01 古家具令嬢、婚約破棄される
――忘れられないことが、こんなにも苦しいなんて。
わたしはなぜか、前世の記憶を持っている。
平凡なOLだったわたしが生まれ変わった先は【イースタリア神国】にある、子爵の家庭。
【アンティーク・セディア・マルール】、それがわたしの名だ。
前世のわたしは大人しくて、まわりからいいように使われていたような気がする。
その後悔からか、わたしは幼い頃から前世の知識を使い、あらゆる主張や提案をした。
おかげで、一騎当千の活躍を果たし……。
なんていうのは創作の中だけだと気づくのに、それほど時間は掛からなかった。
だって、このイースタリアでは、
『女と鏡台は、静かで美しいものに限る』
そんな言葉が当たり前のように使われているくらい、男尊女卑だったから。
女というのは、男の暮らしを便利にする家具と同じだった。
それでもわたしはがんばった。そんな世界を少しでもマシにしたかったから。
でもたったひとりでできることなんて、たかが知れている。
わたしの功績はすべてまわりの男たちに取られ、わたしに与えられたのは不名誉なアダ名だけ。
しかもそれを名付けたのは、血の繋がった家族だった。
「うるさいぞ、アン! 男のすることに口出しするなと何度言ったらわかるんだ!? お前みたいにでしゃばる女は見たことがない! 少しはレイを見習ったらどうだ!」
「きゃはっ! アンお姉様ったら、またキーキー言ってる! お猿さんみたい! ううん、まるで古い家具……【古家具令嬢】だわ!」
しかも、わたしは背が低くて、赤毛で黄土色の瞳をしていた。
髪の毛はすごいクセっ毛で、朝起きた時は雷に打たれた人みたいになっている。だから髪型はずっと三つ編み。
それらはこのイースタリアでは、不幸を呼ぶ小悪魔の容姿とされていて、妹からよく【いいとこナシ令嬢】なんてからかわれたものだ。
かたや妹のレイティストは容姿端麗でストレートヘア、背も高くてプロポーション抜群。
足し算もロクにできないし新聞の読み方もわからないバ……なんだけど、それがイースタリアにおける【イイ女】の第一条件。
妹は【窓辺のマーガレット】なんて呼ばれ、男たちの憧れの的だった。
当然のように両親はレイティストばかりをかわいがり、わたしはメイドのように扱われた。
妹は欲しいものはなんでも買ってもらえたのに、なぜかわたしのものまで欲しがった。
わたしが少ない小遣いをためて買った本とかも泣いて欲しがり、両親を味方にしてもぎ取っていった。
その本のページを破いて暖炉に投げ込んではしゃぐ妹と、ニコニコとそれを見守る両親。
その光景は、わたしにとって地獄そのものだった。
わたしは一刻も早く、この家を出たいと思うようになっていく。
それは両親も同じだったようで、わたしが16歳になってすぐに縁談を持ってきた。
「古家具を置きっぱなしにしていたら、家が傾く! さっさと【処分】せんとな!」
この頃になると、父はわたしのことを完全に粗大ゴミ扱い。
レイティストに至っては小指を立てながら、祝福とも嘲りともつかないことを言っていた。
「おめでとう、アンお姉様! 相手は男爵様ですって? もう! 取らないって! レイちゃんの運命の赤い糸はシルクでできてるから、そんなクソザコじゃ釣り合わないわ! きゃはっ!」
わたしを引き取ってくれたのは、父の部下にあたる【デーブィー・フール・グリードデン】男爵。
すぐに婚約の手続きがなされ、わたしはデーブィー様のお屋敷で暮らすことになる。
しかしこれは出世のための足掛かりの婚約だったので、彼はわたしの手を握ろうともしなかった。
イースタリアの法律では、女は2年間の花嫁修業をしてからでないと結婚できない。
しかもいちど結婚したら最後、女は再婚できないので、捨てられないように尽くす必要がある。
わたしはデーブィー様を愛していたわけではないけど、拾ってもらった以上は役に立たなければと思い、ここでもまた前世の知識を使った。
今度は、得られた功績をすべてデーブィー様の手柄になるようにする。
そのおかげかはわからないけど、彼は男爵から伯爵への昇格を果たし、わたしの父の上司となった。
これで、わたしは初めて……。
いちども褒められたことのないわたしでも、「よくやった」くらいの言葉はもらえるんじゃないかと思っていた。
しかしわたしに与えられたのは、憎しみが詰まったような拳だった。
「女のくせに出しゃばるな! キーキーうるさいだけでなく、俺のまわりをコソコソしやがって! お前は古家具どころか、呪いの家具だ!」
デーブィー様は前世でいうところの【DV男】というやつで、気に入らないことがあると暴力を振るった。
人前に出ることがあるので顔は殴られなかったんだけど、気絶するまで腹を殴られたときは古家具というよりも、サンドバッグになった気分だった。
前世の記憶を持っていることが、こんなにも苦しいなんて……。
この世界でのわたしは、どこへ行っても地獄しかないんだ……。
そう、思っていた。
しかし、悪いことばかりではなかった。
2年間の花嫁修業を終えて結婚式をすることになったんだけど、そのプロデュースをレイティストが引き受けてくれたんだ。
「アンお姉様の結婚式は、このレイちゃんにまかせて! 最高の式にしてあげる!」
それは思ってもいなかった申し出で、正直うれしかった。
だってわたしのものを奪うことしかしなかった彼女が、わたしのためになにかしてくれるなんて。
「最近の結婚式は誓いのキスの前に、ステージの上でダンスを披露するのが流行ってるの! アンお姉様はダンスが苦手でしょ? レイがしっかり教えてあげるね!」
レイはわざわざデーブィー様役まで買ってでてくれて、連日ふたりでダンスの練習をした。
「いい? 足運びだけは注意して! もしパートナーの足を踏んづけちゃったりしたら、笑い物になっちゃうんだから!」
わたしはデーブィー様に恥をかかせてはならないと、いっしょうけんめいステップを覚えた。
そして結婚式の当日。予行練習をさんざんしていたおかげで、式はつつがなく進む。
いよいよ誓いのキスの前のダンスとなったんだけど、そこで事件は起こる。
ダンスのクライマックスのときにデーブィー様はステップをミスったのかわたしの足を踏みそうになっていたので、わたしはあわてて足を引っ込めて避ける。
しかしデーブィー様は、なおもわたしの足を踏もうとしてきた。
そのたびにわたしは避けたので、そこからはダンスというよりも足でモグラ叩きをしているみたいになる。
ステージ下の客席からはとうとう失笑が起こり、気づくとはわたしは首根っこを掴まれてステージの壁に押しつけられていた。
目の前には、ニホンザルのような恐ろしい顔をしたデーブィー様が。
「貴様! どこまで俺に恥をかかせれば気が済むんだ!」
そして、信じられない一言が、彼の口から飛びだした。
「男から足を踏まれたら、上を向いて目を閉じる! 女として、そんな当たり前のことすらもできないとは思わなかったぞ!」
いつのまにかステージ上にはレイティストがいて、泣きべそをかいているような表情でデーブィー様の腕にすがっている。
よく見たら彼女は、わたしより派手なウエディングドレスを着ていた。
「ごめんなさい! デーブィー様! なにもかも、レイちゃんがいけないんです! レイは説得したんですけど、アンお姉様は、足を踏まれるなんて、ぜったいに嫌だって……!」
これはレイティストが得意とする、涙を一滴も出さないウソ泣きだ。
彼女は乾いた瞳をわたしに近づけてきて、そっと耳打ちした。
「あんたなんかに伯爵様はもったいないわ。だから、レイちゃんがもらってあげるね! きゃはっ!」
……ハメられたっ!
彼女はこの結婚式をメチャクチャにするために、プロデュースを買って出たんだ。
デーブィー様はを片手で吊り上げたまま、空いているほうの手でレイティストの腰を抱き寄せる。
「やはり俺は、レイティストと婚約するっ! いまだからこそ言おう! 俺とレイティストは、赤いシルクの糸で結ばれていたのだ!」
客席からどよめきが起こり、わたしはようやく首吊りか解放される。
前屈みになってゴホゴホと咳き込むわたし。三文芝居はなおも続く。
「お前のような欠陥女には、ほとほと愛想が尽きた! 婚約破棄だっ、アンティーク!」
レイティストはわたしのかわりに「そ、そんな!? デーブィー様!」と大げさに驚いてみせる。
「婚約破棄なんて、あんまりです! 婚約破棄された女は家からも離縁されるので、路地裏の娼婦になるしかないんですよ!?」
「おおレイ、なんて思いやりのある言葉なんだ! お前は本当によくできた女だな!」
「はい! こんなちんちくりんを買う殿方の身にもなってください! きゃはっ!」
まるでこれが余興であるかのように、どっと歓声が沸きおこる。
天井のステンドグラスが翳り、ステージに薄暗い影が落ちていく。
わたしを見下ろすよっつの瞳が、凶星のようにギラギラと輝いていた。
「アンティーク、そういえばお前は家事が得意であったな……!」
「きゃはっ! いいこと思いついちゃった! デーブィー様とレイちゃんの靴を舐めて、忠誠を誓って! そしたら使用人にしてあげる!」
「なんなら愛人として、たまに抱いてやってもいいぞ……!」
最後のよりどころも奪われ、わたしの心は軋むような音をたてる。
ひび割れた花瓶から水が漏れだすように、涙があふれそうになっていた。
このままヒザを折ったら、きっと楽になれる。
這いつくばって犬のようにふたりの靴を舐めたら、前世の記憶も忘れられるはず。
使用人として置いてもらえて、残りの人生を、台所の片隅でひっそりと過ごせるんだ。
だから……!
「……イヤですっ!!」
わたしは震えるヒザ小僧を叩き、顔をあげた。
「わたしの人生は、わたしが決める……! だから、お断りしますっ!!」
わたしは前世からそうだった。
掃除当番や残業など嫌なことを押しつけられても、丸く収まるならいいやと思って引き受けていた。
しかし気づいてしまったんだ。嫌な役回りに慣れるということは、人生を他人にいいように決められているということなんだって。
そんな当たり前のことを、いっぺん死ななきゃわからないなんて……。
人生2周目にして初めて嫌だと言ったわたしの顔は、きっと見るも無残だったに違いない。
絞り出した声が、苦悶に満ちていたから。
余興のピエロが玉の上から落ちたような、虚を突かれたような声がどこからともなくおこる。
デーブィー様とレイティストは、ネズミに噛まれたネコのような顔をしていた。
ふたりの顔がまったく同じタイミングで、みるみるうちに赤くなっていく。
「こ……この……! 俺の寛大なる慈悲を、無下にするとは……!」
「れ……レイちゃんの結婚式を……! 台無しにするなんて……!」
まさか断られるとは思ってもみなかったようだ。
激昂のあまり、ふたり同時にわたしに襲いかかってくる。
レイティストはわたしの髪を力任せに掴み、顔を上に向かせた。結っていた紐がブチブチと千切れ、髪が広がる。
デーブィー様はケーキ入刀用のナイフを狂喜とともに振りかざしていた。
「なら、三くだり半をくれてやるっ! そのブサイクな顔をズタズタにして! そうなったら、お前は娼婦にもなれない! 文字どおり、野良犬になるんだよっ!」
「きゃはっ! ブサイクケーキの入刀でぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーっす!!」
最後の時を前に、わたしは目を閉じる。
不思議と涙はこぼれなかった。
そして、神にも祈らなかった。
だってこの世界の神は、女には微笑まないから。
わたしはこれから二周目の人生の残りを、ホームレスとして生きていくことになるんだ……。
しかしその瞬間は、いつまで待ってもやってこない。
おかしいなと思い、おそるおそる目を開けてみると……。
そこには、天使がいた。
「彼女は、軽く扱ってはならぬ女性だ」