第9話 廃墟の洋館
トージは正史から白鳥丘のことを聞いて我慢ができなくなった。そこにお嬢様の家族が探しに来ているのではないかと。そうであればお嬢様はまた家族一緒に暮らせるだろうと思っていた。
今は留守番をしている美湖しかいなかった。聡美が美湖をこども園にお迎えに行って、少し近所に用があると言って家を空けていたのだ。トージはお絵かき遊びをしているミーコに話しかけた。
「お嬢様。白鳥丘への道はわかりますでしょうか?」
「ええ、知っているわ。近くまで行ったことがあるもの」
「そうでございましたか。それならお願いがあります」
「一体、なあに?」
「私をそこまで連れて行っていただけないでしょうか?」
トージはどうしてもそこに行きたかった。正史には断られてしまったので美湖に頼むしかなかった。
「いいわよ。お出かけしましょう」
美湖はトージを抱えると、そのまま靴を履いて玄関の鍵を開けて出て行った。外は少し冷たい風が吹いていたが、空は晴れ渡っていた。美湖とトージは白鳥丘にゆっくり歩いて向かっていた。
◇
正史が家に帰ると聡美が青ざめてあわてていた。その様子から何か起こったようだと正史にもわかった。
「ただいま。ママ、どうしたの?」
「正史。美湖を見なかった。どこにもいないのよ!」
近所から帰ってきたら鍵が開けっぱなしで美湖の姿はなかった。ほんの少しの間だったのに・・・・。聡美は近所を探し回ったがどこにも美湖はいなかった。アパートに戻ってあちこち知り合いに電話をかけてみたが、やはり美湖は来ていないという。
「ママはもう一度、探しに行ってみるわ。正史は留守番していて。もしかして電話がかかってくるかもしれないから・・・」
そう言って聡美は出て行った。残された正史はカバンを置きに部屋に行った。そこにはお絵かきの途中だったらしく、描きかけの紙やクレヨンがそのまま散らかっていた。
「トージもいない・・・」
部屋を見て正史は気づいた。そしてその描きかけの絵には山と建物らしいものが描かれていた。
(もしかして美湖とトージは・・・)
正史はそう思うとすぐにそのまま外に出て行った。
◇
美湖とトージは白鳥丘にいた。美湖の足でもなんとかそこまでたどり着けたのだ。茂った木々が日を遮って道は薄暗く、その両脇には廃墟になって崩れ落ちた家々が並んでいた。しかも静まり返った不気味な様子が恐ろしげだった。
「トージ。ここが白鳥丘だよ」
「そうでございますか・・・」
トージは周囲を見渡しながら不審に思った。
(こんなに薄暗く・・・しかも人の気がない。こんなところではなかった・・・)
そこはかすかにかつての名残を残しているものの、あまりにも変わり果てた姿だった。美湖は周りの様子に少しおびえながらも、トージを抱えて歩き続けた。するとトージが急に声を上げた。
「ああ、ここです! ここに間違いありません!」
それはあの洋館の前だった。崩れかけた門に「石神」の文字の表札が見えた。
「ここなの?」
「ええ、ここです。中に入りましょう」
だがそこはトージの知っている場所ではなかった。壁は剥がれ落ち、火事で燃えた跡が黒く残り、洋館は半ば崩れかけていた。玄関は埋もれてしまって、どこにあるかはわからない。美湖がその建物の周囲を回ってみると、一つの部屋だけが片付けられていた。そこは正史たちが秘密基地にしていたかつての応接間の部屋だった。
「中に入ってみるね。」
美湖がその部屋に入った。するとトージは美湖の腕から飛び降りてあちこち走り回った。
「ああ! これは旦那様の絵、棚もある。壁飾りも・・・」
それらはトージに見覚えがあった。だがどれも古びてカビが生え、半ば崩れかけていた。
「一体、どうして・・・」
トージはその場に座り込んだ。するといろんな思い出がよみがえり、その記憶があふれ出してしまい、頭の中が混乱していた。
やがて夕方近くなり、外は暗くなり始めていた。不安を感じた美湖が、
「ねえ、トージ。もう帰ろうよ」
と声をかけた。しかしトージは返事をしなかった。その代わりに、
「旦那様が・・・東京に・・・疎開して・・・・お嬢様が・・・」
トージはぶつぶつとつぶやいていた。急に思い出した記憶を整理しようとトージは必死になっているようだった。美湖のことも忘れて・・・。
そのまま時間が過ぎていった。ここは日が暮れると急に寒くなる。美湖は真っ暗な部屋の隅に身をかがめて、
「ねえ、トージ。寒いよう。もう帰ろうよ」
と震えていた。だがトージの耳には聞こえていなかった。