1.浦島太郎
「今日未明、日本海沖を漂流している小舟が発見され、乗っていた意識不明の男性が保護されました。国籍、身元を証明する所持品はなく、年齢は40代から50代の中肉中背。髪は白髪で、アジア系と見られるとのことです。海上保安庁によると……」
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「いや、こういった場合、つまり所持品なしで記憶喪失の身元不明者の場合ですがね、自分が誰だかを証明するのは大変難しいんですよ。」
役所の会議室で、真鈴はスーツ姿の警官から話を聞いていた。
「浦尾真さんの場合、昔ご実家に空き巣に入られた際に取らせてもらった、照合用の指紋がたまたま残っていたお陰ですな。しかもデジタル化以前の署の統廃合のどさくさで、たまたま30も前の記録が破棄されずに残っていたのも幸いでした。」
当時大学進学による上京直前の男性の失踪ということで、子供の迷子の様には捜索をしてもらえなかったのだ。どちらかといえば水難事故の扱いだった。
「それもたった1回放送されただけの地域版のニュースを、お姉さんが見てご連絡くださったからこそ倉庫から記録を引っ張り出せたという訳で。お姉様々ですな。」
身内に行方不明者を抱えていた真鈴は、すでに死亡認定された今でも、その手の報道には耳を傾けるようにしていた。
「はぁ、写真が父親そっくりだったもので……。それでその、その人は、本当に失踪していた弟本人で間違いないんでしょうか?」
「発見された場所が場所だけに、似ているというだけではすぐに身元の引き渡しはできなかったかもしれませんが……。今回は指紋があるので大丈夫です、確かにご本人ですよ。ただ……あー、記憶に混濁があるようで。本人はまだ自分が18歳で、白髪は高校卒業時、金髪に染めた際にやりすぎたものだと言っとります。
確かに……救助人が船に引き上げた際には、もっと若者に見えたとの証言もありましたが、照明はあれども深夜ですし、病院までずっと付き添っていた人間もおりましたから、入れ替わりはありえません。見間違いでしょう。
それから自分が高校を卒業した、という記憶はあっても、どこの高校だったかや、どこに住んでいたかということは分からんようで。氏名も家族の名前も分からず……言ってみれば、失踪当時の自分の身一つの情報だけ保持している、という感じでしょうか……」
“30年振りに記憶喪失の弟が戻ってきた”などということが、フィクション以外で本当に起こるとは、真鈴には今でも到底信じられなかった。
「弟は……卒業後の春休みに釣りに行って行方不明になりました。大学デビューだと髪も染めて、確かに初めてでやり過ぎたとは言っていました。けど……行ったのは海じゃなくて湖ですよ? それにこの30年、弟はどこで何をしていたんでしょうか?!」
控えめに応答していた真鈴が、急に勢いよく話し出したのに目を剥いた警官は、手元の紙を手繰りながら非常に言いにくそうに話し出す。
「それについてはなんとも……。調書によると、彼は『おしん』と名乗っとりまして。えー、あー。……竜宮城に3日間滞在したんだとか。」
真鈴は数秒の間、警官の顔を見つめ続けてしまった。
「はぁ? ……竜宮城?!」
この30年、真は事件に巻き込まれたのか、もう生きてないんじゃないかと心配し、帰還を期待してまた失望し、いつしか真鈴は諦めた。それらの感情を閉じ込めて、そっとしまってあった思い出の箱が、突然今回の報道によって開けられたのだ。
そして半信半疑でこの場所を訪れ、今か今かと再会を待っていた真鈴には、そのふざけた発言は衝撃だった。恐る恐る覗きこもうとしていた思い出箱が、突如びっくり箱となって顔面に襲いかかってきたようなものだった。
「おしん? 何それ……朝ドラ? ……出稼ぎ?? 大学に受かってたのに!? えっ、誘拐とか人買いとかじゃないんですか!?!」
警官は真鈴の憤慨も予測していたのか、否定すべきところはきっぱりと、続きはむしろ申し訳なさそうに言葉を続ける。
「いや、拉致だとか人買いなどではないようで……。聴取の印象では、遭難して保護されていた人間といった感じですな。ただ、あー……。その保護の相手が、その、女神だとか湖の貴婦人だとかいう女性と一緒にいたんだと……」
とっさに弟が失踪した湖を思い浮かべ、別荘地の存在を思い出した真鈴は、なんとなく続きを聞くのが嫌になり、くだらない確認を入れることにした。
「それは……乙姫じゃなく?」
「そう、ですなぁ~。……一応薬物等の検査はしましたが、一切反応はありませんでした。健康診断の結果、浦尾さんは48歳とは思えないくらいの検査数値でした。」
「そう、ですか……。ではやはり、これはそういう……?」
真鈴は裏切られたような気持ちになり、先程までの憤りが薄れていった。
「やはり、避暑に来ていたお金持ちの貴婦人の……ヒモ的な生活を送って……年を取ってお払い箱になった……とかでしょうか?」
否定して欲しい気持ちで、上目遣いで警官の様子を伺いながら真鈴はたずねた。
「まぁ〜その。事実として言えるのは、身体上の特筆するような問題は一切なく、肉体労働や長距離歩行、虐待の痕跡はないということくらいですな。ああ、指のペンだこは立派でしたが。」
ひどい目にあっていなかったのはよかったのだが、受験を終えたばかりで大学に入学もせずに失踪した真には、拉致されてまで事務仕事を任せたいような頭脳はなかったはずだった。そう考えると、ますます事件性は薄いように思われて、真鈴はただため息ばかりがこぼれていった。
「さて。そろそろ役所やら入国管理局やらの手続きも終わった頃でしょう。身元不明、国籍すら不明の期間が短くて済んで本当によかったですな。確認ですが、浦尾真さんの引き取り先は、お姉さんである旧姓浦尾、今は魚島……真鈴さんのお宅でよろしいですね?」
「よろしくないです。私の名前はますずです。」
そこはきっちりと訂正する真鈴だった。
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「真……なの?」
30年振りに対面した弟に、真鈴は恐る恐る声を掛けた。真は真鈴のことが分からない様子で、少し居心地が悪そうにしている。
「ウラオシン、っていうみたいです。」
片言のように名乗る真に、そろりと歩み寄る真鈴を見守るギャラリーも、感動の対面を前に固唾を飲む。
「真……。あ、あんた、今まで……どこで何やってたの!? 全く……馬鹿なんだから!!」
しおらしさも一転、豹変して突進してきた真鈴に、ビクッと身を震わせた真だったが、抗う間もなくがばっと姉に抱きしめられた。
「ずっと……ずっとみんな心配してたんだからね!!」
そう言って泣き出した真鈴に、束の間呆気にとられていたギャラリーも、安心してもらい泣きをする。一方、抱きつかれた真は瞬間大きく目を見開き、恐る恐る自分に抱きつく女性を見下ろした。
「ねえ……ちゃん?」
探るように呼びかける真に、真鈴が驚いてぱっと顔を上げた。
「真?! 思い出したの??」
「え? ……母ちゃん??」
顔を見てすぐに一歩引いた真に、真鈴が一歩踏み込んだ。
「誰が母ちゃんかっ!」
「い、いや、姉ちゃんがそんなババアなはず……」
「はぁ?! 自分だって父ちゃんそっくりの顔してからに!」
困惑する真の襟ぐりを両手で掴み、真鈴は泣きながら叫んだ。
「30年も経てばこちとらババアにもなるわっ! ……父ちゃんも、母ちゃんも、みんな死んじゃったんだから……」
襟を掴んだ真鈴の手を、両手で掴んで離させながら真はつぶやく。
「そんな……」
出かけた涙が引っ込んだギャラリーも、再び落ち着いて姉弟の再会にひたり始めた。
「そんな。そんなの……、知らねえよ! こっちは3日しか留守にしてないんだからさぁ! なんで俺、こんなジジイなんだよ?? 玉手箱とか貰っても開けてもねえしっ!!」
感動に水を差されたギャラリーを尻目に、喚き合う姉弟はそれでも手を握り合っていた。
それは30年前と変わらない姉弟の姿だった。
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【夢メモ】
浦島太郎
言わずと知れた彼は、亀をヘルプ&ライド。海へダイブして竜宮城へアライブ。乙姫&魚介類と酒池肉林の末、我に返って村に戻れば、世の中からは置いてけぼり。手元に残る土産の品、玉手箱をパカンすれば、煙がボワン。太郎は失われた時を取り戻すかのようにお爺さんになりました。
2022.10.1初稿
平成かな?
今回の参考文献は最後にまとめます。