第七話 ワルい隣人
色々なことがありつつも、自室へと戻ってきた春人を待っていたのは、成亜紗のムスッとした表情が顕となった顔だった。
「では、説明してもらおうか。使用人」
結局、成亜紗は昼過ぎまでぐっすり寝ていたようだが、目を覚ましても部屋には誰にもおらず、かといってここらの地理には詳しくないので、仕方なく春人の用意した手作りのピザ風トーストを食べ終えたあとアパートの敷地内をブラブラ歩いていたらしい。退屈ゆえに怒っているのかと思いきや、彼女の怒りは春人が不在の件に集中して向けられていた。
「このわたしを放って、どうして勝手に外出という愚行をする?」
「いや、俺、学生だし、平日だから学校あるんだけど……」
四六時中一緒にいられないであろうことは、依頼した宗介も承知していること。警護としては致命的な問題も、この岩紫暮荘という場所があれば解消される。ここにいれば完璧ではないが相当安全。仮に春人が成亜紗を狙う人物に襲われ殺されようと、死んだ春人の遺体から情報を探って、成亜紗のいるこの場所まで辿り着かれることがないほどなのだ。
春人はそのへんの説明をしようとするも、相手は幼い子供。どう噛み砕いて教えるべきか思案していると、成亜紗は首を傾げる。
「……学校? それは、同い年の者たちが集まり、学問を知る場所のことか?」
「あ、ああ……そうだな」
変な反応だなと春人は思い、そこで、ふと疑問が浮かんだ。
成亜紗は十歳。普通なら小学四年生。学校はどうするのだろうと。
「きみは、いや成亜紗は、学校に行ってないのか?」
「行ってない。行く必要性がないのだ」
「必要性がない?」
「学校とは、学問を知ると同時に、社会に出ていくための常識を学ぶ場所と聞く」
「まぁ、たしかにそうだな……」
「ならば、やはりわたしには必要ないものだ」
成亜紗はきっぱりとそう言い切り、しかし、かすかな未練を込めるように続けた。
「……少し興味はあるけどな」
有栖川家の人間ともなれば、超一流の私立校に進むものだと捉えていたが、それは春人の抱く勝手なイメージで、現実の旧宮家の事情は複雑なのか。
「わかった。学校ならしょうがない。そのぐらいは大目に見てやろう」
貴族の義務を体現する、寛容なご主人様、という態度で頷く成亜紗。宗介にほぼ会わないことを考えると形式上の雇い主は彼女だ。ゆえに春人は納得いかない部分がありつつも、成亜紗の言葉を黙って聞くことにした。
「春人、わたしは今すぐ風呂に入りたい。案内しろ」
疲れもあり、昨日は風呂に入らず寝てしまった成亜紗の希望。
解消されない問題は山積みだったが、春人は洗面籠に二人分のバスタオルと腰巻き用のタオルを入れると、成亜紗を連れてアパートを出た。行き先は歩いて五分の場所にある昔ながらの銭湯。その短い道中にも、好奇心たっぷりな視線を周りに向けていた彼女だが、モクモクと煙の上がる銭湯の煙突には感嘆のため息を漏らしていた。
「ほほう。庶民はここで風呂に入るのか。わざわざ外出が必要とは不便なことこの上なかろう」
「……いや、言っておくが皆が皆利用するわけじゃないぞ。というより部屋にあるから使わない人のほうが多い」
一応訂正した言葉に、そうなのかと理解を示したものの、春人はそこで大事なことに気づく。
銭湯にはもちろん、男湯と女湯がある。本当ならここで別れるべきだが、警護役としては間違っている対応だ。しかしここは、近所の人間でも限られた者しか利用しない銭湯。だが、不審な人間が紛れ込んでこないとも言い切れない。さてどうすべきか。
そんな春人の悩み事などお構いなしに、成亜紗は入り口に向かって駆け出していく。
向かう先は、女湯の銭湯。
春人が慌ててあとを追い、暖簾を潜ると彼女は番台の女老人と話しているところだった。
「おや、見慣れないお嬢ちゃんだこと。一人で来たのかい?」
「違う。情けない使用人と一緒だ」
「情けない使用人?」
あとから入ってきてしまった春人を、番台の女老人が訝しむように見る。それに曖昧な笑みを返しながら春人が女湯へと入ってきた経緯を言うと、「本来なら十歳以上から別々だけど、特別に一緒でも問題ないよ」、意味ありげな笑みを浮かべて言われてしまった。どういう基準なんだよ、と思いながら春人は二人分の料金を払い、成亜紗を連れて脱衣所へ。
他人と交じり、こんな場所で服を脱ぐのは初めての経験だろうに、彼女は特に気にする風でもなく服を脱いでいった。そして春人を待たずに風呂場へと向かう。腰にタオルを巻きながら、春人はそのあとを追った。成亜紗にもタオルを渡そうとしたが、「そんなもの不要だ」と彼女は拒否。なにを隠すべきことがあるか、と言わんばかりの態度。腰にタオルを巻く春人のほうが非常識のような、そんな風格だ。
本物の上流階級の人間。例えば王族などは身分の低い者に裸を見られることを何とも思わないのかと、春人は何となく聞いたことがあった。身分の低い者は、自分と同じ人間足り得ない。だから羞恥心が働かない、という理屈とか。彼女の態度は、それと幼さが入り混じったものなのだろう。
風呂場に入ると、成亜紗はしばらく感心するように中を隈なく見つめていた。大きな風呂に多数の人間が入るという発想が、彼女にとっては新鮮なのかもしれない。
女湯ということもあり、番台に許可貰ったことを告げながら春人は成亜紗の手を引いて近くの洗い場に腰を下ろす。
春人がいることで女湯で騒動が起きるかと思いきや、大半が子育て終わりの主婦や老婆で占められており、意外にも静か。時たま背中越しに感じる若い女性の視線は気になったが。
そんな春人の状況を気にするわけもなく、隣に腰を下ろした成亜紗は、横柄に一言。
「では頼むぞ」
有栖川家では使用人に洗わせるのが普通らしい。春人に触れられるのを毛嫌いしていた彼女だが、それとこれとは別ということなのか。自分のことを振り返ったら、幼い頃は他人に洗ってもらっていた経験があるので、仕方なく聞いておく。
「背中くらいはするけど、あとは自分で洗えよ」
「なぜだ!?」
おまえはそんなこともできないのか、という成亜紗の呆れの眼差し。
相手は子供、ここは我慢、と心の中で念じながら春人は他の母娘を指差し、成亜紗より幼い子供が洗っていることを説明。成亜紗はまだ納得しきってないようだったが、ため息を吐きながら渋々頷いた。
「……まあ、仕方ないか。おまえができないものを無理にというのも酷な話だろうし、わたしの本意でもないからな。特別に許してやる」
では背中は洗え、と春人に無警戒で背を向ける成亜紗。
いちいち偉そうでムカつくな、と思いながらも春人は成亜紗のタオルに石鹸をつけ、彼女の背中を優しく擦った。
一度擦ってから、春人はつい手を止める。幼いということを念頭に入れても、彼女の白い肌はあまりにも滑らか。小学五年生の頃に、自ら告白して付き合うことになったピアノ好きな初恋のあの子と比べても、ここまでの肌ではなかったはずだ。
今一度成亜紗が並の良家ではないことを実感。
細かい傷だらけになった自分の肌と比べてしまい、春人は苦笑を浮かべた。
これが生活環境の差というものか。
背中を洗い終え、春人は成亜紗にタオルを手渡す。自分で洗ったことのないらしい彼女は、春人の見様見真似でやってみる。体は上手くいったが、長めの髪は大苦戦していた。
「な、なんだこれは! おい目に染みるぞ!」
シャンプーは目に染みて当然だと春人は思うのだが、有栖川家で使っていたものはまるで違ったらしい。子供用の特製なのだろう。安めのシャンプーではそうもいかない。
彼女の顔をシャワーで洗い流してやり、どうにか機嫌を直してもらいながら、春人はついつい思ってしまう。
……これから毎日、こんなことするのか、と。
◆
待ち望んだ風呂だったが、お湯の熱さに耐えられないようで成亜紗は十秒そこらで湯船から上がった。そして春人を待たずに脱衣所へ。春人は最低でも十分は浸かっていたかったが、堪え性の欠片もない彼女を追う。
大好きな風呂も、こうも騒がしいと疲れるだけ。かつての自分も、やはりこのように迷惑をかけてしまったのだろうか、と思いながらも脱衣所に行くと、白の下着姿の成亜紗が、なにかを持っていた。近くの売店で売っている。瓶入りのフルーツ牛乳だ。
ここに来るまで一切お金を渡してないため、少し不審者の存在を頭に過ぎらせつつ春人が訊くと、「あの男からもらった」と彼女は言う。指差す先にいたのは年配の男で、マッサージ椅子に腰かけ、ニコニコと成亜紗のほうを見ていた。
近所の商店街にある、居酒屋の店主だ。岩紫暮荘の住民で歓迎会と送別会をする際に店を利用するので、春人も仲良いとは言わないが顔見知り。軽く頭を下げると、向こうも片手を上げて応えてくれる。地元の少年野球チームの監督をするほど子供好きで知られる人間であり、成亜紗に善意で奢ってくれたのだろう。
「ちゃんとお礼は言ったか?」
「礼? なぜだ?」
両手で瓶を持ちながら飲んでいた成亜紗は、怪訝そうに春人を見上げる。
「くれるというものを、わたしはもらった。それだけじゃないか」
春人はしゃがんだあと拳を握り、成亜紗の頭を軽く叩いた。
「……っ!」
成亜紗は頭を押さえてうずくまり、その拍子に落ちた瓶を春人は掴み取る。十秒ほどして彼女は頭を上げた。今自分にされたことがしんじられない、という表情で。目にはわずかに涙が浮かんでいる。
「お、おまえ、わたしを叩いたな! しかもグーで! あってはならんことだぞ!」
そんな成亜紗の言葉を無視して、春人はもう一発同様に叩く。
「……ま、また叩いたな!」
頭を必死に押さえ、涙目で抗議してくる成亜紗に、春人は真剣な視線で言った。
「誰かに少しでも良くしてもらったら、ちゃんとお礼を言え。それは当たり前のルールで、子供でも守らなきゃダメだ。そんなことも教えてもらわなかったのか?」
言ってから気づく。
これって、親が子どもによく使われる躾の言葉だよな……。
まさか子育てしたことない自分が、幼い子に説教する日がくるとは。
成亜紗が急に無言になったので、流石にやり過ぎたか、と春人は心配になったが、それは杞憂に終わった。彼女は意外にもすぐに平静を取り戻し、春人に言われたことに悩むかのように視線を動かすと、しばらくして頷いたのだ。
「……なるほど、おまえの言うことは正しい。間違っていたのは、わたしの方だな」
あまりにも素直なので面食らう春人に、成亜紗は目を下げながら言う
「すまなかった。許せ」
「…………」
反応に困る春人をそのままに、成亜紗は居酒屋の店主のもとへと足早に向かうと、お礼の言葉を口にした。店主の笑みが濃くなり、大きな手で成亜紗の頭を撫でる。戻ってきた彼女は戸惑う春人の前で着替え終えると、
「では、そろそろ帰ろうか。春人」
と言い、返事を待たずに出口へ。
春人も慌てて着替えて、洗面籠を持ってそれを追った。
一体全体どういうことだ、と思いながら。
◆
部屋に戻った春人は、いつものように夕飯の支度をすることにした。テレビでも観て待っているように成亜紗に言うと、彼女はテレビの前で首を捻る。電源の入れ方がわからないらしい。春人がテレビのコンセントを差し込んでリモコンのスイッチを押してやると、成亜紗は「ほほー!」と楽しげな声を上げた。
「リモコン操作のテレビなど初めて見たぞ! 斬新な設計だ!」
嫌味かよ、と春人は思ったが有栖川家なら最新型の大型テレビはリモコンではなくタッチパネルでするだろうし、商店街の小さな電機店で買った安めのテレビは逆に新鮮に見えるのかもしれない。リモコンのボタンを押してチャンネルを変えれることを成亜紗に教え、好きなようにさせる。
成亜紗はしばらく珍しそうにボタンをポチポチ押してチャンネルを変えていたが、女児向けのハウスドール玩具を題材にしたアニメ番組へと合わせた。
春人は冷蔵庫を開けて食材を次々取り出し、調理を開始。ここ岩紫暮荘は造りそのものは古いが設備は万全。台所の火力は申し分ない。フライパンに油を引き、冷やしておいたご飯を入れてよくほぐしながら、卵、刻んだネギ、そして小さく角切りにした焼豚を入れる。片手で適度にフライパンを振るい、そろそろ出来上がった炒飯を皿に移そうとしたところで、誰かがドアを雑に叩く音がする。
成亜紗は当然のようにテレビの前から動かないので、火を弱火にしてから春人が出ることにした。
「どちら様ですか?」
「こんばんはーっ! だよ」
呑気な笑顔と酒の臭いを漂わせドアの向こうから現れたのは、井上菫。隣の六号室に住む大学生だ。といっても、春人は彼女が真面目に大学へと通ってる様子を一度たりとも見てないので、本当かどうかは不明。よく見ればそれなりに美人なのだが、寝癖が残る髪の毛を無造作にゴム紐で縛り、一瞬剥き出しとなる歯には取れてないネギをつけて、上下はジャージ、足には下駄という女らしさの欠片もない格好が、すべてを台無しにしていた。さらに大酒飲みで、酒癖も悪い。たまに泥酔して廊下で寝っ転がり喚き散らす姿などは、ゴリラの類ではないかと思い至るレベルだ。
岩紫暮荘で最も妖しい住民が影架なら、最も騒がしい住人がこの菫だ。
「なんですか、菫さん」
「お砂糖貸して」
困ったことによくあることなので、春人はため息を吐きつつ台所にある砂糖が入った箱を渡す。
「あー、あと、お塩貸して」
調理棚にある塩を渡す。
「ついでにお酢も」
同様に、酢を渡す。
「だったらお醤油も」
棚下にある醤油瓶を渡す。
さしすせそ調味料全部じゃないだろうな、と春人はわずかに警戒。
「さらにさらに味噌と米も」
「やっぱり全部じゃないですか!」
「いやいや、全部じゃないよ。オカズは自前で用意しちゃうんだから。……あ~、オカズって部分で変な妄想したでしょ? 変態スケベくん」
男の一人暮らしだと色々と溜まるもんねー、とアハハと笑い出す菫。酒癖が悪いという一点だけでも相当迷惑だと春人は思うのだが、彼女はおまけにエロネタ好き。
岩紫暮荘に本家からのご厚意で入居できた初日。
「これ、入居でき祝いだよ!」
と言って使用済みと思われる大量のアダルトグッズを渡されたときは、新品じゃないの持ってくるなよ、と春人も頭を抱えたものだ。
どう追い返すべきか春人が真剣に考えていると、菫は目敏くテレビの前にいる成亜紗に目を止める。
「うわ、何々この子? すっごい美形じゃん」
春人が何かを言う暇もなく菫はドタドタと上がり、成亜紗の前にしゃがんだ。
「お嬢ちゃん、お名前なあに?」
「有栖川成亜紗だ」
「あーん、声も話し方も可愛ぅぃい!」
菫は成亜紗の頭を撫で、さらに顔や体を自由にまさぐっていたが、意外にも成亜紗は無抵抗。人間に構われすぎて呆れてる子猫のような顔で、されるがままになっていた。それを見ながら居酒屋の店主や菫には触るのは許すのに、自分だと跳ね除けられたのは何故だろう、と春人は漠然と思う。
「あたしは、六号室の井上菫。春人くんのセックスフレンドだよ」
「せっくすふれんど?」
「おい、面倒なウソ教えんな!」
春人の強めの抗議を平然と無視して、菫はうっとりとした様子で成亜紗の頬の柔らかさを堪能。
「んふー、至福のジ・カ・ン……。でさ、春人くん、どしたのよこの子? 君の妹?」
「……っ、今、そいつから名前聞いたでしょ」
小さく舌打ちをしながら春人は答える。
「あ、そっかそっか。えーと、君のこれ?」
左手の小指を立て、ニンマリといやらしい笑みを浮かべる菫。
「こんなに守備範囲が広いならさあ、うちが通ってる道場に遊びに来なよ。可愛い子多いよ? 特に、麻衣ちゃんと智春ちゃんが将来有望でら今から粉かけとけば……」
「はぁ、もうあんた帰ってくれ。疲れるから」
「いやーん、やめてー」
猫撫で声を出しながら抵抗する彼女に、春人は炒飯を皿によそって渡す。うるさくて迷惑な人だが、春人は彼女をそれほど嫌ってはないし、実は自分らしく生きてる様に尊敬すらしているのだ。
菫は、ニコニコで炒飯を受け取った。
「うーん、いい匂い。で、この子らしばらく預かるの?」
「仕事です」
そっかー、と言うだけで余計な詮索はしない菫。それは岩紫暮荘のルール。
「あたしさ、こう見えても人生経験は人の倍歩んでて豊富だから、性の悩みとか、性の悩みとか、性の悩みとか、性の悩みとか、じゃんじゃん相談してね」
「絶対しませんよ」
「コンドームいる?」
「……本気で、もう帰ってください。菫さん」
春人が出口を指差すと、菫は未練がましそうに顔をしながらも部屋を出て行った。
やれやれと頭を軽く左右に降り、春人は自分と成亜紗の分の炒飯を皿によそって、ようやく夕飯。空腹だったからか、成亜紗は活発にスプーンを動かし満足そうに食べ終わった。
「材料は貧弱だが、味は許容範囲だな」
という評論家のような評価をもらい、春人も食事を終える。
そして就寝する段階になって、寝場所のことを思い出した。
春人はあまり夜更かしをするほうではないので、成亜紗に付き合って早めに寝ることに抵抗はない。ベッドは一つ。昨日は成亜紗にベッドを譲り、ソファに横になり寝た春人だが、毎晩はさすがに辛い。
こんなことならさっき菫に布団でも借りるべきだったかと思ったが、アダルト系以外にもマンガやフィギュアで溢れた彼女の部屋の惨状を考えれば、どんな汚い布団が出てくるのか怖い。
さっさと歯を磨いた成亜紗はベッドに入り、春人に声をかける。
「なにを突っ立てるのだ?」
「……何でもないよ」
「そうか」
成亜紗は特に気にせず、「早く電気を消せ」と言い、目を閉じた。
初日にはあれだけ環境そのものに不備を述べていた彼女だが、一度そうだとわかると、もう許容してしまうらしい。適応力が高い。有栖川家の人間ともなれば多少のことでは動じるに値しないということか。
春人は寝室の電気を弱め明日の授業で使う教科書を学生鞄に収めていく、これからくる冬の寒さに一考。できればストーブが欲しいところだ。今度、暇を見つけて商店街の電機店に立ち寄ってみようか。布団は、さっそく明日にでも買ってこよう。
弱々しい電気で満たされる部屋でそんなことを考えていると、春人は成亜紗がもぞもぞと動くのを感じた。手で頭を擦っているようだった。
春人は最小の力で叩いたのだが、相手は四つも下の女児。少し心配になり声をかけようとしたところで、成亜紗は小声で言う。
「……春人は、怖くないな」
「ん?」
「痛かったけど、怖くはなかった。痛いのに怖くないってのは生まれて初めてだ。痛いと怖いは、一緒ではないのだな」
成亜紗は、春人に叩かれたところを不思議そうに手で擦っていた。
「まだ痛むのか? さっきは……」
「謝るな。謝らなくていい」
ごめんな、と気遣いを続けようとした春人の言葉を、成亜紗は明確に遮る。
「おまえの言い分は正しかった。それを教えるために、ああしたのだろ? なら謝るな。無闇に謝れば、おまえの伝えたかったことが曖昧になってしまうぞ」
「……そう、だな」
「また何かあれば教えてくれ。わたしは知らぬことを学びたい」
わかったよ、と頷きながら彼女の向上心と理解力に、春人は舌を巻いた。
これが旧宮家、有栖川家に生まれた人間というものか。
自分と彼女の同じ歳の頃など、ただ遊び呆けるだけだったのに。
しかし、物事を学ぶ姿勢を持つ彼女が学校に通ってないのはどういうことだろうか。
それは有栖川家の内情に関わることなのだろうか。
「春人、さっそくで悪いが。おまえに教えて欲しいことがある」
「もう? まあ、いいけど」
「せっくすふれんど、とは何だ?」
「……子どもは知らなくていい」
「そうなのか? では、コンドームとは何だ?」
「寝ろ。もっと知る必要ないことだから」
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