記録1 悲劇と出会い
ここは南極の実験都市。
氷床の上に建設された「ガラスとコンクリートの塊」と形容するのがぴったりの場所である。
そんな街にある大型ハドロン衝突型加速器「ユークリッドⅡ」の研究員として勤務しているのが俺、加島由宇だ。
今日は「プロジェクト=アトロポスB」の実験日。
いつもように俺は準備を済ませ配置につく。
『警告。関係者以外の者は速やかに実験施設から離れてください。五分後に実験が開始となります。』
警告ブザーが鳴る。
実験はもうすぐ開始だ。
俺は手元に集中する。
『ヴーン ヴーン ヴーン』
開始ブザーが鳴るや否や、俺の体は黒い靄に包まれる。
「な、なんだ、これは……いったい、どういうことだ?」
実験結果を見届ける間もなく、俺は意識を失ってしまった。
目を覚ますと、俺は草原の丘に倒れていた。
「実験は……、成功したのか」
この実験は高速で粒子をぶつけることで生じるエネルギーを観測するもの。そして、稀に副産物としてワームホールができる場合もある。
どうやら俺はその副産物によって未知の世界に転送されてしまったらしい。
まさか、こんなことに巻き込まれるとはな……
「これは、いったいどうしたことか」
だが、これを学会に報告すれば科学英雄賞ものなのでは?
……て、そんなことを考えている場合ではない。
とりあえず、この世界がどのようなものか把握できない以上、もちろん俺が帰れる保証はどこにもない。
幸いにも俺は技術者だ。生き延びる術はほかの人間よりも心得ている自信がある。
もっとも、知識だけで実戦経験は一度もないが。
「まあ、水場でも探すか」
俺は立ち上がって丘を登って行く。
頂上につくと、俺ははっと息をのんだ。
見下ろすと、辺り一帯には果てしなく小麦畑が広がっている。
南極にあるコンクリートと氷だけの世界で生まれ育った俺には見たことのない景色がそこには広がっていた。
「綺麗だ……」
小麦畑がある、ということは何らかの知的生命体がいる、ということだよな。
俺は希望を抱いて小麦畑のほうに向かっていく。
十分くらいだっただろうか、俺が小麦畑の中を進み始めて少し経ったその時、後方から全速力で走ってきた何者かに体を引き倒され、手首を押さえつけられた。
「うちの村の小麦畑を荒らすとは、頂けませんね。どういうおつもりですか?」
そう言うと、そいつは押さえつけた俺の手首を更に捻ってくる。
「い、いで、痛いッ! やめてくれ!」
「やめてほしいなら正直に白状してください。あなたはどこから来たんですか? なんでうちの村の畑を荒らしてるんですか?」
顔をあげてみると、まだ、少し幼い顔をした少女だった。
「いや、俺は畑を荒らすつもりなんかない」
俺がそういうと少女はこちらを鋭い目つきで睨みつけてくる。
「ほ、本当だ。ここに迷い込んで仕方なく……」
「……。嘘、ついてますよね? 本当の事喋らないと、腕引きちぎりますよ?」
「う、嘘なんかついていないッ、本当だ……」
真剣な眼差しで訴える。
すると、向こうにも本意が伝わったのか、少女は俺の腕を離した。
「まあ、故意に荒らす意図はないようですし?今回の件は不問とします、が、今後無断で小麦畑に踏み入った時には……覚えていてくださいよ?」
こちらを諭すように、こぶしを握りながら話す。
こんな娘に説教されるとは……情けないな。
「ところではじめの質問に戻るんですけど、あなたの身なり、ここら辺ではあまり見かけませんね。どちらから?」
少女がこちらの服装をじっくり観察してくる。
ここはどう説明したらいいのだろうか。本当のことを説明しても恐らく理解してもらえないだろうし……そうだな、ここは相手の共感を狙って、できるだけ多くのものを引き出してみるか。
「俺自身もどこから来たのか覚えていないんだ。ついさっき、あの丘の上で目を覚ましたのだが、それ以前の記憶は残ってない。食べ物も水もなくて……さまよっていたら、いつの間にか小麦畑の中にいた」
俺は丘の方を指さしてそういう。
すると、彼女は急に涙目になる。さっきはあんなに威勢のいいこと言っていたのにな……そこはやはり子供だ。
「そんな……ウソ……そんなこと知らずに私……ごめんなさいッ。……その、償いとまではいかないんですけど、よかったら私の家で食事でも取っていきませんか?」
よしっ来た!
「本当にいいんですか!? 助かります。行く当てもなかったので……」
まあ、俺の言葉に若干の嘘が含まれていることに多少の罪悪感はあるが、今はそんなこと気にしている場合ではない。飯が最優先だ。
「ほんの気持ちです。私の方こそ、事情を把握せずに……私の家は村のはずれにあるんです。ご案内します」
少女について行くと、小麦畑から石畳の道に抜けた。
絵にかいたような田舎町に俺は驚きを隠しきれない。
小麦粉を引くための風車、煙突のついた家、農業用の水路。俺にとって知識の中だけの存在だったものが目の前に広がっている。
「そういえば私のことまだ紹介してませんね。私の名前はルミア。この町で花の売り子をしています。あなたは?」
「俺は加島由宇だ。よろしくルミア。」
「……。えっ、それだけですか?」
「そうだな、余り記憶は残って無くて……。だけど、知識を得ることに関しては人一倍貪欲な自信がある。これが今、唯一誇れるところだな」
記憶喪失を演じ続けるのも、結構大変だな。変な嘘つくんじゃなかった。
「そうなんですね……。私は……特に誇れることは無いです。花の売り子もやりたくてやっている訳では無いですし……」
「じゃあ、どうして続けてるんだ?」
俺が素朴な質問をすると、彼女は悲しそうな目をする。
「あっ、言いたくないならいいんだ。その、ごめん。こんな初めて会った人間なのにそんな深くまで聞いて」
「い、いえ。そんな事ありませんよ。ただ……。実は私が8歳の頃、だから、今から十年ほど前に両親が戦争で亡くなったんです。それ以来2歳年下の妹と二人暮らしで。この村に住み始めたのも十年前からです。この村の皆さんはいい人ばかりですよ。孤児として保護されてきた私たちを暖かく迎え入れてくれたのですから。きっとあなたもそうしてもらえますよ。畑荒らしをしなければ、ですが。」
そう話す彼女の顔は笑っていたが、心の中はどうだろうか。
怯えているようにも見えたが、俺はそれ以上深掘りしなかった。
はじめまして!
初投稿です。
至らない所が多々あるとは思いますが温かい目で見守って頂けたらと……