~木下 綾~
「ねえっ! 浦君……だっけ? さっきの自己紹介面白かったよ!」
今日が入学式ということもあり、この日の授業は午前中で終わりを迎えた。
ところが、みんな家に帰ってもやることがないのか、まだほとんどの生徒が教室に残っており、それぞれ気のあった者どうしが集まって、メルアド交換やらこれから遊ぼうとか、友達作りに熱心になっている。朝布団の中で考えていた俺の未来予想図通りだったら、俺もどこかのグループに仲間入りして、楽しくがやがや話をしているはずだったんだけど……。
今はとにかく一人になりたい。
「あれ? 浦君で名前合ってるよね? なんで振り向いてくれないのよ~。ね~え~」
一人になりたいんだったら家に帰れば? と思っている人もなかにはいるかもしれないが、それもなんだか自分に負けたような気がしてしまって、結局理由は違えど、ここにいる一年三組メンバーと同じように教室で午後のひと時を過ごす結果となってしまった。
「体調悪いの? だったら保健室に連れて行ってあげようか?」
しかし、なぜ学校の机というのは、こんなにも眠気を誘ってくるのだろうか?
別にそんなに眠くない状態で学校の授業に挑んだとしても、なぜだか開始十分すぎくらいには、上まぶたは重力が六倍ましになったかと思うくらい下に行きたがるし、下まぶたは浮遊能力が備わったかと思うくらい上に行きたがる。
まあ、今は授業中ではないので、俺の上下まぶたはどんな変化もしていないのだが、それでも、無理矢理机の上に頭を置いていると眠気というのはおのずとやってきてしまうものらしい。
……一時間ほど寝るか。
《――おいこらクソガキ、ご主人様の言葉を無視してんじゃねえぞ。嬲り殺されてえのか?》
前言撤回。今の俺には眠気なんて言葉、皆無だ皆無。
ここで一つ雑談を。人間には防衛本能というものが備わっているらしいのだが、その代表的な例として『反射』というものがある。
これは、人がなにかしらの危険に出会った場合、その危険から身を守ろうとしようとするときにおこる運動であり、いわば、人間に元から備わっている無意識バリアとでもいっておこう。
なので、今俺が避難訓練のときにしかおこなわないような、机の下に隠れるという行動をしているのは『反射』が原因なのだ。
このバカ『反射』。おかげで無意識とは言っても、こんな恥ずかしい格好をするはめになってしまったじゃないか。
「あの……大丈夫ですか?」
心配そうな顔とともに、俺の前に一本の腕がのばされる。
ああ、そんな顔で俺を見ないでくれ……。どんどん自分という人間が嫌いになっていく。
机の下という異空間から脱出した俺は(クラスメイトの視線が痛い!) どこかに刃物がないか手当たりしだい探してみることにした。
おっ、こんなところにカッターナイフが。どれくらいの力を出したら頚動脈までとどくんだろう?
「な、なにしてるんですか浦君!」
「離してください木下さん! もう僕には生きていく自信が持てません。死にます。今すぐここで死なせてください!」
「なにわけの分からないことを言ってるのよ……って、私の名前覚えててくれたの!」
不意に笑顔になる木下 綾さん。
その笑顔には、どことなくまだ幼さが残っていて、ロリコン海道まっしぐら中の俺としては、ちょっと短すぎる髪で作ったポニーテールやら、ちょっと人より身長の伸びが著しくないところとか、ちょっと声がアニメ声っぽいところとか、つまり『ちょっと三銃士』は俺のなかではとても印象に残ってしまっていたわけで、それで名前も覚えてしまっていたわけでありまして……。
なぜだか分からないが、心の奥底にいるもう一人の自分が、必死になって俺の右心室を叩きまくっている気がする……。
ていうか叩いているに違いない。そうでもない限り、俺の心の臓はここまで速く脈打つわけがない。
も……もしかしてこれが、これが『恋』ってやつなのか?
「あれ? ……首から……血がでてますよ?」
「え……って、あびぇえひゅ!」
カッターナイフが首もとに5センチくらい刺さっている……?
心臓よ……そんなに速く脈を打つんじゃねえ! 血……ちが……なくな……るだろ……。