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罪祓いの最果て  作者: 玲苑
秘儀の子と絡み合う蠢き三つ
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第一話 放課後の教室

 国立特殊訓練第一高等学院の敷地内。

 とある放課後の教室。他の同級生やクラスメイトは皆下校し終わり、そこにいるのは学院指定のわずかに青みがかった黒──烏羽からすば色で、平安時代の狩衣かりぎぬを模したブレザー状の男子制服を着た十代半ばをした普通そうな一人の少年。自身の窓ぎわど真ん中にある机に顔を突っ伏してはいるが眠ってはいない……ではなく、ついさっき目が覚めたのだ。

 それでも一向に少年が顔を上げる気が起きないのはなぜなのだろうか。寝起きの無気力感からか、それとも金縛りにでもあっているのだろうか。

 理由がどうであれ、起きる気がしないのであれば無理に起きる必要はない。どちらにせよ担任の教師が戸締りを確認するために見回りにやってくるのだ。怒られるわけでもないし声をかけられた時に起きればいい。

 実際のところ、頭を乗せる腕がしびれる不快な感覚と微睡まどろんだまま意識を覚醒させない心地よい感覚の両方を、少年は幸せそうに味わってるだけだった。少年は特に眠るのが好きというわけではないのだが教室で眠るのは別というタイプ。ベッドで柔らかい布団に包まれながら眠るのとはまた違った魅力がある、という持論を密かにいだいていた。

 少年としては可能なのであればいつまでもこの感覚を味わっていたいのだが、それが許されないのもわかっている。

 段々と意識がはっきりとし始め、不快さが心地よさを上回り始め、そろそろ顔を上げようか、いやもう少し心地よさを感じられていられるだろうか、などと実にくだらない葛藤かっとうに悩まされていたとき、不意に誰かに優しく少年の体を軽く揺すられた。


「おはよう春人くん。目は覚めた?」


 顔を上げ横に立っていたのは、同じ一年生にしてクラスメイトの女の子。艶やかな黒髪を背中まで伸ばし、前髪はぱっつんと折り目正しく切り揃える、俗にいう姫カットで整えている。学校で規定された通りにきっちりと男子とは反対の白を基調とした女子制服を着こなしており、その外見をわかりやすく表現するなら優等生としか表現できないような……いや、実際に彼女は優等生であった。学力という面で見れば県内にある公立高校の平均より遥かに低いこの学院では珍しく、筆記テストの成績は常に上位で偏差値六十後半を安定してキープしている。授業も真面目に受け、学級委員に担任から指名されるほど。老若男女、生徒と教師関係なく慕われるような非の打ち所がない性格、それに恵まれた容姿も相重なってまるで創作物の登場人物のような女の子。

 名前は確か……


「……比良河ひらかわか、どうかしたか?」

「どうかしたか? じゃないでしょ。もうとっくに下校時刻よ」


 彼女は呆れたような笑みを浮かべながら、春人に対しそう答えてくれる。


「なるほど。わざわざ起こしてくれたのか、あのまま寝てもおかしくなかったから助かる。ありがとうな比良河」

「ふふっ、どういたしまして。と言っても数学の佐波さなみ先生に頼まれたんだけどね」


 頼みごと……たしかに彼女が数学の佐波先生から頼みごとをされている姿はよく見かけるな、と春人は連想した。それは同級生からであったり教師からであったり。さらに言えば一部の生徒はわざわざ他クラスからやってくる人もいるし、教師も担任だけでなく非常勤や今では一般学部の教師らからもお願いされているようだ。

 人が良いと言えばいいのか、損な性格と言えばいいのか。

 ただ春人から見ても少し気になる疑問点もある。話してみればわかるのだが、彼女は決して意志が弱いというわけではない。むしろ、自己主張がはっきりとしてる人物と言ってもいいだろう。それなのになぜ面倒な仕事まで良く引き受けているのか、と。

 その疑問点も、まぁ世の中に人に頼られることに喜びを見出す人もいるのだろうし、変だとまでは言えないか、となんとなく春人は推測。

 春人は自分の世界に入りすぎていたようで、わずかに空いてしまった間に気まずさを感じたのか、彼女、比良河菜都樹ひらかわなつきは少しギクシャクしながら春人に話しかけてきた。


「そう言えば春人くんって、仲の良い親友とかいないの?」

「親友?」

「そう。私たち一年生が入学して、もう十月でしょ? 先生も心配してたわよ」


 この学院に進学してはや半年と少し、春人は意図的にクラス内外問わず親しい友人を作らずにいた。

 部活にも入らず、昼食も一人で食べている。ただ、それは別にクラスでないがしろにされているというわけではない。話題を振られれば返すし、団体行動をせざるをえない授業などでは決して和を乱すようなことはしていない。黙っているのではなく、そういう状況で軽めのジョークを交えながらコミュニケーションを取るくらいはできるぐらいの人間関係は構築している。

 それでも春人は親友や放課後まで一緒にいるような特定の仲の良い人物を作らず、全体の割合で言えば一人でいる時間のほうが圧倒的に多かった。


「仲の良い、親友ね」

「前から思ってたけど春人くんってなにか一線引いてるところがあるっていうか……親友とかじゃなくても友達、作ろうと思えば作れるんでしょ?」

「中学時代の友達がいるからいなくても別に困ってないんだ。……それに独りが好きなんだよ俺は」

「独りが好き?」

「別に孤高でありたいとかじゃなくて、周りに左右されない孤立した状態が居心地良いってやつだよ」


 比良河は言葉を詰まらせたようで、春人の思わぬ回答に苦笑いを浮かべている。

 別に孤立体質に安堵感を持ってることに問題があるとは、春人自身はあまり強く思っていないのだが、学院に入ってから放課後にカラオケやゲーセンなどで遊ぶようなまっとうな友達をができていないのは確かなのだ。こういうのは変に言い訳すると見苦しい……と春人もそこは思っているので、聞かれた際は自虐をすることにしていた。


「あはは……でもお喋りするクラスメイトはいるでしょう? 風間かざまくんとか、よく話してるじゃない」

「たしかにな、俺と会話する相手の割合的に言えばよく話してるかもしれないけど、一般的に言えばたまに喋る程度の関係なんじゃないか」

「それでも話していてお互いに楽しいと思えてるんでしょ? だったらすぐに友達になれると思うわ。友達っているに越したことはないわよ。少なくとも今以上には楽しく生活できるんじゃないかしら」


 はたして本当にそうなのだろうか。自分がクラスメイトの男子と楽しく会話できているのはうわべだけの関係だからであり、距離を近づければ心のどこかで違和感が生まれるはずだ、と春人はそういう思いをかすかにいだいているし、その原因たる自身の立場や少し異なる後天的な()()もどきに自覚的だった。

 でもまぁ、彼女に反論するつもりはないのだが。比良河が学院内におけ友人関係の話題を振ったのは、おそらく担任ではない真っ当な教師から小言を言われたというのもあるのだろうが、少なくとも善意から提案してくれたのだろう。その行為を無下むげにするほど春人自身は愚か者ではない。

 それに自分がどれほど他人と違う存在だとしても、頭の片隅で悩んだ上でポジティブ思考になる主人公気質な人間がいることを中学の時に知っているからだ。色んな言い訳を浮かべたところで、学院で他者との交流を避けているのは本質の部分で人間的にネガティブで面倒臭がりだからだと理解している。

 ゆえに春人は、普通のどこにでもいる目立つのを嫌う一般的らしい男子生徒のままを望む。なので比良河に言われようと深い交友関係を作るつもりはないが。


「……そうだな、作ってみようか。学内でも友達とやらを」

「ええ、頑張って。私でよかったらいつでも相談にのるからね」

「本当か? じゃあ早速で悪いが、質問いいか?」

「もちろん! なんでも聞いて?」


 人のいい笑みを浮かべる比良河。

 警戒する気もない可愛らしい笑顔がまぶしい。これからふざけるのが申し訳なく思えてくる。


「今さらだけどさ。自分からどう話しかけて友達作るんだっけ?」

「ふふっ、そんなもの変に意識する必要はないんじゃない? もっと話す機会を多くしてみるとか、相手のことをもっと知ろうとするとか。それぐらいでいいのよ」

「あー……そうじゃくてさ」


 彼女は、ん? と小首を傾げている。


「なんだろう材料というか……」

「えっ、材料?」

「そう、水三十五リットル、炭素二十キロ、アンモニア四リットル。そこまでは覚えてるんだが……」

「春人くん……?」

「あとなんだっけ、塩分とか硝石しょうせきとか、それから硫黄いおうも必要だったはずだ。いやしかし材料を揃えても無理だろうか。なんだろう、こねくり回したらできるものなのか、友達って」

「ちょ、春人くん!? なんの話をしてるの!?」


 漫画から得た人体錬成の材料を述べていく春人に驚愕する比良河。おそらく少年誌系の書籍に目を通してないためこのネタは伝わっていないだろうが、不穏な雰囲気は感じたのか、かなり引き気味だ。

 慌てて冗談だ、と春人が告げると彼女は安心したのか、ほっと息をついて表情を緩めていく。

 もちろん冗談だ。本当は全部覚えている。水三十五リットル、炭素二十キロ、アンモニア四リットル、石灰一.五キロ、リン八百グラム、塩分二百五十グラム、硝石百グラム、硫黄八十グラム、フッ素七.五グラム、鉄五グラム、ケイ素三グラム、その他少量の十五の元素。

 もう十六歳になるというのに完結し終えた名作漫画の、ためにならない雑学を覚えているのはおかしなことだと春人自身も思うのだが。こういう風にアホな空気を作っていかないと、放課後に美少女優等生と教室で二人っきりという状況は春人的にはあまりよろしくない。

 思春期の男子として異性といるのが嫌というわけではなく、同級生としての雑談から不意に相手を性的に強く意識し合う状況に陥る可能性を秘めてるため危険なのだ。

 今でも春人の意識の片隅は、目の前にいる比良河へのほのかな色欲めいた感情が渦巻いており、視線が吸い寄せられるように彼女の顔ではなく首筋を何度も彷徨さまよう。制服の襟と、綺麗に洗って真っ直ぐな毛並みをした黒髪の間にのぞく、細い首筋。白い素肌。

 陽が落ちかけ薄暗くなりつつ教室の中でも、青く透ける血管の位置が目視ではっきりとわかる。

 春人は、どうにかして自身の内側から湧き上がってくる強烈な反応を抑えるため、腕組みしたままで両方の親指を痛むほどに握りしめた。

 それでも獣染けだものじみた異様な気配が、春人の全身から静かに微量に放たれる。しかし比良河はその春人の怪しげな状態に気づいていない。


「あはは……春人くんってやっぱりおもしろい人なのね」

「……っ! いや、そうでもないだろ。こんなくだらないことにユーモアを見出してくれる比良河さんの感受性が豊かなだけだと思うけどな」

「えー本心で言ってるんだけどな。でもそうやってすぐに自虐に走るのはマイナスかも」


 そう言うと、彼女は学生鞄を肩にかけ教室の入り口へと歩いて行った。


「私そろそろ帰るわね。春人くんはまだ残る派? 鍵を閉めなきゃならないんだけど」

「いや、俺ももう帰るよ。ここに居続けたらあまりにも異常者だから」

「……異常者って。自分からそれ言っちゃうの?」

「第三者視点で見れば明らかに異常者だからな。学院で友達は上手く作れないが、自己評価に関してはまともだと思ってるさ。……っと、忘れ物ないから閉めてくれて大丈夫だぞ」


 春人がそう告げ閉めてもらおうとしたが、


「ちょっと! 大事な物忘れてるわよ」


 比良河が春人が先ほどまで座っていた机のある一点に、自身の人差し指を向け差し示す。ホルスターに入れられた黒い()()を。

 正確にはベレッタ・モデル92G。有名なイタリアのベレッタ社が設計した自動拳銃。コルトガバメントから変更し制式採用した米国軍を筆頭に、世界中の法執行機関や軍隊で幅広く使われている。由緒正しき対人殺傷を目的とした携行可能な小型武器。実弾は一発たりとも装填してないが、普通の教室に存在するそれは明らかに異彩を放っていた。


「……別に必要ないだろ」

「ダメよ、校則に記載されてる必須事項なんだから」


 と、比良河は春人の目をジッと見て言う。

 校則……『専科学部に在籍する執行官エクスキューター候補生級エクスワイアたる者、学内において認可を受けた刃物や携行火器の保持、管理の義務並びに携帯を行うものとする』、だったか。

 うんざりとした面持ちを隠そうともせず、春人は右手で目元を覆い軽いため息をつく。その後、再び自身の机に戻りベレッタ・M92Gの入ったホルスターを目視できる腰回りに金具で取り付ける。

 寝てたせいで若干固まった筋肉をほぐしながら、まとめた荷物を抱えて廊下へと出ると、比良河はまるで息子の成長を見守る母親のように何度か頷いたあと、教室の鍵を閉めた。

 廊下を見渡すが静まり返っており、他のクラスにも人がいる気配はない。どうやら春人たちが最後の生徒だったようだ。


「それじゃあね、春人くん。私は鍵を返しに職員室に寄ってから帰るから」

「ああ、比良河。また明日……、っとまた明日の前に一ついいか」

「ん? どうしたの?」

「いや、大したことじゃないんだ。実を言うとさ……」


 そう意図的に間を開けたあと、春人は「──俺は結構、今の学院生活をわりと楽しんでるんだ」、とそう美少女優等生の比良河に対して楽しげな表情で言葉を紡いだ。


 ◆


 学級委員の比良河と別れたあと、春人は寮で作る夕ご飯の買い物を済ませ都市内を巡回するモノレール駅近くの繁華街を歩いていた。肩を撫でる乾いた風が夏の終わりを実感させる。今の時刻は十七時十二分。まだ日没までは三十分以上もあり、それなりに学生以外の人々もちらほら見受けられる。

 大量と呼ぶほどではないが、それなりに買い込んだスーパーの袋を持ちながら、新しくできたケーキ屋のシュークリームを買うべく少し寄り道をしてる最中だ。春人のクラスでも最近よく話題に出るぐらいには特別有名な店だとか、行列ができるだとかいうわけではないらしいのだが、執行官エクスキューターになるべく日々邁進することに余念がない学院の間で情報が共有されるということは、ストレスを忘れるほどの確かな味なのだろう。

 学院内では周りと一定の距離を空け、努力することを面倒臭がる春人とは違い、他者とのコミュニケーションを積極的に行い最優秀な一年生である妹の鳳道院灯那ほうどういんひなは、学院一、二を争うほどに自堕落を好む春人とは真反対だ。今年度の新入生代表を堂々と務め、大陰陽師の土御門天夜に仕えた高弟一族にして、国家保安庁《極東本部》の創設に多大な貢献をした御三家の筆頭格たる鳳道院家に恥じない優れた才能とそれを伸ばすべく続けられる努力、さらに己の才能を過信せず謙虚な姿勢を崩さない性格。

 あらゆる面で家族どころか同学年とは思えないほど、春人と灯那は隔絶している。単純な学力に関しては負けてないので稀に勉強を見てあげているのだが、一生懸命努力しており、「何かご褒美いるか?」と尋ねたところ頼まれたのがこのシュークリームであった。

 おそらく女の子がメインターゲットであろう店に男子高校生が一人でフラっと買い物に行くのには多少抵抗があるが、これも溺愛できあいする可愛い妹のためだ、と即断即決し春人は喜んで承諾したのである。

 メモ帳に簡単に描かれた地図を元に店の場所を探していると、学院指定の制服を着た女子が他校の男子にナンパされている姿が目に入った。

 腰にあるホルスター入り自動拳銃、コルト・デルタエリートを見れば普通から逸脱した学院の生徒だとわかり声をかける人間は相当少なくなるのだが、困ったことに彼女の姿は忘れがたいほどに見覚えがある。というか、入学したばかりの学院の男子ですら彼女の名前を知らない者はいないだろう。

 三島那岐沙みつしまなぎさ。一つ上の学院生徒で生徒会副会長を務めるとてつもない美人として有名だった。ルックス、スタイルともに抜群で、フワフワに巻いたロングヘアが特徴的な先輩。噂では彼女目当てで執行官エクスキューターを育成する学院へと進学した男子生徒もいるといった話だ。毎日ラブレターをもらうのは当たり前、多い日は二通以上もらうこともあるという冗談のような話も彼女なら納得できる。すでに自クラス内でも玉砕者が何人か出ているのを春人は知っているからだ。

 個人的に話したこともないので関係のない話なのだが。美人であるため興味がないわけではないのも事実。ただ、彼女の場合あまりにも距離が遠すぎるというか、まるで雑誌のグラビアアイドルやらモデルを見ているような感覚なのだ。春人としては身近な存在だという実感があまり得られない。

 ステージで歌うアイドルにも学園のアイドルにもイマイチ興味が湧かないので、首を突っ込む気は起きないという気分。無視してさっさと買い物に行くべき、と春人は思い足を踏み出して行こうとしたら、なぜだか彼女のほうから視線を感じてしまった。気のせいだと春人は思うのだが思わずそちらに顔を向けるとバッチリと目があった。

 明らかに困ったような、助けを求めるようなそんな目。

 思わずため息が出る。こういうことをする積極性があるタイプではないのだが、ここで行動しなければ男として……というか、人として終わってしまうだろう。

 大きく深呼吸をして、春人は覚悟を決める。


「おーい、先輩! こんなところで油売ってたんですか?」


 知り合いを装って駆け寄ると、困惑する先輩に黙っているようにとアイコンタクトを飛ばす。それから彼女を口説いていた男子生徒が言葉を発するよりも先に口を開かなければならない。

 悪い比良河、ちょっと名前借りるな。

 と、内心で謝罪の言葉を春人は口にする。


「もう五時過ぎですよ三島先輩! あの比良河が時間に厳しいの知ってるでしょう? 待たせすぎて文句を言われるのは俺なんですけど」

「えっ? えーっと、ごめんなさい。ちょっとこの人に捕まっちゃって……」

「ん? 三島先輩のお知り合いですか?」

「んーん、今ここでナンパされたの」


 こちらの行動の意図を察したのか、三島先輩は話を合わせてくれた。

 直接的ではないが、自分が邪魔者であると伝えられた男子高校生はバツの悪そうな表情を浮かべている。


「はぁ。ナンパでもなんでもいいですけど、集合時間過ぎてるんですからね! 俺は先に行きますよ!」

「ま、待って待って。一緒に行きましょうよ! ……ということでごめんなさいね? お茶には他の子を誘ってあげて」

「えっ……あー、うん。ごめんね、時間取らせちゃって……」

「ん、大丈夫よ。それじゃーねー! ほら、行きましょ」


 そう言った三島先輩は、自分の手を取ると強引に引っ張って移動を始めた。目的のお菓子屋とは逆の方向に。


「ちょ、三島先輩! そっちは違うんですけど!」

「ごめんなさい! 話は後で聞くからとりあえず付き合って!」


 悪いな、男子生徒。ナンパするならもう少し口説けそうな子を狙ってくれ。

 そしてごめんよ妹。頼まれていたシュークリーム買ってあげられないかもしれない。

 春人は三島先輩に手を引かれながら、逃げるように繁華街を後にしたのであった。


 ◆


「あっ」

「ん? どうかしました?」

「んーん、やっと笑ったなって」

「……俺がですか?」

「そう! 今の顔、すごい良かったわよ! グッド!」


 グッド? 発音はネイティブではないが英語のgoodだろう。この言葉には様々な意味があるが、おそらくそのままの意味で使われる良い、優良な、有益な、を指すはず。

 褒められたようだ。笑った顔を? そんな馬鹿な、と春人は思わず驚く。

 別に普段から表情が死んでいるということはないはずだ。彼女と出会ってからも愛想笑い程度は適所で浮かべていた。それなのに初めて笑ったとはおかしな話だ。

 ……ただの変わり者だと思っていたのだが、案外人の感情に鋭いらしい。

 言葉に詰まり黙ってしまった春人に見兼ねたのか、三島先輩は手を取って引っ張ってきた。


「ほら、春人くん! 妹さんに何か買って帰るんでしょう? 早く行きましょ!」

「あー、はい。わかったんであの、手離してくれません?」

「なんで? わたしと手繋ぐのいや?」

「別にいやじゃないですけど、この姿を先輩のファンに見られたらきっと俺殺されちゃうんで。流石に自分の命のほうが大事なんですよ」

「大丈夫! そのときはちゃんとわたしがかばってあげるから!」

「むしろ事態悪化する気がするんですが……」


 なんたって学院中の男子生徒の大半を敵に回すのだ。男子の味方が極端に少ない自分の立場では、盛大に血祭りにされる未来が容易に想像できるため春人はどうにか断るのだが。

 春人の心配をよそに三島先輩は手を離す気はないようだ。この人大丈夫なのだろうか。これが普通の男子高校生だったら絶対恋に落ちていたはずだ。

 彼女がそれに気づいていないのがタチが悪い。こういう女性を魔性というのだろうか。

 それともいずれかの御三家の血筋を受け入れ、存在感を増してきている数紋家ナンバーズの中でも最有力と見なされている二つの家の一つ、おそらくは直系の後継者候補として育てられた器のせるわざか。

 まぁこの時間帯に他の学生とすれ違うということも少ないだろうし、気にしないことにする。三島先輩は美人ではあるもののこちらの好みの異性から少しズレているため、自分の体質を抑える必要性がないのは非常に助かるのも確か。それにこっちは学院内では意図的に寂れた日常を送る男子高校生なのだ。こういうときぐらい王道な青春してもバチは当たらないだろう。御三家だとか数紋家ナンバーズだとか忘れて、この短い幸せを甘受しよう。

 そんなくだらないことを考えながら三島先輩に手を引っ張られ、春人は帰路につくのであった。




毎週金曜日への投稿を心掛けております。

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