7.エーコー
【夢メモ】
エーコー
山の精霊。娘はイユンクス。神の怒りを買ってコダマを返すことしかできなくなり、ナルキッソスに失恋。傲慢なナルキッソスは神罰で、泉に映った自分しか目に入らなくなった。
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〔前半は真鈴の独白〕
私は学生結婚だった。相手は一回り年上で父親の弟子。
初めて会ったのは10歳の時だった。子供の頃は相手にされていないのがわかっていたので、大好きなお兄さんにまとわりつくという立ち位置だった。
中学生からそれなりの数の彼氏を作り、それなりな交際を重ね、やっぱりあの人が恋愛的にも大好きだと思い知り、告白した。成人してからは体当たりでいい寄り続け、ようやくうなずいてもらえた。
あの人は仕事が忙しくて彼女を作る暇もなかっただろうし、私は何度か彼氏を家に連れてきていたので、初めてでないことはバレていただろう。私の成人と相まって、想いに応えるハードルが大分下がってくれたのだと思う。
でもまさか学生のうちに妊娠するとは考えてもいなかった。説明書通りに避妊はしていたが、万全ではなかったのだろう。私は当然産むつもりだったし、あの人も同意してくれた。
しかし親はそうはいかなかった。あの人は破門、私は家を出た。追い出されたわけではなく、彼と一緒にいたかったのだ。二人きりで入籍した。保証人は幼馴染だ。
学費はすでに払い込んであったし、単位にも余裕があったので、お腹が大きくなっても気にせず通い、そのまま卒業した。それでも最終学年に出産して卒業出来たのは、学友と恩師の協力のおかげだった。
私は夫と一緒に働き始めた。同じ県内で仕事をしていても、幸い実家からの仕事の妨害はなかった。
子育ては意地でも実家には頼りたくなかったので、時折幼馴染のアドバイスをもらった。みんな私の子供の時からの彼へのあこがれを知っていたから、帰省を勧められはしたが快く協力してくれた。
そうして子供が1歳になる頃、夫が病気になり、あっという間に逝ってしまった。きっかけは風邪。そこからウイルス性の肺炎になってすぐだった。
私と息子にはうつらなかったが、呆然としたまま動くことができなかった。夫は天涯孤独だった。連絡する親類も、頼る人もいない。
すると病院に父親がやってきた。連絡先として夫が指定していたのだ。弟の失踪1年目の節目の捜索の時にも顔を合わせてはいたが、交流するには至っていなかったのに。
父親の手配で葬儀が行われた。夫の修行時代の仲間や、取引先の皆さんも参列してくれた。私がしたのでは、皆さんにお別れをさせてあげることもできなかったことだろう。
父は独立後の夫の仕事も把握していたのだ。もしかしたら頑なな私が気付かないうちに、交流があったのかもしれない。
私は意地を張るのを止めた。いや、意地の方向を変えることにした。父は私が実家に帰るのを、うなずき一つで受け入れてくれた。その仕草は、弟子だったあの人となんだか似通っていた。
父がそんな弟子を破門にした時は、弟の失踪に私の妊娠、それより前に母も無くなっていたから、冷静な判断ができなかったのかもしれない、とやっと思うことができた。
嘆いても夫はもういない。実家の稼業を継ぐ者はいるかもしれないが、家を守っていつか父親の葬儀を出すのは私なのだ。
腕の中の息子がお腹を空かして泣いている。食い扶持を稼がなくてはいけない。取引先との契約も続いている。夫の助力なしの私では無理かもしれない。でも会社ごと実家に合流すれば相手への迷惑は最小限だろう。実家は県内でも有数の大手だった。
それでも、うちが実家の傘下につくのではなく、外で修行していた娘が契約持参で凱旋した、と思われるように仕事に励むことに決めた。
私は奮起した。立派だった夫の背中を、私が代わりに息子に見せるのだと。
私たち姉弟が子供の頃ですら家庭を省みなかった父親が、孫の子育てに参加するわけもない。そういう意味でも、夫は昔から私の支えだったのだ。参観日にだって来てくれた。
私の息子は引け目を感じることがないように、愛情いっぱいに育てよう。そう決めた。
再婚はしなかった。別れ際に弟に言われるまで、息子にまで勧められていたとは知らなかったが、昔からずっと話は何度もあった。
けれど私は断った。夫への慕情というより意地だったのだ。草場の陰できっと夫はため息をついていることだろう。あの人はそういう人だった。
実家に戻って生活の心配はないし、やもめだった父親が雇った家政婦のいる生活。多くの同僚がいる職場。決して一人じゃない。でも恵まれた環境に甘えることができなかった。幼馴染と会う心の余裕もなくなった。
この人になら気兼ねなく頼ってもいい、我儘を言っても許してくれる、絶対に助けてくれる、そう思えたのはあの人だけだったのかもしれない。
それでもいつも周りに人がいて、息子に構い、私にも声を掛けてくれた。私の厄介な性格を知っていて、あえて踏み込んでくる人もいた。だからこそ、子育ても会社も、あそこまでやっていけたのだと自覚している。
確かに私は一人じゃなかった。
息子を育て上げ、父を見送り、素敵な嫁を迎え、孫に恵まれて、息子に会社を引き継いだ後、ドヤ顔で夫と父母の墓を詣でたのは、弟の帰還の少し前のことだった。
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(前世を思い出す前の、ただの魚類だった時には気にもならなかったのに……16年も一人でいたせいで言葉も覚えることができなかったと思ったら、急激に悲しくなっちゃった。前世ではいつもギャーギャーうるさくて、大変だけど悲しむ暇なんてなかったしな……)
真鈴がぽろぽろ泣き出すと、イケオジと渋イケメンが狼狽えだした。
(自称女神や真とは話せたから気にしてなかったけど、あれは日本語だったからだ……。でも今から言葉覚えるとか無理! 体は16歳らしいけど、意識はオバサンだから今更勉強とか辛すぎる……。サカナの脳ってどんだけ?? コンニャクを下さい!!)
「$&≧‰≮∂、∅∝∋⊇⊄∫?」
渋イケメンが自分を指差して何かを言い、真鈴を指差し首を傾けた。
(名前を聞いてるのかな?)
「ますず。ま、す、ず、うおしま。あなたは?」
同じように指差しながら真鈴が尋ねると、渋イケメンが繰り返す。
「$&≧‰≮∂。mえjuじゅ? めjうじuーoし m?」
(全然分かんないし、言えてないわ。真鈴って発音しずらい? 前世でもそうだったな……嫌だけど、日本じゃないしもういっか。嫌だけど。)
「まーりーん、うーおーしーまー。あなたは?」
「ぅれiもnどぅkあぅろs。mえあrいnうーおsいmあ。」
うんざりするほど何回も繰り返し、やっと妥協点に到達する。その間イケオジはじっと真鈴を観察していた。
「レイモンd 。メリーぬ?」
「おぉ、それっぽいけどもう一声。メリー! レイ! もうこれでいいんじゃない?」
「#*%;≫∅≦∼-≮∇メリー。 メリー、@&∅;≦∅≫%-∅*$≧≈∂∞∋∪。」
レイがにっこり笑って今度は、真鈴改メリーとイケオジの間に手を行き来させて何か言っている。
「え? また? もう無理……イケオジ名前長いよ〜無理〜」
つぶやきながら絶望的な顔でイケオジを見つめるメリーに、イケオジは笑ってメリーの頭を撫でて何か言う。
「@*%;∅≧⊗∞∉⊇∨∬。」
(お願いだから後にしようであってくれ〜。っていうかお偉いさんぽいのに、よく今までずっと待っててくれたな。)
メリーの願いは届き、2人は建物の方に歩いていく。抱えられたままのメリーもそのまま扉の中に入る。
ドアを押さえた執事風の男やメイド風の女など、数人の使用人に出迎えられた。
「@&$∆∅%≫⊕≦∨∞∏、∪∮;∅≧⊗∞∉⊇∨∬∷*……」
イケオジの長々しい謎言語を聞いているうちに、メリーは眠くなってきた。
(そういえば私溺れたんだった……)
イケオジが振り返って目を向けた時にはもう、メリーは夢の中に逃亡した後だった。
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【夢メモ】
メリー
魚島真鈴が色々妥協して改名。メジュジューオシム、メアリヌオシ厶……メリーヌ、からのメリーを採用。前世では、オオカミのこどもを育てるシングルマザーの映画が辛くて見られなかった。
2022.10.5 初稿
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