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03 古家具令嬢、花開く

 ――わたしの声は、ほんの小さな霞雲。



 日陰にも恵みの雨にもなれず、そのまま消えていく。

 そう思っていた、今日という日までは。


 わたしは出ていくタイミングを逸し、流されるままに馬車の中で揺れていた。

 対面の席には優雅に脚を組んで座るファルネロ様が。


 マルール家やデーブィー様の馬車は狭くて脚なんて組むと当たってしまう。

 デーブィー様はそれでもかまわず脚を組んでたんだけど、ファルネロ様の馬車はまるで応接間みたいに広々としていているので蹴られることはない。


 さすが、神廷口添人だけある。

 しかし事件とはいえ、なんで孤児院に出向いてるんだろう?


 神廷口添人というのはその性質上、事件の現場検証なども行なう。

 しかし動くのは、王族や貴族が関わっている場合だけ。


 言い方は悪いが、孤児院は貧民の象徴みたいなものだ。

 デーブィー様なんて目に入れるのも嫌がっていたのに……。


 どうしても気になったのと、こんなイケメンとふたりっきりでいるのは落ち着かないのでついつい口を開いてしまった。


「あの……よろしいんですか?」


「なにがだ?」


「わたしみたいな女とふたりっきりで馬車に乗っているところなんて見られたら、へんな噂が……。」


「言わせておけばいい。だいいち、僕には恋人はいない」


「えっ、そうなんですか? どうして……?」


 あっ、しまった。ちょっとしたジャブのつもりだったのに、あまりに意外だったからつい踏み込んじゃった。

 蹴りが飛んでくるのを覚悟したんだけど、ファルネロ様は嫌な顔ひとつせず教えてくれた。


「恋愛は非効率だからな。後継者が必要なら、優秀な養子を迎えればいい。……ところで、本当に聞きたいのはそんなことじゃないだろう?」


 本命の質問の前に当たり障りのない話から始めるのは、わたしのクセだ。

 父やデーブィー様は虫の居所が悪いと、「女が男にしていいのは、男を立てる話だけだ!」って怒るから。


 わたしのそんな卑屈な考えすらも、彼は完全に見透かしていた。


「神廷口添人である僕が孤児院に向かっている理由は、僕から憲兵局に頼んでいたからだ。孤児院で起きた事件はどんな小さなものでも報告するようにと」


「あっ、そうだったんですね。でも、どうして……?」


 しかしその答えは得られなかった。馬車が目的地に着いたからだ。

 孤児院はロープで立ち入り制限がなされており、そのまわりには憲兵局や衛兵局の兵士さんたちが多勢いる。

 みんな武装していて、実にものものしい雰囲気だった。


 彼らはファルネロ様に気づくと、一斉に直立不動になって敬礼する。

 すぐさま、現場を仕切っていそうな高位の憲兵さんが飛んできた。


「ご足労ありがとうございます! ファルネロ様!」


「かまわないよ、ゲイブ憲兵支部長」


 コワモテのゲイブさんは、わたしを見てさらに怖い顔になった。


「あっ、おい女! なんだ貴様は!? 近づいてはならん!」


「彼女は僕の助手だ」


「えっ、そうなのですか!? 女を助手にするなんて……!」


 イースタリアでは女はほとんどの仕事に就くことができない。

 できることといえば、主婦、娼婦、メイド、聖女くらいだろうか。


 神廷口添人の助手なんて、天と地がひっくり返ってもありえないことだ。

 ゲイブさんの号令一下、兵士さんたちが人垣を作ってわたしたちを阻む。


「イースタリア神法にもあります! 神聖なる司法に、無知蒙昧なる女を関わらせてはならないと! 神法に背くことは、いくらファルネロ様でも許されませんぞ!」


 こればかりはファルネロ様の鶴の一声であっても不可能だろう。

 しかし彼は顔色ひとつ変えず、わたしの頭にヒジを置きながらこう言ってのけたんだ。


「訂正しよう、これは僕の新しいヒジ置きなんだ」


 とんでもない詭弁だった。


「ヒジ置きすら持ち込めない現場なら、僕はここで裸になる必要があるな」


 サーコートの腰に手を掛けベルトを外しかけた時点で、勝負は決する。


「お、おやめください、ファルネロ様! わ、わかりました! ヒジ置きでしたら、持ち込んでいただいて問題ありませんっ! おい、みんなどけ!」


 鎧をガチャガチャと鳴らし、慌てて道を開ける兵士さんたち。

 その様は、まるで海が割れるかのようだった。


 兵士さんたちの間を悠然と進み、孤児院へと入っていくファルネロ様。

 わたしはその後ろを、おそるおそるついていった。


 事件のあった中庭では、孤児院の管理人であろう中年の聖女さんと、みすぼらしい子供たちが縛られて跪かされている。

 そんな中で誰よりも大騒ぎしていたのは、思いも寄らぬ人物であった。


「なにをグズグズしているの!? コイツらはレイちゃんを殺そうとしたのよ!? さっさとまとめて処刑しなさいよ! このレイちゃんを待たせるなんて、いい度胸してるじゃない! このグズっ!」


 ゲイブさんにクレーマーのごとく詰め寄ってきたのは、わたしがいまいちばん会いたくない人物のツートップ。

 その一角を担う、わが妹であった。


「ハァ!? あるお方の到着を待っていた!? 誰よソイツ! どうせクソザコでしょう!?」


 彼女は視界の隅にファルネロ様を捉えた瞬間、態度が一変。


「ふぁ……ファルネロ様ぁ……! レイちゃんのために、来てくださったんですね!」


 しかしファルネロ様は相手にせず、憲兵から状況を聞こうとする。

 レイはその間に割って入ってまくしたてた。


「レイちゃんは孤児院の視察に来たんです! そしたら馬糞で殺されそうになりました! レイちゃんのやさしい心を、この者たちは踏みにじったんです! ひどいと思いませんか!? うわぁーーーーんっ!」


 いつものウソ泣きをしていたけど、ファルネロ様はガン無視。

 聖女さんは本気の涙で訴えていた。


「殺すなんてとんでもないです! それに、馬糞じゃありません! 子供たちが作ったケーキです!」


 中庭の真ん中には飾り付けされたテーブルがあった。

 【ようこそ! レイティスト・スティル・マルール様!】という横断幕掲げられている。


 テーブルの上にはチョコレートケーキがあって、その傍らにはハトの死骸が横たわっていた。


 レイティストはデーブィー様と同じくらい、貧民を毛嫌いしている。

 だからたぶん、彼女の言う馬糞というのはあのチョコレートケーキのことだろう。


 現場をひととり見て回ったファルネロ様は、もうそれが当たり前であるかのようにわたしの頭にヒジを置いた。


「ふむ、チョコレートケーキに毒が盛られていて、それを人間が口にする前に、ハトが食べてしまったということか」


 イースタリアにおいて毒というのはポピュラーな暗殺方法だ。

 毒を検知する技術はまだないので、貴族たちは毒味役を雇ったりして自衛している。


 この事件の争点のひとつとしては、チョコレートケーキに毒が盛られているかどうかだ。

 容疑者が貴族の場合は、死刑囚などを使って検証が行なわれるんだけど……。


 孤児院の聖女さんが容疑者だと、検証なんて行なわれないだろう。

 ここで反証ができないとレイティストの言い分が一方的に通り、聖女さんは処刑される。


 たぶん、聖女さんはやってないと思う。

 でもそれを主張する権利は、女のわたしにはない。


『やってごらん』


 わっ、びっくりした。

 あっ、そうだった、ファルネロ様は心話術の使い手だったんだ。


 顔をあげると、おおきな腕があった。それはわたしを守ってくれる屋根みたいで、不思議な安心感がある

 その隙間から覗いてみると、ファルネロ様もこっちを見つめていた。


 水面のような碧い瞳にはわたしの顔だけが映っている。

 薄暮の家のなかでふたりっきりでいるみたいで、なんだかドキドキ。


 わたしは胸の高鳴りを悟られないように、心のなかで語りかけた。


『やってごらん、って……。いいんですか? 女が司法に口を出したりしたら……。あっ、そっか、いまのわたしはヒジ置きでしたね』


 ファルネロ様の意図を察したわたしは、久々にやってみることにした。


 【出しゃばる】を……!


「あの……そのチョコレートケーキには、毒は入ってません!」


 すると、ファルネロ様のすぐそばで控えていたゲイブさんが飛び出してくる。


「なっ!? 女ぁ、身の程を知れ! 関係者でもない貴様が、この場にいられるだけでも奇跡だというのに! 次に口を開いたら……!」


 わたしの第一声は、大工の目の前で出てきた釘のように打たれかける。

 しかしすぐさま飛んできたカウンターの金槌によって弾かれた。


「彼女の発言は、僕の発言だ。異議を申し立てるのなら、それ相応の覚悟があってのことだろうな?」


「えっ!? そ、そんな!? めっそうもない……!」


「ならば、黙っているがいい」


 それでゲイブさんは消沈したんだけど、もっとうるさいのが出てきた。


「きゃはっ! また目立ちたいからって、適当なこと言ってるぅ~!」


「適当じゃないです。ちゃんと根拠もあります」


「へぇぇ、じゃあそこのハトは、どうやって死んだっていうのよ?」


「それは、もちろん毒です」


「ハァ? あんたおバカぁ? ううん、ハトだったのね! ついさっきまでの発言を忘れるなんて! 3歩歩いたらぜんぶ忘れるハトだわ! 今度から【ハトポッポ令嬢】って……!」


 わたしの揚げ足を取ったのがそんなに嬉しいのか、サルのように両手を叩いてキャッキャッとはしゃぎたてるレイティスト。

 というかまだ説明の途中なんだから、黙っててほしい。


「わたしが言いたいのは、このケーキはハトにとっては毒で、人間にとっては無毒ということです」


「ハァ~? やっぱりおバカだわ! そんなケーキ、あるわけが……!」


「あります。チョコレートはテオブロミンとカフェインが含まれています。それがチョコレートのいいところではあるんですけど、ハトにとっては有害なんです。食べると、最悪死んでしまうことがあります」


「テオ……? カフェ……?」


 聞いたことのない単語に、ラッキョウを与えられたサルのような顔になるレイティスト。

 おそらくレイティスト派なのであろう、ゲイブさんが見かねた様子で加勢する。


「な……ならば女! 貴様がそのケーキを毒味してみせよ!」


 そうやって脅せば、わたしが臆して大人しくなると思っているんだろう。

 でもわたしが何のためらいもなくケーキの切れ端を口に運ぶと、ファルネロ様以外の誰もが「ええっ!?」と目を丸くしていた。


「ん……! おいしい! とってもおいしいチョコレートケーキです!」


 それまで容疑者の子供たちはしおれていたんだけど、わたしの一言で芽吹くように顔をあげた。


「お……お姉ちゃんは信じてくれるの!?」


「もちろん! あなたたちが腕によりをかけて作ったんでしょう? 毒なんて入ってるわけがないわ!」


「うん! レイティスト様に喜んでもらいたかったんだ! でもレイティスト様はひと目見て、馬糞だって……!」


「最近、寄付が少なくなってきたから、ためたお金を出し合って材料を集めたんだ! それなのに……!」


「しかもハトが死んだら大喜びして、すぐに衛兵を呼んだんだ! 僕らが毒を盛ったって……!」


 わたしのまわりに集まってきて、わぁわぁと訴える子供たち。


 とりあえず、毒殺容疑は晴れたみたい。

 命を狙われたわけではないとわかり、レイティストもホッとしてることだろう。


 しかし彼女は想像とは真逆の反応。

 ニホンザルのような顔でわたしを睨みつけ、「ぐぎぎ……!」と歯噛みをしていた。

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