05 古家具令嬢、妹を断罪する(後)
「ああそうだよ! この孤児院にこっそり邪神像を置いて、邪神信仰の罪をおっかぶせるつもりだったんだ! そうすりゃ聖女もガキどももみーんなまとめて始末できる! この土地はそっくりそのままレイちゃんのものだったってわけ!」
聖女に邪神信仰の罪を着せるというのは、荒唐無稽なやり方に思える。
でも道教思想が強かった古代中国では、ライバルを蹴落とすために官僚の間などで行なわれていた手法だ。
下手をすれば処刑されていたかもしれない聖女さんは、「ひ……ひどい……!」と卒倒しそうなくらいにショックを受けていた。
「きゃはっ! どっちにしたってこの孤児院は無くなるんだよ! レイちゃんがパパとデーブィー様に頼んで、庶民どもに寄付をしないように圧力をかけてるんだからね! お前たちはそのうち干からびるんだ! きゃはっ! きゃはっ! きゃははははははははは!!」
三日月のように背筋を反らして哄笑するレイティスト。
庶民に寄付をさせないように貴族が圧力を掛ける行為は、いまのこのイースタリアの司法では裁くことはできない。
せっかく立ち退きの罠を回避したというのに、この孤児院は終わりなの……!?
しかし思わぬところから助け船がやってきた。
しかも小船ではなくて、豪華客船クラスのやつが。
「ならば、僕が寄付しよう」
「「「「「ええっ!?」」」」」
びっくりしすぎて、その場にいる全員がハモってしまった。
孤児院に寄付するのは庶民だけで、貴族は聖堂にしか寄付をしない。
理由は簡単で、孤児院に寄付したところで貴族にはなんのメリットもないからだ。
しかも非情として知られる、あの【暴君】が寄付をするなんて……。
誰もが唖然としてしまうのも無理はないだろう。
特にレイティストは、殺人鬼が献血しているところを目撃したような顔になっていた。
「な……なんで、そんなことを……!?」
ファルネロ様は子供たちを見やる。
その視線は相変わらず厳しかったけど、すでに極寒は無く、静謐なる湖畔のごとき穏やかな青をたたえていた。
「子供は、可能性という名の翼を持つ小鳥だからだ」
「はぁ!? 貧民に可能性なんて……!」
「可能性に貴賤はない」と、いつになく力強い口調で言い切るファルネロ様。
「だからこそ彼らを身分や貧富、人種や性別などという籠で閉じ込めてはならないんだ」
「そ……それならあなた様のお力で、レイちゃんを聖女にしてくださいっ! お金があれば、レイちゃんはこんなことをせずにすんだんです!」
レイティストはおねだりも得意だった。
厚顔無恥にブリッ子という名の厚化粧で、いままで様々な要求を通してきた。
「ああっ、なんてかわいそうなレイちゃん! それに貧民なんかにお金を使うくらいだったら、レイちゃんに使ったほうがずっといいです! 貧民が籠の中の小鳥なら、レイちゃんは籠の中の妖精……!」
しかし今回ばかりは相手が悪すぎる。
というか、この状況でおねだりするのはバカを通り越してトチ狂ってるとしか言いようがない。
「籠すら生ぬるい……」
【暴君】は吸血バエでも見るような、蔑みきった視線をレイティストに向けていた。
「お前には、鉄格子こそがふさわしい。さぁ、連行しろ」
妹は兵士さんたちに引きずられながら、なおも喚き散らしていた。
「フンだ! パパに頼めばすぐに戻ってこれるんだから! 覚えてろよ! レイちゃんは欲しいものはぜんぶ手に入れてきた! だからこの孤児院も、どんな手を使ってでも……!」
貴族というのは、裏取引を持ちかけて罪をもみ消す。
しかしファルネロ様にはその手は通用しなさそうだ。
この調子だと、マルール家における初の罪人が誕生するのは時間の問題だろう。
兵士さんたちが引き上げていき、孤児院はいつもの活気を取り戻す。
「あの子供たちはなにをしているんだ?」
ファルネロ様の視線の先には、少し離れたところでチョコレートケーキの乗った皿を持ってもじもじしている子供たちがいた。
わたしはちょっと意外に思う。
ファルネロ様はすべてを見通しているような洞察力があるのに、子供たちのことがわからないなんて。
「助けてもらったお礼と寄付のお礼に、ファルネロ様にチョコレートケーキを召し上がっていただきたいんだと思います」
「そうだったのか。でも僕は神廷口添人として、そして大人として当然のことをしたまでだ。感謝されるいわれはないが」
「ひょっとして、チョコレートケーキはお嫌いですか?」
「いいや」
「それなら、召し上がってあげてください。そのほうが、子供たちも喜ぶと思います」
「そうか」
おもむろに子供たちに向かって歩きだすファルネロ様。
そのオーラはハンパなく、子供たちは冷気を感じたように震えあがっていた。
わたしも彼らのそばに行ってしゃがみこんで、「怖がらなくてもいいからね」と頭を撫でる。
こわごわと差し出された皿から、チョコレートケーキをつまんで口に運ぶファルネロ様。
そして一言。
「これはチョコレートではないな」
あっさり言い捨てて、ぷいっと背を向ける。
「ちょ……ファルネロ様!?」
たしかにその通りで、これはチョコレートじゃない。
高価なカカオのかわりに、キャロブというマメ科の植物が使われている。
豆腐ハンバーグみたいなものなんだけど、わたしは毒味したときに敢えてそれは言わなかった。
だって子供たちが、いっしょうけんめい作ってくれたものだから……。
バッサリ切り捨てられた子供たちは肩を落としていた。
あまりの無神経さに、わたしは怒りを覚える。
【出しゃばり】と怒られても、これは言っておかなきゃとわたしは立ち上がった。
しかしファルネロ様は背中ごしに、こう続けた。
「味は悪くない。ならば、正しいものを知るだけだな」
「えっ?」
ファルネロ様は天に向かって、パチン! と指を鳴らす。
すると、奇跡が起こった。
掲げた親指の先から水がほとばしり、弾ける。
水滴が空に浮かんで、陽光を受けて宝石のようにキラキラと輝きだした。
宝石から生まれた七色の光が、空に虹を架けていく。
「ふわぁ……!」
それが夢みたいな美しさだったので、わたしも子供たちも瞬きをするのも忘れて見入ってしまう。
しかもサプライズはそれだけじゃなかった。
「さぁ、虹を召し上がれ」
振り向いたファルネロ様の両手には、こぼれ落ちんばかりのマーブルチョコレートが……!
「わ……わぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーっ!?!?」
これには子供たちの顔も、パァァ……! と華やいだ。
ファルネロ様はあっという間に、孤児院じゅうの子供たちに囲まれる。
そこには、笑顔が咲き乱れていた。
「お……おいしいーっ! チョコレートって、こんなにおいしいんだ!」
「初めて食べた! ほっぺが落ちちゃいそう!」
「ありがとう、ファルネロ様っ!」
わたしはこのとき、ファルネロ様の穏やかな顔というものを初めて見た。
【暴君】なんて言われて恐れられてるけど、こんな顔もなさるんだ……。
眉間にシワが無いだけけなのに、いつもの厳しい態度からするとすごいギャップだ。
あまりの落差に耐えきれず、わたしの胸は思わずキュンとしてしまった。
それからファルネロ様は、乗ってきた馬車の御者に命じ、馬車に積んであるチョコレートを運びこませる。
それがまたすごい量だったので、二度びっくり。
中庭に山と積み上げられていくチョコレートを、わたしはヒジ置きになった状態で「はえー」と眺めていた。
『なんで、こんなにチョコレートが……?』
「職務中は甘い物が欲しくなるから、チョコレートは常備してあるんだ』
『そっか、神廷口添人は頭を使いますからね』
『ところで、キミにもご褒美をあげないとね」
『えっ?』
と顔をあげたわたしは、思わず飛び上がりそうになっていた。
ファルネロ様はしゃがみこんでいて、そのお顔がドアップであったからだ。
それはまるで、月が落ちてくるような衝撃。
一瞬にして全身が硬直して動けなくなってしまう。
真っ白にいなるわたしに構わず、ファルネロ様はどんどん顔を近づけてくる。
吐息を感じ、鼻先が触れあう。わたしは魔法に掛けられたみたいに、自然と目を閉じていた。
唇が押し開かれる。
とろけるような感覚が、口いっぱいに広がって……。
「って、あんまぁ~~~~~っ!?!?」
あまりの甘さに、わたしの身体は反射的にエビ反る。
わたしの腰はファルネロ様に抱かれていたので、フィギュアスケートのペアダンスでフィニッシュポーズをキメたような体勢になってしまった。
目を見開くとそこには、チョコレートの粒をつまんだファルネロ様が。
『とっておきの、極甘チョコレートだよ』
紗がかった視界の向こうにあったのは、たぶん幻想。
あの【暴君】がいたずらっぽい笑顔で、星が出るようなウインクをしているところだった。