~雨沢 怜~ 2
――どうしてこの先輩には守護霊がついていないんだ?
こんな人を見たのは、冗談抜きで生まれて初めてだ。俺の記憶が正しければ、守護霊が付いていなかった人間というのは今まで見たことがない。
昨日の朝に見たお爺さんにも憑いていなかったが、それはあのお爺さんが幽霊だったというだけ。それにこの人、守護霊が憑いてないんじゃなくて、憑く事が出来ないような……そう、
俺と同じで。
「あの――綾さん」
長い沈黙が続いていたが、雨沢先輩は静かな口調で、木下さんの名を呼ぶ。
「はい。なんですか?」
「ちょっと席をはずしてもらえるかしら?」
「え?」「え?」
シンクロした俺と木下さんの声が屋上に響く。
「え、あの……どうして……」
「簡単なことよ。あなたが居ると邪魔なの」
「……え?」
驚きの声を上げているのが木下さんではなくて、俺だったと気づくまでに五秒ほど時間を費やした。
言われた張本人である木下さんは、そういわれることが分かっていたような、なにか澄ました顔をしている。しかし、仮にそうだったとしても、
「そんな言い方は、ねえんじゃねえか?」
「それはどういう意味かしら?」
「いや、だから――」
「私は別に間違ったことを言っているつもりはないわ。邪魔だと思ったから、その感情を言葉に変えただけ。言語にするか否か、それだけの違いよ」
な、なんなんだこの女。
人とあまり関わってこなかった俺だって分かる。この女、まじでやばい。まるで……
――心がないみたいだ。
「わ……分かりました」
隣から震えたか細い声が聞こえてくる。
「じゃあ浦君、また明日ね。雨沢先輩も。失礼します」
「ええ。また明日」
「ちょっ! 木下さん!」
呼び止めようとして後ろを振り向くも、木下さんの姿はすでに見えなくなり、代わりに階段を駆け下りる、霞んだ音が聞こえてきた。
「お前、なに企んでんだ?」
「お前? 初対面の相手に使う代名詞だとは思えないんだけど? この場合、「雨沢先輩」と呼んで――って、そういえば自己紹介がまだだったわね。私は――」
「そんなことはどうでもいい! お――」
「あなた――見えてるでしょ」
「――っ!」
な、なんて切り返しの速い会話なんだ。とてもじゃないけどついていけない。
「見えてるでしょ?」
繰り返し、今度は一語一語はっきりと言い放つ雨沢先輩。
見えてるって、いったいなんのことだ?
その内容が、雨沢先輩の制服の中心部、リボンの右上辺りから見えている、水色っぽい色をしている下着のことをさしているのか……いや、仮にそうだとしたら俺に見えてるかどうか聞く前にすぐ隠すはずだ。冷静に考えてみろ。ここは屋上といっても『ミステリー研究部』の活動場所だ。ということは、
『見えてる』で繋がることといえばあれしか……
「これ、勝負下着なの」
「やっぱそっちかい!」
てか勝負って! これからの行動が限定されてくる二文字だ!
「ちなみに下は履いてないわ」
「そんなことを当然、みたいな顔で言うな!」
履いてないだと。……そうか。だからさっきから風でスカートが際どい位置まで捲れているのに見えるべきものが見えないわけか。なるほど。
「さて、早く話の続きをしましょ。下でトムが待ってるから」
「外人なの! 高校生で外人の相手との交流があるの!」
「なにを言ってるの? トムは生まれも育ちも熊本の九州男児よ。トム言ってたもの。《僕の~、好きな食べ物は~、すぅし、てんぷぅら、さしぃみで~す》って」
「トムよ……嘘を貫き通したかったら、まず日本語のなまりを完全にとってからにしろ」
「ちなみにトムはロリ好きよ」
「そのちなみに発言いる? ……って、ロリ好きだって!」
木下さんが危ない! 今すぐ助けに行かなければ!
「冗談はこれくらいにして――隼人君だったわね。あなた見えてるでしょ?」
階段に向かって四歩ほど動いたところで、再び雨沢先輩の声が聞こえてくる。
また会話が振り出しにもどったような気がするが、さきほどと確実に違うのは雨沢先輩の表情だ。
「いや違うわね。正確には、見えてないとこの現在の会話は成立する訳がないの。あなた目線で言い換えるなら、見えるべきものが見えず、見えなくてもいいものが見えている――といった感じかしら?」
「ようするに何が言いたいんだ?」
見えてるとか見えてないとか、なんかごちゃごちゃしすぎてよく分からん。
「あれを見て」
二時の方向に手を向ける雨沢先輩。さっきから話がコロコロと変わるな。
言われた通り、なんの疑いもなく彼女が指を向けた方向へと目線を向ける。
――またしても、一人の少女が、そこにはいた。
俺たちのいる位置から二十メートルほど先の……危険防止の為に取り付けられてるフェンスの向こう側に少女は立っていた。