09 エピローグ(後)
――忘れられないことが、こんなにも苦しいとは。
最初は、そんなつもりはなかったんだ。
【ゆで卵製造機】を発明した女性が結婚すると聞いて、ちょうど仕事で近くにいたから、お忍びで覗いてみただけだった。
その式は見るに堪えないものだった。
しかし彼女は、婚約者のデーブィーと実の妹からの理不尽な仕打ちに対して屈しなかった。
断れば野良犬のような人生が待つという余地のない選択にも、彼女は己を貫いたんだ。
『わたしの人生は、わたしが決める……! だから、お断りしますっ!!』
震える膝であってもなお、光を宿した瞳。
赤い髪をなびかせて凜然と立ち向かうその姿はまるで、赤竜の血を受け継いだ戦乙女のようだった。
完全に、心を奪われてしまっていた。
ひと目惚れなんてバカバカしいと思っていた、この僕が。
生まれてこのかた衝動なんて感じたことのなかったのに、駆られていたよ。
気づくとステージの上にあがって、デーブィーの手を掴んでいた。
【心話術】を交渉や尋問に以外に使ったのは、彼女に対してだけ。
お姫様抱っこなんてしたのも、もちろん初めてだった。
孤児院では危うく、口づけをしそうになってしまった。
女性の顔を見て、心臓が高鳴るなんて……。
そして僕は、最大の過ちを犯してしまった。
あのデーブィに彼女を引き渡したらどうなるかなんて、わかっていたはずなのに……。
彼女を手放したときはほんの一時だったのに、まるで半身を裂かれたようだった。
デーブィが彼女に口づけしようとした瞬間、もう押さえられなくなっていた。
僕は初めて、心の底から誰かを憎んだ。
そして……愛してしまった。
しかし、僕にその資格はない。ひとつ間違えば、彼女は取り返しのつかない傷を負っていたかもしれないのだから。
僕のそばにいたら、彼女はもっと不幸になってしまう。
だから僕は今日、彼女を旅立たせた。
ひとりの朝食には、慣れていたはずなのに。
誰かと食事をともにするなんて、非効率だと思っていたのに。
向こうには誰もいないテーブルクロス、その水色は太陽のない空に見えた。
あれほど遠くにある月ですら、その光で彼女の頬に触れられるというのに。
僕には、許されない……。
でもこれが、彼女をもっとも幸せにする、効率的な方法。
だから……これでいいんだ。
僕のことは、忘れて……。
『……イヤですっ!!』
不意に頭の中で爆音じみた声がして、僕は椅子から転げおちそうになった。
『わたしの人生は、わたしが決める……! だから、お断りしますっ!!』
その言葉に頬を叩かれ、僕は立ち上がる。
「ああっ……! もう、どうなっても構うものかっ……!」
気づくと屋敷を飛びだし、馬を飛ばしていた。
「アンティィィィィーーーーークっ!! うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーっ!!!!」
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「アンティークお嬢様、もうすぐ着きますよ。ほら、すぐそこに見えるのがウエットランの検問です」
「……イヤですっ!!」
わたしは馬車のなかで絶叫していた。
「わたしの人生は、わたしが決める……! だから、お断りしますっ!!」
「ええっ!? いきなりどうされたんですか!?」
「御者さん! わたしウエットランには行きません! いますぐ引き返してくださいっ!」
「ここまで来ておいて!? それに、無理です! ここは道が狭いから、馬車を反転できないんです! いちど検問を通ってからでないと……!」
「でもそうしたら、二度とイースタリアには戻れませんよね!?」
「そりゃ、まあ……。明日は戦争かもしれないこんなご時世ですし、なによりアンティークお嬢様は国賓ですから……」
わたしは馬車の扉を開けようとした。しかし両隣にはギリギリに断崖があって扉が引っかかって開かない。
「あっ、そうだ、天井! サンルーフを発明しといてよかった!」
いまとなってはすべての馬車の標準装備となっている天井のルーフを押し開け、わたしは屋根に這い上がる。
「わあっ、アンティークお嬢様!? なにをなさるつもりで!?」
「帰るんです! ファルネロ様のもとに!」
「そんなムチャなっ!? ここからどれだけ離れてると……!」
「いま、まいりますぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーーーっ!!!!」
わたしは馬車から飛び降り失踪、いや疾走した。
「ファルネロさまぁぁーーーーーっ!! うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーーーーっ!!!!」
……決めた……! 決めたんだ……!
決めた! 決めた! 決めたんだ!
見つけた! 見つけた! 見つけたんだ!
出会えた! 出会えた! 出会えたんだ!
わたしが……!
僕が……!
一生を掛けてそばにいたい、男性を……!
一生を捧げても惜しくない、女性を……!
あのひとがいない世界なんて、もうありえない!
あのひとと一緒にいられるなら……!
わたしは……!
僕は……!
世界すらも、変えてみせるっ……!!
断崖を抜けると、わたしの目の前がパアッと開けた。
森を抜けると、僕の視界にあるすべてのものが輝きだした。
だって、そこには……。
なぜならば、そこには……。
ずっと一緒にいてもなお、夢にまで見るほどに好きな人がいたから……!
このお話はこれにて完結です!
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