第三十三話 カレンダー
暗い空間をただ歩き続けているような不思議な感覚。
やがて視界は晴れ、見慣れた塔迷宮に着いた。目の前にはクリュ、アリス、プラム、リートさん、クックさんがいて。
こちらに手を伸ばしているので智也も笑顔を浮かべてそちらに走り出す。
智也の動きに合わせるように、黒い光が放たれて五人が切り裂かれる。智也の伸ばした手が固まり、放たれた光へ顔を向ける。誰かがそこにいる。だが、顔はわからない。
人間はただただ不気味にたたずんでいる。
何が何なのかわからず、智也は――。
「はっ!」
智也は悪夢から、逃げるように起き上がる。額には汗が浮かび、智也は汗を手の甲で拭う。
(夢、か?)
あまり思い出したくない内容だ。忘れるように首を振りながら現状を確認する。自分はベッドで眠っているようだ。周囲を見回すと、簡素な造りの部屋であるのが分かる。
必要最低限のもの以外は置かれていない。視線をずらすとキッチンのところに人が立っていた。
相手も智也に気づいたようで、水を止めて手を拭きながら、こちらに振り向く。
「あ、起きたんだ? もう、あんな場所で寝てて、どうしたの?」
以前、塔迷宮内で助けてくれたミルティアさんだ。ポニーテールが相変わらず似合っている。
思えば、あれについては色々と不可解な点があったが、今は置いておく。
「寝てた?」
「フィールドの真ん中。あそこで寝てるなんて自殺志願者か、よっぽど強い人だけだよ」
「えっと、あなたってミルティアさん、ですよね?」
相手が覚えてくれているかはわからないが、恐らくは合っているだろう。
ミルティアさんは一瞬目を開いて、両手をぱんと鳴らす。
「いやいや嬉しいなぁー。覚えててくれたんだね。人助けをして、相手の子が覚えてくれてるとは思わなかったですよ。まあ、偶然だったから、全然気にしなくていいよ」
「いえ、あの感謝してます。ありがとうございます」
立ち上がろうとしてずきりと痛みが走る。
「うっ……」
ぐらりと体が傾き、ミルティアに肩を押さえられる。
「だ、大丈夫? どうしたの? トイレ?」
「違います。あの、回復丸は、ありませんか?」
「あ、あるけど? 怪我してたの?」
「え、ええ」
あのままバイスコーピオンと戦い続けていたのなら、重傷のはずだ。ミルティアさんは自分を持ち上げてベッドに座らせる。それから、近くの棚から箱を取り出す。
ケースに収まった回復丸を手に出して智也に渡してくれる。すぐに口に放り込み、体力を回復する。
なんとか動けるようになった。
「本当に大きな傷を負ったなら医者に行ったほうがいいんじゃないかな? 回復丸だって万能じゃないんだし」
回復丸は傷を塞ぐのが主な目的であるので、内部のダメージはそこまで回復しない。智也の痛みも全回復とはいかないが、後は休めばどうにでもなるだろう。
立ち上がると、僅かに痛みがあったがミルティアさんに大丈夫だとアピールするために動く。
「いえ、大丈夫です。ほら、元気そうでしょ?」
「うん、よかったよ。でも、外傷は全くなかったんだけどなぁ……?」
ミルティアさんの発言に智也は疑問を抱かずにはいられない。気を失う前でも結構怪我していた。
「あの、魔物――サソリみたいな魔物はどうなりましたか?」
「え? そんなのいなかったけど?」
わけがわからない。
「ええと、俺はどんな状態だったんですか?」
「フィールドで寝てたんだってば」
「それ以外は何かありませんでしたか?」
「う、うーん? 特になかったと思うけどなぁ」
「大きな魔物の死体とかは?」
「フィールドの魔物だって塔迷宮に比べれば時間はかかるかもしれないけど、死体は消えちゃうからね」
ミルティアさんに助けてもらったのが、死体が消えてからなのかもしれない。血なども消えるので、バイスコーピオンについてはもしかしたら倒したのかもしれない。
傷については疑問が残るが、すべてがおかしいというわけでもない。今無事ならいいやと智也は深く考えることはやめた。
「ここはどこですか?」
「エアストだよ。それで、ボクの家かな」
「そう、ですか」
「ボクの家、だよ。……女の子っぽくなくてがっかり?」
ニヤニヤと目が細められ、智也はいえいえと慌てて首を振る。何か言わなければ。ただ、話すのに慣れていない智也は何も思いつかない。
「えっと、あの、なんか布団とか結構いい匂いがしますし……」
正直な気持ちを告げたら、ただの変態になってしまったと智也は顔を顰める。
ミルティアさんは「ぬふふ」とニヤニヤ笑顔はやめない。
「そんなにいい匂いがするんだ。エッチだなぁ、……えっと、名前は確かトモヤくんだよね?」
「……はい」
智也はなんとも言いにくい表情だ。
「エロイなぁ、むふふだなぁ」
「あの、その……さっきのは、なかった、ことにしてください」
ミルティアさんに耐えられなくなったので、智也はなれないことをするもんじゃないと反省する。
「ばっちり聞いたからね! 完璧に記憶もしてるよっ」
なんて厄介な人なんだ。智也は額に手を当てる。それから、ぱちんとミルティアさんは愛想のいい笑顔を浮かべる。
「あ、おなかすいていない?」
「料理、ですか?」
「うん、おかゆだよ。もしかしたら食欲もないかもしれないと思って、食べやすいのを作ったんだけど」
「そう、ですね。いただきます」
ただでもらうのは気が引けたが、今はおなかもすいてるので頂こう。キッチンに戻ったミルティアさんはお椀におかゆをよそり、スプーンを持ち戻ってくる。
持ってきてくれたお椀を見ると、おいしそうなおかゆが湯気をあげている。鮭のようなものが入っており、智也の腹が音をあげる。
「ぬふふー、体は正直だね。食べられそう?」
「ああ、はい。大丈夫です」
お椀を受け取ろうと手を伸ばしたら、ミルティアさんがぴこーんと何かを閃いたように目を細めた。お椀が智也から離れ、ミルティアさんはスプーンを手に取る。
それから一口をとって、ミルティアさんが冷ますように息を吹きかける。
「はい、あーんして。食べさせてあげるから」
ほどよく冷ましてもらっておかゆ。鮭と僅かな塩が混ざったおかゆは、どこか心が温まる味だ。ミルティアさんは緊張した面持ち。
「おいしいですね」
「そ、そか。ちょっと安心したぁ」
ミルティアさんは緊張した顔を崩して破顔する。
「安心、ですか?」
(ああ、さっきからまともに話せてないな)
ミルティアさんとの会話は緊張してしまって、訊きたいことがあるのだが、受け答えがオウム返しになってしまう。
「久しぶりに誰かのために料理を作ったからね。ちゃんと出来てるかなぁてちょっと心配だったんだ」
ミルティアさんに食べさせてもらってから皿を持っていく。何もしていない時間はどうにも苦手だ。
「俺ももう動けますから、食器を洗うくらいはしますよ」
「いよいよ、怪我人はちゃんと休んでなきゃダメなのだよ。わかったら、早くベッドで横になってね」
「いや、でも」
「いいから、いいから」
これ以上言っても迷惑をかけるだけだ。智也は妙にそわそわしながら、ベッドに横になる。布団をかけて、いい匂いだなと鼻をひくつかせ、慌てて布団を離す。
こんなのミルティアさんにばれれば家から蹴り出される。智也はそれは嫌だと思いながら、はてと気づく。
(よく考えたら、早くクリュたちに会いに行かないと!)
今も帰りを心配している可能性もある。智也はばさっと布団をはがして、立ち上がる。さっきに比べて痛みも少ない。
「な、なにやってるの!? おなかすいたの!?」
ミルティアさんは慌てたように声をだし、左手の甲を腰に当てる。
「違いますっ、すいません! 仲間がいるんですっ。俺の帰りを心配して……もしかしたら、心配して、くれてるかなぁって。とにかく仲間がいるんです、会いに行って来たいんです」
「仲間?」
「はい」
「ま、待ってよ! 一人で行かせるわけにはいかないよっ、ちょっとまって、ボクも行くから」
「ぐえっ!」
玄関に向かったところで首根っこをつかまれ、智也は悲鳴をもらす。
ミルティアさんはズボンのポケットから手袋を取り出し、左手にはめる。そそくさと壁にかけられている刀のような剣を腰に刺して、戻ってくる。
「いこ、準備はいいよ」
「あの、大丈夫ですよ」
ミルティアさんの貴重な時間を使ってしまうようで智也は悪い気がした。
「ははーん、待ってる子は女の子でしょ? そかそか、ボクがいると誤解とかされて嫌なんだね」
ミルティアさんがじゃあ仕方ないかぁと首の後ろで手を組む。
「あ、それは別にどうでもいいんですけど、ただミルティアさんも他にやりたいことあると思うし、これ以上俺のために時間を割かなくても……」
待ってる子は女だが、誤解されて何かがあるような人たちではない。
「別にいいんだよ。ボクは基本的にやることないから」
「どこか待ち合わせの場所とか決めてるの?」
「えっと、いつも使ってる宿か、ギルドか……ですけど」
「そか、じゃあ宿のほうに行ってみようよ」
ミルティアさんに頷いてから、智也は歩き出す。
だが、ここがどこだかわからない。
「えっと、ここってどこの方角の地区ですか?」
「え? 東地区だよ? ほら、あそこに塔迷宮への入り口もあるでしょ?」
ミルティアさんの指差した場所には言うとおり入り口がある。智也は改めて周囲を見回す。
(俺の知ってる地形と全然違う)
まるっきり違うわけではないが、建物や店などは全然違う。見たことない景色、この世界に初めてきてしまったときのようだ。違う世界に放り込まれた恐怖を思い出しながら歩き出す。
「ど、どうしたの? 顔色悪いよっ、やっぱりまだ休んでたほうがいいんだよ!」
「違います。その、少し変なんです」
「怪我だよっ! あ、もしかしてお腹がすいたとか?」
今家に戻されても困る。違和感の正体をつきとめるために智也は正直に告白する。
「俺の知ってる街と、この街が違うんです」
「街が? ええと、キミがいたのってエアストの街じゃないの?」
「エアストの街でした。だけど、景色が違うんです」
しばらく歩いていると、どこか似ている道を見つけて歩き出す。この道にクックさんの宿屋があるはず。
動悸が激しくなりながらも、智也は願うように歩き続ける。
だが、見当たらない。この通りに絶対にあるはずだ。
一本道を間違えたのかもしれない。自分を落ち着かせるために、希望を持てる考えをあげてこの一帯を探す。
「……宿屋がない」
声が震える。自分の知っているものの断片さえも見当たらない。
近くの店に入り、焦るように店員に訊ねたがクックさんの宿屋なんて誰も知らない。
「……キミってこの街に来たのはいつ振り?」
ミルティアさんが心配そうに顔を覗き込んでくる。
「俺って、何日くらい寝てましたか?」
「一日くらいかな?」
「だったら、一日振りですよ」
「……それじゃあおかしいね」
わけのわからない現状にうなだれてしまいそうになる智也だったが、
「宿はひとまず置いておこうよ。もしかしたら、ギルドにいるかもしれないし」
ミルティアさんの提案に智也は頷いて、ギルドへ向かう。
不安が募り、走り出してしまったが、ミルティアさんはしっかりとついてきてくれる。申し訳なさもあったが、構う余裕はなかった。
ギルドの建物を見つける。少し違和感を覚えたが、階段を上りギルド内に入る。
勢いよく入ってきた智也に入り口近くにいた人たちが驚いた目を向けてくる。目立つのは苦手だが、智也は構わずに目を細めて見回していく。
だが、クリュやアリスの姿は見つけられない。ギルド内を突き進んでいき、どこかにいないか視線を向けて、そして、依頼書の近くにあるカレンダーを見て目がとまる。
つかみ掛かるようにして、それに顔を寄せ、
「はは……そうか」
ギルドにあるカレンダー。冒険者が依頼を受ける際に、目安にするためのそれには年号も書いてある。
R0489 6月18日 氷
「どうしたの?」
ミルティアさんは周りの人たちをきょろきょろと見ながら、智也の近くに駆け寄ってきた。
「いえ、その、なんで宿屋がないのか、少し理解してしまったんです」
(ここは約二百年前の世界ってことなのか?)




