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膝枕への憧憬

タイトル詐欺ではないです。膝枕へのあこがれを書いていたらこうなりました。

 大規模な交通事故が起きたのに、当事者たちは一言も話そうとはしなかった。ドライブレコーダーがなかったわけでも、当事者たちに発音器官が存在しなかったわけでもない。その星の、さらにはその一部の地域で起こった事故がゆえに、こうなってしまっただけであった。


 地球から少しばかり離れた星では、ある生命体が文化的な暮らしを営んでいる。その生命体は、自身のことをtokellha星人(片仮名ではトケラ。地球の言語の発音に最も近いのがこれである。)と呼ぶ。さて、このtokellha星人にもいろいろな人種がいる。今回の主役はdiwkewe人(片仮名ではダイカエ)である。


 diwkeweの青年Aは、車のような乗り物に乗って移動する。彼にとって運転は日常の一部であり、交通事故などというものは非日常的体験である。この二つの考えを組み合わせてしまったゆえに、交通事故と関わることはないだろうという結論にたどり着いた。青年Aはその結論を信じていた。


――実際に交通事故と遭遇するまでは


 正気を取り戻した彼だが、事故が起きた瞬間の詳細の記憶は思い出せなかった。いや、違う。大雑把な記憶はある。だが、鮮明な記憶は出てこない。人の記憶はこうも曖昧だったのか、と僅かに悲観的になりつつあったが、冷静に自分がすべき行動を考えることにした。悲観的になったところで状況は変わらないのだ。青年Aが選択した行動は、通報以外なにもしない、だった。


 大丈夫ですか、と相手に声をかけるべきだっただろうか。しかし、下手に言葉を喋ってはならない。diwkeweの文化が、彼をそう思わせた。そこでは、処罰を絶対的な証拠主義と絶対的な法治主義にゆだねていた。感情を捨て、淡々と処置を決める。絶対的な証拠主義、人間の不明瞭かつ可変的な記憶に頼らず、動画と録音、つまり充分な再現性がある装置を重んじる文化だ。絶対的な法治主義、先人が築いた法をもとに処罰を決める文化である。ただし、文化といっても歴史は浅い。再現性がある装置を作らなければ、このような文化など存在しえないからだ。


 青年Aは記憶すべきことが大変だと常日頃から不満に感じていたが、なるほど、確かに不測の事態が起こると人間の記憶はあてにならないものである。青年Aは身をもって体感した。人間の不満も当てにならないものなのかもしれない。


 間もなくして、警察のような団体が到着した。しかし、それだけではない。法の専門家達も到着したのだ。私たち地球人にとって専門家といえばテレビ番組で解説している印象が強いので、なかなか想像ができない光景である。


 diwkeweでは矛盾を嫌う。それこそ、矛盾した証言により公的機関の真理の追究を妨害した場合に、それなりの刑罰を科されるほどには。当事者はもちろん、ただの目撃者でさえも証言をしない。証拠は装置に任せれば良いのである。そして、その装置の記録をまとめるのが法の専門家である。


 警察のような団体は周囲の録画装置や乗り物の録画装置を確認している。専門家達は、周囲を確認して今回の事故がどのケースに当てはまるのか話し合っている。そして、事故に遭遇した人達は、なにもしなかった。下手なことをすると、証拠を隠そうと思われるかもしれない。そう考えたのだ。実際はそんなことなく、ただの不安から生じる不正確な憶測であるが、いくら絶対的な主義の中で暮らしてきたといえども、人間らしさを捨てることはなかったようだ。


 事故に遭遇した人達はそれぞれ警察のような団体から身分証明書の提示を求められた。このときの緊張感は凄まじかった。一部の人以外の時が止まったと錯覚するような現場から、皆が動き始めたのだ。もちろん青年Aも提示した。いつもより敏感に、体が動くのを感じた。なぜ当事者以外の人も身分証を提示するのかは不明である。どこかの法律にでも記されているのであろう。専門家に聞いてくれ。


 さて、どれくらいの時間が経過したのかは分からないが、青年A達にも身体の自由が訪れた。当事者たちは場所を移動してもう少し話をする必要があるようだが、目撃者である青年Aは解放された。事故に遭遇して思ったのは、diwkeweの文化は面倒であるということだ。しかし、人間の記憶があてにならないことも実感していたので、青年Aは、diwkeweの文化が良いのか悪いのか分からなくなってしまった。


 帰宅をしたら、ゲームでもしよう。娯楽は感情を揺り動かしてくれる。diwkeweの文化の反動で、青年Aは感情の変化に軽く依存していた。やはり、diwkeweの文化は必要かもしれない。感情の変化の重要性を強く実感するには、感情を見捨てた世界を体験が必要があるからだ。自分の喜怒哀楽に感謝するきっかけとなったは、diwkeweの文化なのだから。


 そんなことを考えているうちに周りには人がいなくなっていた。早く帰宅しなくては。青年Aが去った後に残っていたのは、車のような乗り物と、そのうえに載りかけた同じく車のような乗り物だけだった。





その光景は、まるで膝枕みたいだった。




 帰宅後、友人との通話型のゲームをしていると


 ――何かあったか?良いことがあったのが、声色に出てるよ。


 ――今まで不満に思っていたのに、一つの出来事でこうも印象が変わる。やはり、人間の基準は当てにならないな。


 ――なんのことだ?


 ――だろうね。

という話は地球とは関係なく、私が膝枕を体験したいだけである。どのような感触なのだろうか、果たして安眠に効果はあるのだろうか、など疑問はたくさんある。しかし、一つ言えることは、膝枕を体験すれば、ほとんどの疑問を解消できるということだ。だから、誰か膝枕を体験させてくれませんかね?本当に一度体験してみたら世界が変わると思うのですよ。良いか悪いかは置いといて。膝枕をしてみたいですよ、本当に。誰かお願いしますよ。このようなところで、お願いするくらいには渇望してます。本当に膝枕には憧れますよ。

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