16.セルキー
【夢メモ】
セルキー
アザラシの皮を脱ぐと人間になる種族。皮を隠されると海に帰れなくなり従順に従う。戻った後に人間に復讐することもある。
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メリーが真鈴だった時に家を出奔したのは、できちゃた結婚を認めてもらえなかったためもあったが、一族企業であった社内に、弟ではなく自分を跡取りにさせたい派閥ができていたのを知っていたからでもあった。
つまりメリーと弟である真は互いに同じ理由で家を出ようとしていたのだが、もちろん若者らしい親への反発も理由のうちだったので、当時は互いにそんなことを知る由もなかった。
それでもそれぞれ家業の役に立つ勉強をし、職に就いて、家を助ける気持ちは捨てていなかった。
そんな潜在意識のあるメリーなので、アデライードの望むリアクションは返さなかった。
「伯爵、フルク様、じじい。でも、顔、綺麗、腹、肉、ない、臭い、ない、素敵。ブドウ、くれる、優しい。私、結婚、幸せ。アデライード様、夫、素敵、変える。結婚、ない、無理。でも、幸せ、無理、ない。できる。自分、掴む、頑張る!」
「確かに……。最初の数年我慢して嫡男さえ作って、その後はたまに晩餐に同席したりパーティーに同行する程度なら、お父様は最上の夫かもしれないわ。見栄えはいいし、裕福だし、お母様の好きに生活させているもの。」
アデライードは12歳にして既に貴族らしい娘だった。
(寝るとかクソじじいなんて言葉遣い、どこで覚えたんだろう?)
「でもそんな思い通りに相手を変えたりできないわ。相手はいい年のオッサンだし、今更生活を変えられないわ。」
メリーにもそれは分かっていた。しかしメリーは前世から年上の男性に、それもオッサンやじじいに囲まれて生活していたので、その辺りの手管はまあまあのものだった。
「相手、じじい。ΝξψΖΒψωΧΓΝΣλθΩφΙΘΞμΠεΖυΛσζα(ぶりっこして猫かぶれば甘くなる)。」
片言で説明するのは至難の技だった。
「(猫のゼスチャー)、(フードをかぶるのゼスチャー)、(手綱を握るゼスチャー)、(てのひらで転がすゼスチャー)、じじい、アデライード様、好き、なる。アデライード様、じじい、変える。」
「アディでいいわ。続けて。」
「伯爵、命令、違う。アディ様、やりたい、する。じじい、協力。」
メリーが話し終えると、アデライードはとても12歳と思えないような思慮深い趣きで、腕を組んで考え込んだ。
「つまり……皮を奪われたセルキーのように男に従順な素振りで機を窺い、ひとたび皮を取り戻したら復讐するのね、ワイングラスを片手に。お父様がわたくしの力添えを乞い願うように、夫を上手く使って天下を取ると。」
(いや、全然違いますけど? でもそんなに間違ってない?? セルキーって何、猫? 皮は合ってるけど違う!)
「うー……はい。」
(父親の言いなりじゃなくて主体的に、そのためには夫のじじいも毛嫌いするんじゃなくて上手く付き合えって言いたかったんだけど……でも概ね合ってる?? あと、ゴブレットじゃなくてグラスもあったんだ!)
アデライードは真っ赤な髪をばさりと払って立ち上がった。
「素晴らしいですわ! あなた、名前は何と言ったかしら?」
感慨深げに頷いて、アデライードはメリーに名を尋ねた。
「メリー、です。」
「あなたは無抵抗でお父様に体を好きにされていたのではなく、きちんと見返りも貰っていたのね?」
(体は好きにされてないけど、見返りは貰ってたかな。)
「ブドウ。……ワイン、少し。」
(そう! 折角ワインが飲めるチャンスだったのに、私用のゴブレットは鉛っぽい光沢だったんだよね。奥様から取り上げて部屋に隠してあるやつとは模様が違うから何個もあるのかな? 自分は陶器のを使うくせに、なんで奥様と私には鉛?)
「……来客、終わる、休み、長く。」
(奥様はこれで飲むと甘く感じるとか言ってたけど、惚気じゃなくてこの世界ではそういう用途なの? あのレイが知ってて放置してるとは思わないから、有毒って知られてないのかも?)
「来たばかりなのになかなかの待遇ね。なるほど……。そこまでお父様を篭絡するのに、何か良い手があるのかしら?」
(……そういえば昔はおしろいも有害だったとか聞いたことあったな。お歯黒とかも意味不明だけど。)
「……顔、口、塗らない……」
「なるほど! 若さと素材で勝負するのですね。それにおしろいも紅も塗っていなければいつでも触れ合えると……」
(えっ? 何か恐ろしい言葉が聞こえた気がするけど、話が進んでた?? いつの間にかアディ様座ってるし。)
「子が沢山いればその分政略的に取れる手も増えますわね。あら、それではお父様がなさってるのと変わらない……。つまりわたくしが駒になるのではなく、駒を動かす人間になれればいいのだわ!」
「うー……はい。」
(主体的って意味では着地点が一致したわ。びっくり!)
「そのためには美を磨かなくては! 最近お母様が若々しくお綺麗になっているような気がするのだけど、メリーは何か知っていて?」
(若々しいっていうか健康に戻ってきてるんだよね。効き目が目に見えてあるってことは逆に、排除したものが有害だったってことになるけど……)
「野菜、沢山、食べる。油、ギトギト、塩っぱい、駄目。食器、陶器。毎日、散歩。夜、早い、寝る。朝、起きる。」
(そういえば伯爵家のご家族が使ってたフォークとかって銀なのかな? でも銀って単語が分からないから言えない~!)
「なるほど、最近お母様がギィと一緒にいらっしゃるのは散歩のためなのね。あれもあなたの差し金であったと……」
アデライードは両手でメリーの手を握りしめた。
「見事だわ! お父様は私たちとお母様を関わらせないようになさってたのに、あなたのおかげで目論見が崩れているのだわ。」
「なんで?」
「さぁ。子供だけでなく、ご自身の結婚も駒の一つなのでしょう。妻を増やす時に子供に反対させないためかしら。」
(うわ~、奥様の予想あたってるのかも。第二婦人登場? 毎日わたしが愛人の催促されてたのは、そういう予兆があったからなのかもしれないな……)
「いいわ! あなたがお父様の妾になるのでしたら、わたくし歓迎するわ。メリーお姉さまと呼んで差し上げてもよろしくてよ。お父様すらわたくしの思い通りに動かすのも夢ではなくなってまいりましたわ!」
(いや……そんな怖いことには加担したくないんですけど?!)
どちらにしても呪いが進めばメリーはここにはいられない。いよいよ情欲行為の最終段階を試すか、再び魚類として人知れず湖沼で暮らすかの瀬戸際に立っていた。
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どっぷりと疲れたメリーがアデライードの部屋を出て廊下を歩いていると、ジョフロアとギィが一緒にいるところに出くわした。
(ご家族の部屋の近くに来たら遭遇しちゃうこともあるか……。早く逃げたい~)
ちなみに伯爵夫人の部屋は子供たちの部屋から遠く離れたところにあった。伯爵の執務室もまたしかりである。
「メリー!」
「ギドン様、こんにちは。」
「ギィでいいと言っただろ? 兄上、覚えていらっしゃいますか? 以前父上に引き合わされたメリーです。メリー、こちらはジョフロア兄上だ。ちゃんと挨拶をしなさい。」
メリーはギドンを恨めしく想いながら、何度目か分からない自己紹介をぼそぼそとした。
「メリーです。」
「よく母に仕えてるようだな。以後も励むように。」
ジョフロアはメリーの短く切られた黒い髪を一瞥して去っていった。
「メリー、どうして最近は一緒に散歩してくれないんだ?」
立ち去ろうとしたメリーの腕を掴み、ギドンが詰め寄る。
「……ギィ様、奥様、一緒。メリー、邪魔。」
「そんなことないぞ! ……では! では母上がいない時に、」
「ちょっとギドン! 何なさってるの?」
部屋から出てきたアデライードが、すかさずギドンの手からメリーの腕を開放する。
「メリーにはわたくしとの崇高な使命があるんですのよ。だからあなたの相手をしている暇はないのです。さあ、メリーはもうお行きなさい。ギィはわたくしの今後についてお話がありますわ。」
アデライードに引きずられていくギドンを見送りながら、またもやギドンの侍従と目を見交わして苦笑いしたのだった。
2022.10.14 初稿




