第八話 ESO実習
教育用端末の普及により、学校教育不要論が一時期テレビの政治系番組で議論されたことがある。
5Gネットワークまで進歩して遠隔による授業が完遂できるのだから、わざわざ時間を要してまで通学するのは不便そのもので非効率的だし、エネルギー資源の無駄である、という肯定派の論調。
しかし結局のところ、学校教育不要論はテレビの論客間で罵倒し合う、面白バラエティショーの枠で終わった。
どれほどインターフェイスが進歩しようとも、仮想体験は所詮、現実ではない。実習や実験は、リアルタイムの質疑応答を伴う現実体験でなければ十分な効果が得られないこと。同年代が集団で学ぶことそのものに学習促進効果があること。というこの二点が複数の大学で共同実施した研究で立証されたからだ。
一年D組は、まさにその実習授業の真っ最中だった。
とは言っても、今回の授業では監督役に努める教師がいたりいるだけで、リアルタイムの質疑応答は行わない。
なぜならD組の生徒たちは壁面モニターに表示されてる操作手順に従い、据置型の教育用霊波観測器──ESO──を操作している。今日の授業は一学期で習得した機械操作をより円滑に行うというもの。
今日の課題はこのESOを使って一メートルほどの台車をレールの端から端まで連続で五往復させる、というものだ。言うまでもなく台車に触れずに自分の霊気だけで動かす、ということである。
「春人、噂の三島先輩との話はどこまで本当なんだ?」
ESOの順番待ちの列で、背中を拳で小突かれた、と思ったら大柄で骨太な体格。客観的にはゲルマン的な彫りの深い顔立ちをした男子生徒、飯原ジルヴェスターことジルがそんなことを訊いてきた。
その顔に悪どさは見られない。単に興味津々といった様子だ。
「余計な尾ヒレがついてる……」
「ん? どいうことよ。余計な尾ヒレ、ってさ」
春人の前に並んでいる、ウェーブのかかった小麦色のショートヘアと葡萄茶色の瞳が魅力的で制服を着崩してる女子生徒の我妻エレナがくるりと振り返って小首を傾げた。
「やれ交際してるだの、してないだの。ヤッただの、ヤッてないだの、とかだな。聞かれるたびに否定しているのに話が終息に向かう気配がない。それどころか今朝は三島先輩のファン代表と名乗る普通科の集団に襲われて少しばかり対処するのに苦労したよ」
本当に面倒くさそうに両手を広げて、春人はやれやれと言いたげな表情を見せた。この学院に通う生徒はこの手のゴシップに関して「中学生か!」と、ツッコミたくなるぐらいには目をキラキラとさせてくる。
「そりゃ災難だな」
ジルは春人の身の回りで起きたことに共感してくれた。
「でも襲ってきた人たちは、元とは言え強襲科なんですから春人さんは難なく撃退したんですよね? それって凄いことだと思いますよ」
と、なぜか春人が不運だと思っていることに違う感じ方をした女子生徒がいた。彼女の名前は茅野田麻耶。肩まで伸びた黒髪、薄い唇と清楚な印象で、誰に対しても敬語を使う典型的なお嬢様。全体の印象からかけ離れた一際大きな瞳と、長めの黒縁メガネが印象的。一度目の実習を終わらせ、二度目の実習のため最後尾に戻る足を止めてまで、春人に話しかけてきた。
今のご時世で、メガネをかけているのはかなり珍しい。
二十一世紀初頭から星紋術を用いた視力矯正治療が確立し、保険適応になった結果この国で近視という病は過去のものへとなりつつあるからだ。
それでもメガネを使用するのは霊子放射光過剰反応症で困っているからに他ならない。
霊子放射光過剰反応症は、視え過ぎ状態とも呼ばれている体質のことで、病気とも障碍の類でもない。意図せずに霊子放射光を視る、意識して霊子放射光を抑えて視えないようにできない、一種の霊的知覚制御不全だ。
端的に言えば、知覚が極端に鋭すぎるだけ。
通常、極東方式の星紋術に用いられるのは自身の霊気であり、つまりは現代陰陽術の技術体系は霊子の制御に力点が置かれているということ。なので専科学部に通い執行官を目指すなら、まず霊子を操作する基本技能を覚えなくてはならない。
ところが霊子放射光過剰反応症者は、先天的に霊子放射光たる霊子の活動によって生じる光──一般人や学院生徒なら白、執行官なら赤に染まる──に過剰反応してしまう。
霊子放射光はそれを視ている者の情動に影響を及ぼす。ゆえに霊子は情動を形成する粒子である、という仮説が立てられているわけだが、そのために霊子放射光過剰反応症者は精神の均衡を崩しやすい傾向にある。
これを予防する手立ては基本的には霊子感受性たる霊気知覚を高めて抑え込む方法だが、それが出来ない者には技術的な代替手段が提供される。その一つが特殊レンズを使ったメガネだ。
実は執行官を目指す生徒らにとって、霊子放射光過剰反応症はそれほど珍しい体質ではない。二百人に一人の割合で存在する程度。霊子の集合状態である霊気を認識し操作する執行官に、霊子放射光に対する過剰な反応を示す感受性に悩む者が多く見られるのは仕方ないことだと言える。
だが、彼女のように常時メガネで霊子放射光を遮断しなければならないほどの「体質異常」は、やはり珍しい。それが単に霊気知覚の低さに由来するものならばいいが、感受性が極端に高いせいであれば、春人にとっては少し困ってしまう。
なぜなら春人には、自分の特殊体質たるネメステリアと同程度に隠しておきたい秘密があるからだ。
普通なら視てもわからない、視られること自体を心配する必要もない秘密だが、霊子放射光に過剰反応する彼女のような特殊な目を持っているとすれば、ふとしたはずみで気づかれてしまう恐れがあった。
ゆえに麻耶の前では、春人は少しばかり無意味に緊張してしまう。彼女本人は自分の異常体質に困り果てていると分かっているのに、だ。
そんなことを一瞬で思い返しつつ、
「んー、それってすごいかなぁ。最後は風紀委員数名が駆けつけて口頭注意を受けたよ。彼らの対応を見るに、問題児として認識された、が正しいんしゃないか?」
と春人は麻耶からの称賛の声に否定的な反応で答え、素直に受け取らなかった。
頑固までに懐疑的な春人の態度に、エレナが軽く苦笑する。
「まぁまぁ、そう自虐的にならなくてもいいじゃん。いっそ風紀委員になっちゃえば?」
エレナに冗談交じりに胸を突っつかれつつ問われ、春人は風紀委員の面倒さについて簡潔に説明したら、エレナ以外の二人は引きつった笑みを浮かべた。
なぜなら風紀委員とは、簡単にはいかない校則違反者を取り締まる組織だからだ。
しかもそれは、服装違反だとか、遅刻とかの一般校における風紀委員会の仕事は、この学院では学級委員会の担当。
この学院における風紀委員会の主な仕事は、生徒間同士における純粋武力対立、霊気暴発などに関する校則違反者の摘発と、星紋術を使用した争乱行為の取り締まりの他、違反者に対する罰則の決定にあたり、生徒側の代表として生徒会長とともに、学院主任教師が開く懲罰審議会に出席し意見を述べるなど多岐に渡る。
平穏な高校生活を送りたい生徒にとっては、関わりたくない組織と言えよう。
「そりゃまた、大変なのに目つけられたな……」
頬を指で掻きながらそんなことを言うジルの横で、麻耶が心配そうな表情をしながら尋ねてくる。
「危なくないですか、それって……。て、エレナさん、どうしました?」
エレナは不機嫌というか、なぜか少し怒っているような顔をしていた。
「……まったく、春人ばっかりさ……」
視線が微妙に外れている。虚空を見つめながら呟かれた言葉は、今朝の騒動に関われなかった不満からか。
実際、実技のときに何度か話すたびにエレナは調査科にいるのが場違いだと思えるほどに、荒事を好む強襲科気質の持ち主だということを春人は知っている。
「エレナさん?」
「えっ、あ、ごめんごめん麻耶。ホントに大変な話よね。風紀委員にならないよう、気をつけるのよ。春人」
険しい表情を悪戯っぽい笑顔に変え、わざと明るい口調で先ほどとは真逆のことを告げるエレナ。
本心をどうにか煙で巻こうとしているが、実に拙いところを見るに自分を偽る行為に嫌悪感を抱くのだろう。
「おいおい、春人が風紀委員になるっつう話に、急に否定的になるなよ、エレナ。俺としては風紀委員になってほしいんだからよ」
「でも飯原くん。風紀委員になって喧嘩の仲裁に入るってことは、星紋術の対処方法を心得て置かなければならないんですよ? 危険すぎますよ!」
「そうよ馬鹿ジル。それどころか逆恨みする連中だって出てくるだろうし」
エレナの複雑な心境について春人が軽く考察していたら、それぞれ三人が風紀委員になるならないだけにとどまらず、なったときのデメリットについて議論を始めていた。
冗談で肯定派だったエレナは、すっかり否定派の立場にシフトチェンジして麻耶と一緒になって、肯定派のジルと対立するまでになっており、その変わり身の速さには春人も内心で舌を巻くほどである。
「でもよぉ、威張り腐った連中にしゃしゃり出てこられるよりは春人のほうがいいと思わねぇか? つーか馬鹿ジルはやめろって言ったよな、エレナ」
「馬鹿ジルは馬鹿ジルなんだから、しょうがないでしょ……まぁ、それはそれとしてジルの言い分はもっともね」
ジルとエレナの二人は、定期的にこのような漫才じみた言い争いをすることがある。
春人としては二人に直接言うつもりはないが、同じような気の強さ、似たような負けず嫌いでありながら、性格面での波長が近いため実は気が合うかもしれない、と密かに思っていたりする。
「エレナさん、簡単に納得しないでください! そんなの、喧嘩しなければいいでしょう?」
「でもさ、こっちにその気が無くとも、火の粉を払わなきゃやらないときだってあるんじゃない? 皆が皆、善人ってわけでもないしね」
「うっ、それは……そうですけど」
「世の中には濡れ衣とか冤罪とか、いくらでもまかり通っているじゃん」
学級委員を務める比良河ほどではないが真面目そのものの麻耶と、自分の真面目さに不満ありげなエレナとで話し合いをすれば、後者のほうが口が立つのは自明の理。
春人としてはエレナの荒事を好む気質より平和的な思想の麻耶に賛同的なため、ここは丸め込まれそうな麻耶に助け舟を出すべく、この悪い流れを断ち切りにかかった。
「みんな、そんなどうでもいいこと話してるのはいいが、もうエレナ出番だぞ」
「えっ、あ、ホントだー。サンキュー春人」
風紀委員会の話を意図的に終わらせられた挙句に、春人に促されたエレナは、感謝の言葉を適当に述べつつ少し慌て気味にポジションについた。
後ろ姿だけでも気合いが入っているとわかる。雑談に興じる気分を醸し出している様子は欠片もない。やはり彼女は、きちんと気持ちの切替ができるタイプのようだ。軽そうに見えても本質は麻耶に負けず劣らずの真面目さを内包しているかもしれない。
エレナの背中が小さく上下したのは、すうっと息を深く吸い込んでいるからだろう。
一拍おいて、一般人では視認しづらくとも執行官を目指す候補生では問題なく知覚できる光。霊気の波動がエレナの背中越しに視えた。星紋術を形成する構築式の展開とそれに続く短縮式の発動で、使い切れずに余った霊子の残留光だ。技巧に優れた執行官ほど余剰霊子光は少ないが、基礎教育をあまりしてない高校一年生の中では悪くないレベル。余剰霊子光が制御基準の一定を超えると物理的な発光現象まで伴うことになるが、それが無かった分、自身の霊気を問題なく扱えていると言っていいだろう。
ESOの前に置かれた台車が淀みなく走り出し、折り返して戻ってくる。それが、五回。本人にとっても満足いく結果だったのか、「よしっ」と小声で呟き右手をこっそり握っていたのがすぐ後ろにいた春人には見えた。確かに前回の基礎実技より台車の動きがキビキビしていた。具体的には加速度と減速度が大きかった。
この実習はレールの中央地点まで台車を加速し、そこからレールの端まで減速させ停止、逆向きに加速と減速を五往復するという単純なものである。ESOに登録されている構築式は伝達加速と伝達減速を実行させる単純な設計図だ。
これは発現させた霊気を、自分の意思で無駄なく流し込むという、執行官における基礎中の基礎を学ぶ装置。加速度の大きさ自体の指定はないかららその部分は生徒の力量が反映されることになる。台車が勢いよく動いたということは、それだけ星紋術が手早く成し遂げられたという意味だ。
エレナはこっそりガッツポーズをとったことなどまるで窺わせない顔で列の最後尾、麻耶の後ろへと移動し抱きついた。それらをかすかに捉えながら、春人は据置型のESOの前に立つ。
ペダルスイッチでESOを支える脚の高さを小まめに調整し、サイドワゴン大の筐体の上面全体を占める白い半透明のパネルに掌を押し当て、自分の霊気を流していく。
返ってきたノイズ混じりの構築式に眉を顰めたくなるのをなんとか堪え、単一工程の詠唱を短縮式に置き換え発動する。
台車は二、三度つまずくような挙動を見せたあと、無事に動き出した。
ESOを用いた実技はあくまでも、霊気操作に慣れることを目的にしてるため、タイムを取ることはない。
だからそれは春人本人以外の生徒ではわからなかったことだ。
台車が動き出すまでの時間が、エレナより明らかに遅かった。いや、エレナだけではない。D組四十人の内、後ろから数えたほうが早いだろう。間違いなく片手分の範囲にいるのだから。
台車の勢い自体は他の生徒と比べても見劣りする点はない。だから八つの班に分かれ楽しげに話すクラスメイトからは、過度に不自然だと思われずに済んだのだ。
しかし春人本人は、ため息を吐くほかないその結果を見つめ、しっかりと自覚していた。
──やっぱり、霊気を術式変換させるのは苦手だな、と。
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