07 古家具令嬢、DV婚約者を断罪する(後)
デーブィ様は急になにを思ったのか、腰に提げた剣を抜き払い、わたしを縛っていたロープを斬り捨てた。
はらりと落ちるロープ、何事かと静まりかえる客席、デーブィー様は両手を広げている。
「おいでアンティーク、結婚しよう。お前にもういちど、俺を愛する権利をやろう」
それは本人的にはやさしい微笑みのつもりなんだろうけど、わたしにとっては吐き気を催す薄ら笑いでしかなかった。
というか、この状況でプロポーズするのはバカを通り越してトチ狂ってるとしか言いようがない。
「いやです」
当然の即答をしたら、すぐにいつものバイオレンス顔に戻る。
「男のプロポーズを断る権利は、女にはないんだよ! やっぱりお前は、痩せたロバだ! こうなったら、いちから躾けなおしてやる!」
「そ……そんな権利、あなたにはありませんっ!」
「いいやあるさ! お前はまだ、俺の婚約者なんだからな!」
首のリードを引っ張って引き寄せようとするデーブィ様。
「こうなりゃ手っ取り早く、誓いの口づけといくか! 口づけさえしちまえば、結婚が成立する! お前は二度と俺から離れられなくなるんだよ!」
わたしは病院に行くのを嫌がる犬みたいに踏ん張って抵抗した。
「あ……あなたと結婚するくらいなら、売られたほうがマシですっ!」
「どこまでも俺をバカにしやがって! そこまで言うなら、売り物にならなくするぞ! 今度こそ本当に顔をズタズタにしてやるっ! それがイヤならいまここで、俺に抱かれろっ!」
「……イヤですっ!! わたしの人生は、わたしが決める……! だから、お断りしますっ!!」
「こ……この……! 俺の寛大なる慈悲を、無下にするとは……!」
振り上げられた凶刃が、頭上でギラリと輝いた。
最後の時を前に、わたしは目を閉じる。
不思議と涙はこぼれなかった。
そして、神にも祈らなかった。
だって……って、前にもこんなことなかったっけ?
気のせいかな。
どっちにしても、わたしはこれから二周目の人生の残りを、今度こそ本当にホームレスとして生きていくことになるんだ……。
しかしその瞬間は、いつまで待ってもやってこない。
おかしいなと思い、おそるおそる目を開けてみると……。
「何度言えばわかる」
そこには実際に経験してなお、夢にまで見ていた光景が広がっていた。
「彼女は、軽く扱ってはならぬ女性だ」
ファルネロ様っ……!?
白タキシード仮面さんの正体は、なんとファルネロ様。
それにしてもすごいデジャヴ、としか言いようのない状況だった。
結婚式の時と同じ、ファルネロ様はデーブィー様の腕を捻り上げている。
しかし以前に比べてファルネロ様に熱気というか、感情めいたものを露わにしていた。
「ダイヤモンドのように、丁重に扱えっ……!」
力を込めるあまりデーブィー様の腕が曲がってはいけない方向に曲がり、骨が砕けるような音がした。
「うがあああっ!? 腕がっ、腕がぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
デーブィー様はもんどりうって倒れ、ステージ上をのたうち回る。
あの時と同じく、ファルネロ様はそんなデーブィ様にはもう一瞥もくれない。
わたしのほうに近づいてきて……って、ええっ!?
「ひゃっ!?」
思わずへんな声が出てしまった。だっていきなり抱きしめられたのだから。
『よかった……!』
その声は、まるで自分のしたことを悔いるような、心の底から安堵するような声だった。
「あ……あの、ファルネロ様……? これは、いったい……?」
その答えはすぐに得られた。
オークション会場の扉が一斉に蹴破られ、見覚えのある兵士さんたちがなだれこんできたからだ。
その先頭に立っていたのは、他ならぬゲイブさんだった。
「イースタリア憲兵局だっ! 動くな! お前たちを人身売買容疑で逮捕するっ!」
客席は一瞬にして、ハチの巣を突いたような大騒ぎ。悲鳴と怒号が飛び交いはじめる。
デーブィー様は腰を抜かしたような体勢で、ワナワナと震えていた。
「イースタリア憲兵局……!? そ……そんなバカな……!? ここは、ウエットラン帝国のはずじゃ……!?」
「ここはイースタリア領でもあり、ウエットラン領でもあるんだ」とファルネロ様。
「それはいったい、どういうことですか!?」とデーブィー様。
「紛争地域ということですか?」とわたし。
「その通り。国境沿いのここは、イースタリアとウエットラン双方が領有権を主張する、いわば紛争地域なんだ」
それが意味することは、ただひとつ。
「イースタリアとウエットラン、両方の法律が適用される可能性がある地だ」
ようは、双方の主張次第ということだ。
「じ……人身売買の容疑を着せるために、俺をハメたってことか!?」
「罠を仕掛けたのはお前にだけじゃない。アンティーク嬢というエサに釣られてノコノコやってきた、ウエットランの貴族もそうさ」
ファルネロ様がデーブィー様をハメた理由はわからないけど、これは完全に諸刃の剣だ。
だって、この場にファルネロ様もいるということは……。
「バカめ! お前もろとも捕まるじゃないか!」
「僕は捕まらないよ。今回の作戦は、僕が総指揮をしているからね」
「く……クソっ! しかしここが紛争地域なら、すぐにウエットランの国境警備隊が駆け付けて……!」
「それもないな。ウエットランの国境警備隊は締め出してある」
「は……ハッタリだ! 敵国の警備隊にそんなことができるわけがない! それこそ戦争に……!」
「知らなかったか? 僕はイースタリアだけでなく、ウエットランの上院公爵でもあるんだ」
「「ええええっ!?」」
これにはわたしもデーブィー様と仲良く仰天してしまった。
だって、ふたつの国で爵位を得るなんて……。
しかも、領土問題を抱えている国どうしでなんて……。
常識から考えて、ぜったいにありえないことだからだ。
わたしの前世で例えるなら、アメリカの大統領行政府局員と、中国の中央政治局委員を兼務するようなもの。
さらなる驚きは続く。
「最後に、さきほどの言葉に補足をしよう。この地はイースタリアとウエットラン、両方の法律が適用される可能性があると言ったけど……」
わたしは彼の背中に、【氷帝】の証である薄氷のマントが翻るのを見た気がした。
「それを決めるのは、この僕……! ここは、僕が所有する領地だからね……!」
「う……うそだぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!?!?」
これが悪い夢であってくれとばかりに、頭を押さえて転げ回るデーブィー様。
「デーブィー・フール・グリードデン! 人身売買の罪として、お前を逮捕する!」
しかし敵もさるもの。往生際の悪さでは一級品だった。
デーブィー様はわたしの足元まで転がってきたかと思うと、ダニのように跳ね起きる。
いつのまにか抜いていたナイフを、わたしの鼻先に突きつけた。
「動くな! 動いたら、ザックリいくぞ!」
ステージの下からゲイブさんが駆け上がってきたけど、ファルネロ様の手によって制されていた。
「デーブィー・フール・グリードデン! お前はもう包囲されている! 罪を重ねるようなマネはやめて、大人しく投稿しろっ!」
「だれがするかっ! このままじゃ、俺は終わりだっ! コイツがいれば、俺はやり直せるっ! やっと気づいたぜ……コイツは最高の女だってな!」
デーブィー様はもう離さないとばかりにわたしの首筋に手を回す。
ナイフの刃で、わたしの首筋をヒタヒタとなぶった。
「さぁ……逃亡の新婚旅行といこうか……! おっと、その前に、誓いの口づけを……!」
わたしはナイフの首を押され、上を向される。
そこには鳥肌モノの、キス顔が……!
……ゾクッ……!
とした。
しかしそれは、デーブィー様のせいじゃなかった。
だって彼はすでにわたしから顔をそらし、凍りついたような表情をしていたから。
その視線の先には……。
闘気のように吹雪をまとった、ファルネロ様が……!
「これほどの激情が、僕にもあったとは……! すっかり忘れていたよ……!」
それは並の人間なら、直視しただけで失禁してしまいそうな恐ろしい顔だった。
みるみるうちに、ステージが氷に覆われていく。
お……怒ってる……!? あのファルネロ様が、本気で……!?
デーブィー様は動かない。いや、動けなくなっていた。
まるでメデューサに睨まれたかのように、ピシピシと音をたてて氷結していく。
す……すごい……! 眼力だけで、人を凍らせるなんて……!?
わたしはデーブィー様から離れる。彼は断末魔すら許されず、無言のまま氷漬けになってしまう。
しかもいちど吹き荒れてしまったブリザードは、その程度のことではおさまらなかった。
「貴様には……! 醜き氷像になり、永遠なる生き恥をさらすことすら生ぬるいっ……!」
落ちていた剣を蹴って跳ね上げてキャッチし、デーブィー様に向かって振りあげる。
「お……おやめください! ファルネロ様っ!」
いくら重罪人でも、相手は貴族。
いくら神廷口添人でも、神廷の手続きを経ずに極刑を下すことは許されない。
わたしはとっさに、彼に抱きついていた。
「あなたの手を、わたしのために汚さないで……!」