのを見ていてもたってもいらなくなったんです」
「い、いや。俺もやりすぎたから、頭が冷えてよかったよ」
そうは言うがリーダーの男の体は震えている。レベルを見たが、まだ駆け出しの冒険者らしい。
「本当にすいません。後で謝罪はいくらでもしますので、今は……ギルドに戻ってください。ナナフィというギルド員に俺の名前――トモヤに殺されかけましたと言ってください。きちんとした謝罪はそこでいくらでもしますから、今はすぐに逃げてください」
クリュがアリスを地面に押さえつけているが、それでも暴れている。あれだけの怒りは始めてだ。睨みつけるようにアリスは男を睨んでいる。男への憎しみ――それは以前仲間を殺されたのが混ざっているように思う。
「い、いや、そこまではしなくてもいいよ。俺も迷宮攻略が出来なくて焦っていたから……これからは仲間に気をつけるよ、じゃあな」
「いや、ほんとギルドで待っててください。こんな勝手なことをしたんですから」
「第一、迷宮内での殺しは基本的にはありなんだから、油断していた俺たちが悪いんだ。あんたって、お人よしだな」
「……そう、ですね」
謝っていてばかりでは駄目だ。こちらに完全に非があっても、それを認めるような真似は本来は許されない。
智也は少し甘くなっていたと反省して、男たちと別れる。
リーダーの男が荷物もちの男に頭を下げているのを見て、ひとまずあのパーティーは大丈夫だと思い、アリスを見る。
「クリュ、もういいぞ」
クリュは言われたとおりにアリスを離して、近くに来た魔物を憂さ晴らしにぶん殴った。
本当にクリュには感謝することが多い。
「私は何かすることない? 暇なんだけど」
「ありがとな。だけど、クリュは手を出さなくていい。魔物と遊んでてくれ。こいつは俺にバカみたいな幻想を抱いてるんだ。だから俺が一人で相手する」
アリスを敵と認識して智也は剣を生み出す。
智也の態度にアリスは明らかに狼狽して見せて、すがるような目でこちらを見る。
「なぜ逃がすんですか? アレは殺さないと駄目です。トモヤさんも、裏切るんですか?」
「裏切るんじゃない。教えるだけだ、お前は俺を信用しすぎなんだよっ」
智也が大声を張り上げ、今まで溜め込んでいたものを吐き出す。
「俺はそんな立派な人間じゃないっ。お前に声をかけたのも優しくしたのも、お前のスキルを知ってたからだ」
「……トモヤさんはそんな人じゃないです」
「お前の中にいるトモヤさんってのは誰なんだよ。勝手な幻想を押し付けないでくれ、迷惑だ」
アリスは智也の言葉を受けて、顔をうつむかせる。
次に覗いた表情は憤怒に染まっている。
「そんなことを言うのは、トモヤさんじゃないです!」
クロスボウを放たれ、スピードを使って弾き落とした。次弾を装填している間に智也は駆け寄り、クロスボウを持つアリスの手を掴む。
「いい加減、目覚ませよ」
「なんで、なんでこんなことするんですか! トモヤさんは困っている私を助けてくれて、この前みたいに私がピンチのときに助けに来てくれる素晴らしい人、なんですっ」
「俺はそんな立派な人間じゃないって言ってるだろ。アリスの中のトモヤはすべての人間を救う神みたいな存在なのかもしれないけど、目の前の命だって助けられるか分からねえよ!」
クロスボウを弾き飛ばして、智也は剣を生み出してアリスの首元に突きつける。
「もう、やめろ。俺に依存しないでくれ。俺は誰よりも弱いんだ。この世界で生き抜くことだって、いやなんだ。さっさと戻りたいんだ」
伝えるつもりのない本音が、口から漏れてくる。
壊れていくアリスを見るのもつらいが、何より智也が依存されるのに耐えられない。
「なんで、ですか? トモヤさん言ってくれたじゃないですか、守ってくれるって」
「それは、ただのはったりだ。俺は、弱いんだ。お前を守れない。アリスは俺に頼って生きちゃ駄目だ」
「トモヤさんは強いです。弱いわけがないです」
「実力の話をしてるんじゃないんだ。……心が弱いんだよ。他人に頼られてそれを受けて、達成できるような人間じゃない」
智也は目に角を立てて、剣を持つ手をおろす。
「期待されるよりも、期待されないでいたほうがずっとラクなんだよ。わかるだろ? アリスに変な幻想を抱かれて、お前の幻想どおりの俺には絶対になれない」
アリスはクロスボウを持つ手をこちらに向けながら、後ろに下がっていく。
「……私にはもう、トモヤさんしか頼れる人がいないんです。他の誰も信用できない。だったらどうすればいいんですか」
智也は剣を解除して、力の入った拳を持ってアリスに近づく。
「ざけるなよ! 歯食いしばれ!」
アリスの顔を殴り飛ばす。加減なんてする余裕はない。
「俺は女だろうが、平気で殴るし、殺すさ。これが現実だ、分かっただろ?」
「……」
アリスは頬を押さえて、地面に座ったままこちらを睨む。どこか怯えたような目で、彼女が男にまた恐怖を抱くかもしれないと思いながらも、それでも構わないと智也は近づく。
「他人に全部任して、依存して、そうやって生きるのは簡単だろうさ。だけど、それじゃあ一生成長なんてできねえよっ。誰も知り合いがいなくても、俺は……世界中が敵だらけでも目的を果たすために生きてみせる。アリス、お前にだって冒険者になった目的があるんじゃないのか?」
「目的? 私の目的はなかったんです、二人の冒険者に誘われて、気分でなっただけなんです。その二人もあの迷宮で殺されて、教えてください。私の目的はなんなんですか!? 何を目的にして、生きればいいんですか!」
「それは――」
他人に聞いて教えてもらうものじゃないと怒鳴りつけてやろうとしたが、智也の体は吹き飛ばされていた。
え? と首を動かすと、クリュにタックルされたのだと分かる。ずさっと塔迷宮に倒れこみながらクリュを見る。
「甘ったれてんじゃないわよ!」
クリュが地面にうずくまっているアリスの胸倉を掴みあげる。力は強く、アリスの足は地面から離れている。
アリスは苦しそうな表情を浮かべるがクリュがそれでやめるはずがない。
「あんたを見てると本当にいらつく! 他人に依存して、それだけで楽しい?」
「クリュさんみたいに自分に取り柄がある人とは違うんです! 私は自分に自信がないから、他人に頼るしかないんです!」
「取り柄なんて、自信なんてなかったわよ! 右も左も敵だらけで、あたしは本当に弱かった。弱いままじゃ自由はなかったから、あたしは強くなった。自分を追ってきた奴だって殺してみせたのよ。最高だったわ、普段はあたしに対して強気でいるのに、いざ自分の命が脅かされたらへこへこあたしに頭を下げるのよ? あははっ、あははっ!」
クリュが壊れたように笑い声をあげる。悲痛な笑い声は聞いているだけで智也の心に重く響き渡る。体を起こして、壊れてしまいそうなクリュの肩に手を置き、アリスを下ろすようにする。
「おい、クリュ。それ以上はやめとけ」
彼女の笑いに無理やりが混じっている気がして智也は止める。クリュはその後も笑っていたが、急に静かになりそっぽをむいた。クリュに何があったのかは知らないが、地面に座り込んでむせているアリスに目を向ける。
「トモヤさん、私が間違ってるんですか? 教えてください……」
「それを教えてもアリスのためにはならないだろ。それはアリスが考えなくちゃいけないことじゃないのか?」
「私が、ですか?」
「答えを出して正しいか間違ってるかなんて分からないんだ。アリスが出した答えをアリスが自分で正しいか判断するしかないんだよ。……俺だって、最適な答えを知りたいくらいだ」
一体どうすれば地球に戻れるのか。たとえ塔迷宮を攻略しても、戻れるかどうかはわからない。
アリスは何度か悩むように表情を変える。
「トモヤさん……私は、さっきまでの私はおかしかったです。すみませんでした」
「それは俺じゃなくて、さっきの人たちに謝りに行こう」
智也がかけた言葉を受け、アリスは塔迷宮の地面を睨みつける。
それから、儚く笑った。まだ心配ではあるが、その笑顔は始めてみたときのような輝きを持っている。
「ありがとう、ございます。でも、私はもうトモヤさんとは一緒にいられません」
「……それは、なんで?」
アリスが元に戻ったのならば、智也としては一緒に塔迷宮の攻略を手伝ってもらいたい。
「だって、私は、またトモヤさんに助けを求めてしまうかもしれません」
智也はがしがしと頭をかき、どんな言葉で彼女を誘おうか考える。
アリスが一方的に頼るような環境を提供しては駄目だ。慎重に言葉を選んでいく。
「俺も、クリュも、もしかしたらアリスも。みんなどこかおかしいんだ。だから、一緒に頑張っていかないか? 片方に依存してばかりじゃなくて、お互いが相手を助けられるように」
アリスは、体を震わせ顔を地面に向ける。ぽたぽたと水滴が地面をしめらしていく。
「……一人じゃ、押しつぶされそうになるんです。二人は私のことを恨んでいるんじゃないかって」
「俺だってぺっちゃんこになりそうだな。それに、俺にはわからないよ二人の仲間のことは。でも、俺だったら今みたいにうじうじとされたら幽霊になって出てきたくなるな」
「すみません、あの、やっぱり私も一緒にいていいですか?」
「今日みたいに、俺に変な幻想を抱かないでくれたらね」
「わかってます。トモヤさんがそれほど、大した人間じゃないんだってもうわかりましたから」
(うぐっ!)
わかってはいたが、はっきりといわれると胸に刺さるものがある。
ギルドに戻るが、誰もいなかった。
ナナフィさんに一応今日のことを話してみたが、「相手がとくに名乗っていないのだから気にすることはない」といわれる。
「あまりこういうことは言いたくありませんが、迷宮、ダンジョン内での殺しは基本的にありですから。あまり気にしませんよ」
ナナフィさんがそう言って、智也は苦笑する。
「なら、アリスを気にかけてるナナフィさんはお人よしなんですね」
「……そうでしょうね。でも、あなたには言われたくありませんが」
軽くナナフィさんと話をしてから、智也たちがギルドを出ようとすると、
「私は少しナナフィさんと話がしたいので、残りますね」
「わかった。宿には戻ってくるのか?」
「お金も払ったので、しばらく泊まりたいと思います。あっ……駄目でしょうか?」
「別にいいって」
ギルドを出ると、夕陽を反射する地面を見て、今日は金が手に入らなかったなとギルド前の階段を下りる。
だけど、焦る必要はない。ゆっくりと確実に前に進もう。
少し前を歩くクリュは指に髪を巻いて、つまらなそうに歩いている。
ふと、塔迷宮内での彼女の感情の吐露を思い出して、智也は頬をかく。
「あ、そのクリュ、ちょっと話を聞いてくれないか?」
「なに? あんた、私の存在覚えてたの?」
どうやら、塔迷宮からすっかり話していなかったからすねてしまったようだ。
腰に手をあてクリュはこちらに振り向く。夕陽を浴びて彼女の金髪がいっそう輝きを増した。
「いや、悪い。半分忘れてた」
「耳もがれるのと、鼻潰されるのどっちがいい?」
(嬉しそうに微笑むな)
「どっちも嫌だ。その、なんだ。自分のことは自分でどうにかするしかないかもしれないけどさ。出来る範囲なら手伝えることもあるだろうから、クリュも何かあったら言ってくれ。今まで色々助けられてるんだからそのくらいお礼返しだと思ってさ」
クリュは口を半分開いた間抜け面だ。それから、顔を横に向け前髪をいじくる。
「……ふぅん、あっそ。何かあったら、考えておくわよ」
ぶっきらぼうな言い方だが、声音はどこか安らげる。智也は素直じゃないヤツだなと苦笑する。すぐにクリュは歩き出してしまい、智也は慌ててその背中を追いかけた。




