15.オンディーヌ
インスパイア! 若返りません!
【夢メモ】
オンディーヌ
錬金術師パラケルススのいわゆる『妖精の書』によると、四大精霊のうちの水の精のこと。波の乙女。人間と結婚すると、禁忌を代償に本来は存在しない魂を得ることができる。禁忌の一つとして、別の女性に愛を抱いた夫を必ず殺さなくてはならない。
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陽が落ちるまでいつもの池にいたメリーは、身を清めて夕飯を済ませた。
(水で洗って乾かしても生臭さは残るんだよね。石鹸は近代的だから臭いもさっぱりとれるけど。魔法で清めるのとか今度練習してみよ~)
メリーにとっての魔法とは、コンパクトやステッキで変身したりするものだったので、何でもポンというようにはいかなかった。
魚が水を操る・鳥が風を切って飛ぶ・ミミズが土を作る・ゴジラが火を噴くというのは想像できても、料理や服、家や作物が一瞬でできる・掃除や洗濯が一瞬でされるなどはその苦労を知っているだけに想像しにくかった。
(そろそろ伯爵のところに行こっと。今日こそはワインをゴクゴク飲ませて貰えるはずっ!)
前世のメリーは大変な呑兵衛であった。
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「やあ、いらっしゃい。今日は休みだったね? 君も16歳だというし、少しくらい羽目を外しても構わないだろう。」
伯爵の執務室に入ったメリーが見たものは、ソファーの前のローテーブルに置かれた二つのゴブレットとワインの瓶、房のままのブドウだった。
(そういえば私は記憶喪失設定なのに、レイと伯爵は16歳って言っても一度も疑わなかったな。川で裸を見たから? それとも何歳でも構わなかった?)
メリーが隣に座ると、伯爵はワインの瓶を持ち、メリーの前のゴブレットに注ごうとする。メリーはそれを止めるように瓶を受け取り、伯爵の前に置かれているいつものゴブレットにワインを注いて瓶を置く。
「あぁ、ありがとう。」
そういって再び瓶に手を伸ばそうとした伯爵の手をメリーは両手で掴み、その顔を見上げた。
「伯爵、ブドウ、欲しい、お願いします。」
「あ、あぁ。そうだね、まずはぶどうかな。」
そうしていつものように食べたブドウは、いつもと違い、メリーには覚えのある味だった。
(これ前世で食べたのとまるっきり同じ味! 冬になると働きに来るブドウ農家のおじさんが、毎年持ってきてくれたやつだ~!!)
目をうるませていつも以上にブドウを強請るメリーに、伯爵は小さくため息をついた。
「仕方がないな。」
いつもより多めにブドウを食べさせた後、伯爵は再び瓶に手を伸ばそうとした。そこでメリーは伯爵のゴブレットを手に取り差し出した。
「慣らす、お願いします。」
「あ、あぁ。……そうだね、まずは慣らそうか。」
そうしていつものようにワインを飲んだ伯爵は、メリーに深い口付けをした。それを何度か繰り返した後、今度は伯爵が手を瓶に伸ばす前に、メリーが伯爵に言う。
「ブドウ、同じ、ワイン、メリー、欲しい、伯爵、お願いします。」
「?! ……口移しで欲しいということか? なるほど。……思いの外、適任なのかもしれないな。」
そういうと伯爵はワインを口に含み、ゆっくりとメリーの口に流し込んだ。
(はぁ……仕方ないよね。)
時折メリーの口の端から流れ落ちるワインを伯爵が舐めとりながら、幾度となく口移しが繰り返される。
「メリー、上手だ。……今度お客様がいらしたら、君が同じように慣らして差し上げるといい。」
(えっ、慣らす? 客に? アルコールに慣らすってこと?? ……相手は子供? いや、無理! ジョフロア様は抵抗する間もなかったけど、あの子より年下はやっぱ無理だよ~!! ……あの子って?)
動揺したメリーがこぼしたワインが喉の方まで流れると、伯爵はメリーの首元のボタンをいくつか外して舐め取った。
バタン!!! と大きな音を立てて執務室の扉が開く。そこにいたのは伯爵家の長女、アデライードだった。
「お父様!! 軽蔑いたしますわっ!」
それまで伯爵は医療行為か給餌行動かというくらいに、淡々とメリーにブドウとワインを与えていた。それがボタンを外して喉元を舐め上げるという、色めいて見える行為を取った瞬間に開かれた扉に、中身がいい大人の二人もさすがに狼狽えた。
「アディ!! まさか覗いていたのか?? はしたない、淑女の風上にも置けない所業だ。」
(あわわわわっ! 子供に変なところを見られてしまった!!)
アデライードは父親の咎める声も意に介さずに、ドスドスと部屋に入りソファーの前で仁王立ちする。
「あなたも男の言いなりにされていないで、もっと抵抗なさいっ! お母様に訴えても助けてはくださらないわよ!」
(むしろ夫である伯爵を陥落させるように私に頼んでくるくらいだから、もちろん助けてはくれない……なんてその娘には言えないけども!)
まさに修羅場といった感じであったが、持ち直した伯爵は冷静に執事を呼んだ。
「娘を部屋へ連れていけ。」
「お父様! わたくしは絶対お父様のような男の元には嫁ぎませんからねっ!」
手を振って伯爵が退出を促すと、執事に抱えられたアデライードは扉の外へ去っていき、静かに扉が閉められた。
ポカンと口を開けてそれを見送っていたメリーに、伯爵が少し苛立ったように退出を告げる。
「メリー、練習は今日までだ。お客様がいらしたら、君に担当になってもらうから、その時は今日のようにおもてなしすること。決して失礼のないようご指示に従いなさい。」
「あっ……。は、はい。」
メリーは使われることのなかった銀色のゴブレットとワインの瓶を残念そうに見やりながら、礼をとって退出した。
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今日は午前中、レイの案内でアデライードの居室を訪れる予定になっていた。メリーは最近毎朝窓辺にいるカラスに挨拶をしてから部屋を出る。
「レイ? アデライード様、話、何?」
寝不足のメリーは、アクビをかみ殺しながら先導するレイに聞く。
「そうですね……。先日の騒動から推察するに、政略結婚に対する不満をメリーに聞いて欲しいのではないでしょうか。」
なぜかレイもあのやり取りを知っているのだった。
「結婚?」
まだ12歳のアデライードが結婚するとはメリーには信じられないことだった。
「一応婚姻は3年後の予定ですが、ジェヴォーダンとフォレを収めるかなり年上の有力貴族に嫁ぐことになっています。早まることはあっても無くなることはない婚約です。」
有力貴族へゴマすりのために喜んで娘を差し出すのか、逆らえずに涙ながらに取られるのか。レイの言いぶりではメリーに判断はできなかった。
「フォレ?」
「あぁ、兄ではありません。兄は事故で亡くなりましたので。」
「うー」
(実家もない、親戚のエムリ様のところも出奔して、天涯孤独って感じなのかな? なんか親近感。……なんでだっけ? 私も沼を飛び出したからだね。)
「ああ、エムリ様のご子息、ベルトラン様はご健在です。……この前の話ですが、近々お客様がいらっしゃいますので、その後にメリー共々長めの休暇がもらえることになりましたよ。」
「!?」
(来客……。伯爵が言ってたやつだ!)
「おや? 墓参りに同行してくださるのではありませんでしたか?」
レイが片眉を上げてメリーの顔を覗き込む。
(わっ! 渋イケメンのアップ! 最近色々あり過ぎて忘れてたけど、この城にゴロゴロいる各種イケメンの中では断トツ渋い!)
「は、はい。行く、一緒に! でも、お客様、心配……」
「そうですね。フルク様もどういうつもりでいらっしゃるのか……」
二人で考え込みながら歩いていると、目的の部屋はすぐそこだった。
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「遅いわ! 早くお入りなさい! お茶を用意したらあなたたちは退室してちょうだいね。」
アデライードの指示のもと、お茶会の準備が整えられ、部屋にメリーと二人きりになった。
「率直に聞くけどあなた! ……もうお父様とは寝たの?」
12歳の子供に本当に率直に聞かれ、メリーは狼狽えた。
「ね、寝た、ない。ワイン、ブドウ、伯爵、ごちそうさま。」
「そうなの? でもあの時……」
「私、ワイン、こぼす。伯爵、ふ、拭く。」
アデライードはずっと覗いていたわけではなく、その前のあれこれについては知られてなかったようだ。
「それにしては近かったような……。一介の女性使用人を一人で執務室に呼ぶのもおかしいし。」
メリーはあれこれ自体に後悔はないものの、幼い少女にそれを知られることは後ろめたかったので、必死に言い訳した。
「伯爵、優しい。ブドウ、懐かしい、記憶。昔、思い出す、あと少し。執務室、静か、人来ない。」
「そうなの? あのお父様が使用人にそんな気遣いをするかしら。」
色事から追及がそれたことにホッとしながらメリーは言葉を重ねた。
「伯爵、今度、お客様、仕事、メリー、話す。」
「ブロア家の方のこと? あなたに接待を任せるの? 言葉も怪しいのに……。ねえ、あなた水の精なんでしょ?」
「?!」
突然話が飛んで、メリーは驚いた。
「使用人が噂をしてるの聞いちゃったのよ。元は男にひどい目に遭わされて死んだ人間で、水の精の化身として記憶をなくして流れ着いたって。」
(よりによってとんでもない説が耳に入っちゃってるし。レイの言うローレライの話とも混ざってる気が……。しかも男(弟)にひどい目(舟消失)に遭わされて死んで、水の精(人魚)の化身(闇の呪いの姿)として流れ着いたって、ほぼ合ってるし。)
「うー……」
大人しくなったメリーを見つめながらアデライードは続ける。
「わたくし調べたの。水の精は男に復讐するって本に書いてあったわ。あなたもそうなんでしょ? あんなお父様、ヤっちゃってよ!」
(ヤっちゃうって、何を? お嬢様、物騒ですよ?)
言葉もなく自分を見つめるメリーの手を取り、アデライードはポロリと涙をこぼした。
「お父様がいなくなれば、私はクソじじいの嫁にならなくて済むはずよ。」
(あー……なるほど。そういうことね。)
2022.10.13 初稿




