エルフ耳の来訪者
「今さら来やがっても遅ぇんだよ!」
短大最後の春休み、久々に寮から実家に戻ってきた三島凪の耳を突いたのは、庭先からした威勢のいい啖呵だった。
一般家庭には少々幅広なアコーディオン式門扉は半ばまで開いたままで、庭先には母の仕事道具である煌々しいデコトラが斜め付けされている。本来、ごつく見えるはずの四トントラックはパステル調ピンクのリボンだとかハートだとかでデコレーションされていて、とてつもなく乙女チックだった。
しかも、ウィングボディの荷台側面には若い頃の母のバストアップ写真がペイントされている……ペガサスなんちゃら盛りとかいうソフトクリームのようにうずたかく巻かれた赤い髪、くるりんと立ち上がった長い睫毛に囲まれた黒目がちな瞳、ちょこんとした小さな鼻に、プルンプルンなピンクシャイニーのアヒル口はまさに小悪魔アゲハ、背中から羽根まで生やしていて夜の香りがプンプンした。地元のキャバクラでナンバーワンを張っていた当時の宣材写真をもとに、馴染みの客だった板金塗装工場の社長が転職祝いとして描いてくれたらしい。
そのせいで、幼い頃は近所の人達から後ろ指を指され、学校で苛めも受けたのだが、母はこれに乗って凪を短大まで行かせてくれた。超個性的なデコトラは自分に対する母の愛情の証、今となってはありがたく思っている。
「……カエデ、本当に申し訳なかった」
「カエデ様っ、ロミュアルド様に責はないのです! すべては私がっ……」
「いいからとっとと帰りやがれっ、二人とも!」
かつての栄光を刻んだデコトラの向こうで、母・楓は二人組らしい男と口論になっているようだ。
借金の取り立て屋?
尋常ではない母の声にそんな考えが浮かび、凪は肩からかけていたボストンバックを放り出してトラックの向こう側に走り込んだ。
「ママっ……?」
こちらに背を向けて立つ楓は深夜運転の仕事から戻ったばかりのようで、少しくたびれたピンク豹柄のジャージ姿だ。小柄な彼女が手にしたタッパーから塩を引っ掴んで投げつけているのは、何とも怪しげな男二人組だった。
男達の人相風体を目の当たりにして思い出したのは、半年くらい前に一気観した某ファンタジー映画三部作のとある登場人物だった。凪自身は特に映画もファンタジーも好きではなかったのだが、夏休みに短大の友達宅で女子会(泊まり)をした際、徹夜ガールズトークのBGMにかかっていたのだ。
深まる夜とともに赤裸々になった恋バナの火付け役は、誰かが持ち込んだ微アルコール飲料……勢いで口にしたはいいが、十九の年まで免疫のなかった凪は完全に人格崩壊、笑って喋って泣き出して、気が付けば気絶するように眠っていた。正直、映画のストーリーどころか、翌朝自分がフローリングに転がっていた理由も覚えていない。唯一覚えていたのは、グダグダな恋バナに飽きた友人の一人が、テレビ画面にアップになった某ハリウッド俳優を指差して言った「ナギ激似!」という一言だけだ。コンプレックスを刺激する言葉にしっかり覚醒して、「オトコじゃん!」と回らない舌で突っ込んだから。
母親が対峙する二人の男達の容姿は、自分以上にその「エルフ」とかいう種族に酷似していた。肌は色素の薄い緑色、耳も先端がピンと尖っている……映画と若干違って、コンタクトレンズか何かだとは思うが、瞳の白目と黒目部分の色が反対になっていた。
一人は百七十五センチある自分よりも背が高く、銀髪に反転した緑色の目をした恐ろしく美形、年は三十前後くらいだろうか……ローマ法王など聖職者が身につけるような、細かい刺繍を施された緑色のローブを身につけている。
もう一方は、自分よりも若干背が低く、黒い髪に同じく反転した黒い目をしていて、隣の華やかな美形に比較して多少地味ながら整った顔をしていた。黒と灰色を基調とした立襟のロングコートのような出で立ちをした男は、腰にはばっちり剣を携えている。
一目見るなり絶句……どう考えても、借金取りではない。
さきほど彼らは母を名前で呼んでいた。知り合いなのか一方的に知っているのか……以前、日本全国を走る強烈なデコトラがいると噂が立ち、テレビ局が母を取材しに来たことがあった。その際、かつて地元界隈では伝説のキャバ嬢と呼ばれていたことも大々的に取り上げられ、実年齢よりも随分若く見える母にその話題性から風俗業復帰の打診が山ほどやって来た。中には、店を一軒プレゼントするからと土下座して頼んできたかつての常連客もいた。
そんな楓の噂を耳にしてやって来たコスプレ・バーだかパブだかのスカウトマンだろうか?
ハリウッド映画の特殊メイク並みの扮装をした彼らを前に、凪はぼんやりと考えていた。
「凪っ? あっ……今こっち来ちゃダメっ、逃げな!」
「えっ? ……ぶわっ、痛い!」
呆然と立ち竦む彼女を振り返った母は、そう言って自分に塩を投げつけてくる。危機感をあおろうとしたのか、正気を取り戻させようとしたのか……顔面に力いっぱいぶつけられた塩が大量に目に入り、凪はあまりの痛さにその場に蹲ってしまった。
「姫っ……大丈夫ですか?」
常より二割り増し塩辛い涙を流して悶絶する自分の両肩をがっしりと掴み、覗き込んできたのは、背の低い方のコスプレ男(自分比)……歪んだ視界に黒い影が滲む。
姫って一体、なにっ?
目の前の自分に向けて発したであろうぶっ飛んだ呼号に、凪はゾワゾワした寒気を覚えた。どうやら格好同様に、彼らは脳みそまでおかしな世界の住人と化しているようだ。
「アタシの娘に触んじゃないよ! ……こらっ、放せや変態!」
「落ち着いて、カエデ……本当に、口が悪いのは変わってないねぇ。まぁ、つもる話はシルフェストレに戻ってからにしようか」
「だっかっらっ、アタシも凪もンなトコ行かねぇつってっだろーが!」
その肩越しに、大きい方のコスプレ男(自分比)と揉み合っている楓の姿が薄ぼんやりと映り込む。
「ちょっとっ、ママに何するの!」
変質者(多分)に羽交い絞めにされる母親の姿を目の当たりにした凪は、慌てて目の前の男を押しのけようとするが……
「落ち着いてください、姫。ロミュアルド様も私も、危害を加えるつもりはありません」
肩をがっちりホールドされていて、身動きがまったくとれない。細身に見えたが着痩せする性質のようで、両手で押しやろうとした胸板は硬い筋肉で覆われている。身長は自分の方が高いくらいなのに、いくら押してもビクともしなかった。
「何なのよっ……貴方達」
背が高い凪は、中性的な容姿をしていても、腕力は一般女子に劣る。運動神経もからっきしの鈍足で、身体も硬かった。大好きな母親を助けることもできない、見かけ倒しな我が身が情けなくて悔しくて、塩はあらかた洗い流されたのに、涙は引っ込むことなく目の奥から染み出してくる。
「……っ、……泣かないでください、姫」
そんな痛々しい凪の姿に、さすがに気の毒になってきたのか……コスプレ男(小)の腕の力は若干弱まり(それでも婦女子が抜け出せるほどではない)、声のトーンも幾分柔らかく落ちてくる。
「私達はただ……カエデ様とナギ様をシルフェストレの王妃と王女として、お迎えにあがっただけなのです」
はっ……?
またしても奇々怪々な話を口にした目の前のコスプレ男(小)に、凪の背中を猛烈な勢いで悪寒が駆け抜けるが……
「感動の再会が、こんな妙なかたちになってしまって済まないねぇ……初めまして、ナギ。私は正真正銘、君の本当の父親だよ」
次いで、母親を背中から拘束したコスプレ男(大)が笑顔で発した言葉に、目の前が真っ暗になった。