18.蛤女房
【夢メモ】
蛤女房
逃がしてやった大きなハマグリが女人になって恩返し。羽根で機織りではなく、その身の出汁でスープを作る。身バレして海へ帰還。魚女房バージョンもある。蜃と書いてオオハマグリorミズチと読む。蜃は竜類説あり。
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ブルブル震えながらレイに抱えられているメリーが、止まった気配を感じて目を開いて見たものは、客間の扉ではなく満天の星空だった。
「なんで?」
メリーは自分を抱きかかえるレイの顔を見上げた。
「ブロワ伯爵の部屋に行きたかったのですか?」
尋ねられたメリーは首をブンブンと横に振った。
「ブロワ卿にはサラが秘蔵の酒を持って行っています。しばらくは大丈夫でしょう。」
「どうして? レイ、どうして?」
「あなたがなさりたいようにするのが最善です。フルク様とて好き好んであなたを差し出したいのではないのですから。けれどあなたは色事を厭うているわけではないのでしょう?」
なぜそれがバレているのか。メリーは驚愕していた。狼狽えるメリーに、レイが言い辛そうに続ける。
「身は清いはずなのに、何故か進んでそれを捨てようとしている。……そうフルク様が仰せでした。」
メリーは色々な意味で泣けてきた。
「呪い……」
思わず口からこぼれた言葉にレイが目を見開いた。
「!? ……それは髪が黒くなって人魚になることですか?」
「もっと! ……人魚、魚、泡。……メリー、消える、終わり。」
「?!? あなたが消えるというのですか?? どうすれば? どうすればあなたは消えないのですか? 折角つなぎとめた命を、みすみす失うことなどできません! ……もしやそのために急いで子孫を?」
それを説明する言葉をメリーは持っていなかった。少なくとも庇護愛や家族愛、キス程度ではだめだということしか分かっていないのだから。
「私……伯爵様、部屋、行く。」
涙を流しながら言うと、レイはそっとメリーを地面に下ろした。
「あなたの望むのはフルク様の妾ですか?」
メリーは首を横に振った。
「ジョフロア様を慕われているのですか? まさか、ギドン様を?」
メリーは力なく首を振った。愛を得たいだけ、その言葉を告げられなかったからだ。
(チャンスがあるなら試さないと……。でも、なんだか……泡でもいいような気がしてきた。人魚姫もこんな気持ちだったのかな。あんな酷い人に今世の処女を捧げるくらいなら……いっそ! あぁ! 言葉が出ないってもどかしい!!)
メリーは涙を流しながらレイの手に触れ、顔を見上げた。
「……嫌なことを、無理にする必要はありません。そんなことをしなくても、フルク様はあなたを追い出したりはしないでしょう。」
(こんなこと、紳士のレイに言葉もなしに伝わるわけないか……)
空を見上げると、地球よりも遥かに大きな満月が中天にかかっていた。
「行く。」
メリーは振り返らずに、フルクの執務室へと足を向けた。庭に残るレイが血が出るほどに拳を握りしめているとはつゆ知らずに。
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「メリー……来たのか。」
もう深夜と言っていい時間だったが、フルクは執務室にいた。
「遅い、ごめんなさい。」
「あぁ、ピエールとサラから聞いたよ。二人の手助けなしにドロゴ様のお世話をちゃんと……やり遂げたそうだね。」
(フルク様は、それを喜んでるんだろうか。……ヤケドすればよかったと思ってる? 奥様も鉛のゴブレットと不健康な生活で早く死ねばいいと思ってる? 全ての責任を負って、私も早く死ねばいいと思ってる?)
メリーとフルクは、互いに口を噤んで見つめ合った。
「公たちが帰られたら、メリーとレイは休暇を取るんだったか……。二人は、その……」
「レイ、メリー、助ける、した。今度、メリー、レイ、助ける。」
「そうか。……では、私のことも、助けてくれるかい? ……ブロワ卿の、部屋に行ってほしい。」
強引ではないが、いつでも自信を持った物言いをするフルクが、今日はメリーを窺うように遠慮がちに言葉を発した。
「はい。ブロワ卿、部屋、行く。」
メリーははっきりと答えた。
「そうか、ありがとう。……だが行けば、ブドウやワインでは済まないよ? もっと……そう、アディが怒るような出来事があるだろう。……それでも行くかい?」
「メリー、裸、平気。フルク様、メリー、拾った。メリー、フルク様、助ける。だから……だから! 奥様、ドロゴ様、助ける、お願いします!」
「!?」
メリーがそう言うと、フルクは息を飲んだ。肘を付き顔の前で組んだ手に額を当てて、しばらくの間動かなかった。
「約束は……できない。できるだけ……できるだけ、時期が、遅くなるように、努力はするが……約束は、できない。」
フルクはまるでメリーの様なぶつ切りの言葉で、苦虫を嚙み潰したような顔をしながら言葉を重ねた。嘘はつかなかった。
メリーには時間がなかった。いつまで人間社会にいられるか分からなかった。だからその言葉を良い方向に信じるしかなかった。
「……行く。どこへ?」
「あぁ。東の塔だ。……早く朝になるようにな。3階だよ。」
「分かった。……さようなら、フルク様。」
何故かメリーは今そう言うのがいいような気がした。フルクは何も言わずにただ見送った。
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塔へとゆっくり進みながら、メリーは自分の気持ちについて考えた。
(私は震えるほど、何がそんなに怖かったのかな? こんなこと、別に勢いでするなんて何度もあったのに。ブロワ卿が人を殺すような人だから? ……それはそうだな。自分で手を下さなくても人殺しだ。真やレイと違って、意思を持って相手の死を望んでる。)
塔に着いたら今度はゆっくりと階段を上る。
(最後の手段を試しても駄目だったら、打つ手なく魚類に一直線だから? ……それもあるかな。人のご飯は美味しいし、独りぼっちはもう嫌だし。でも呪いもそろそろ、エラ呼吸型人魚になるだろうし、安全を考えれば近々ここを出ることになるのは変わらない。)
客間に着くと、メリーはノックをせずにそっと扉を開けた。部屋にはブロワが一人でソファーに座っている。ローテーブルにはブドウとワイン、陶器のゴブレットが2つ。
(フルク様ったら……)
ブロワの正面に回ると、目を閉じて眠っているようだった。メリーは音を立てないようにそっと窓辺に移動して夜空を眺める。
(はぁ……どうか呪いを解いてください。私は、ここにいたい。……って違うな、別に私はこの城にこだわりがあるわけじゃない。)
呪いの進行のせいか、ここ最近はぼんやりすることが多く、不安に駆られて朝晩に祈るようになっていた。それでもやはり母女神だけには祈りたくないメリーであった。
(望みは? うん……幸せになりたい。すぐに終わる幸せじゃなくて、末永く続く幸せを。……頼りたい、甘えたい、包み込むように愛してほしい。この世界でも、そんな人に出会わせてください。愛をもらわなきゃ……)
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視界から消えていく星々を見て、夜空が流れて行くのが分かるほどの時間を窓辺で過ごしても、ブロワは目を覚まさなかった。
(物理じゃ駄目となったら、やっぱ心情的な愛だよね。魚じゃそれは無理だから、人のうちに恋愛しないと、って今更だけど。……結局私ちょっと逃げ腰だったってことなんだよな。どこか体で済むならそれでいいって逃げてたのかも。……また置いて逝かれるのが怖いからかなぁ。……うーん、何に置いていかれるんだっけ?)
まだ夜は明けない。起きていないか確認しようと振り返ると、薄暗い部屋の中央で、ブロワが目を開けてこちらをじっと見ていた。
「ひっ!」
思わず後ろに下がると窓ガラスに背がぶつかって音を立てた。それは寝静まった城内には、酷く響いたようだった。
「いつからそこにいたの? 起こしてよ。」
ブロワはそう言って立ち上がり、メリーの方へとゆらりと近寄って来た。紺に近い青の髪を長く伸ばしている。最初に会った時にはゆるく編んであったその髪は、今はほどけて広がっている。
(うわっ、ロン毛無理~)
「そんなに怯えなくてもいいよ。最初から無理なことはさせないからさ。さあこっちにおいで。」
そう言われてもメリーは一歩も動けなかったのだが、それは恐怖に震えているためでは決してなかった。
(顔色悪っ! 薄暗くても分かるほどって幽霊なの? 指細っ! 働く男の手っていうのはもっと、角材抱えてもへっちゃらな太くて固い指じゃないと! デスクワークだけやってるのじゃ駄目なんだよ、君! レイとフルク様の間くらいの年だよね? ……そう考えると二人とも何故か手指が固かったな。貴族なのに?)
「ここでする? 別にいいよ。早起きの庭師にでも見せつけてやろうか。」
「はっ?!」
今の状況をすっかり忘れていたメリーだった。
頭を窓枠に押し付けられてキスされる。押し入ってくるブロワを、ただ黙って大人しく受け入れている……メリーではなかった。
(タバコ臭っ! フルク様はワインの味しかしなかったのに! ……あれ、私フルク様のこと好きだったのかな?? 確かにイケオジだし、前世の年齢的にもギリセーフ? ……いやいやいや。私たちの関係はビジネスライクだったよ? お互いに目的のために仕方ない感出てたからね。)
タバコの味と匂いが気持ち悪過ぎて息継ぎもままならず、メリーは軽く咳き込んでしまう。
「あれ? 今日の子は伯爵に仕込まれてないのかな? キスも初めて? まあ、たまにはそういうのもいいか。」
(えっ?! 伯爵は毎回上納品の仕込みもしてたの? あの淡々とした様子で? 誰得か……ってブロワ卿一択だよね。それほどの権力をお持ちには見えない軽薄さだけど……まあ薄幸の(元)美少年って風情は確かにあるかもね。好きな人は好きかも、私は無理だけど。)
傍から見ると危機一髪の悲壮なシーンではあるが、当人たちは何故かお気楽な思考に支配されていた。
「ブドウ! ブドウ、キス。伯爵、練習。」
「ん? あぁ、上手く喋れないんだったか。子供ってわけじゃない……みたいだね。まあいいか。ブドウを持ってくればいいの? 練習の成果を見せてみてよ。」
何故か窓辺が気に入ったブロワがブドウを皿ごと持ってきたので、タバコの味から逃れるためにも、メリーはフルクとの練習の成果を披露したのだった。
2022.10.15 初稿




