先生の退屈な講義と、イカした立像
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「私たちが教わってきた科学とはなんでしょう?」
「発明でしょうね」
「発明が科学なのね」
「じゃあ何も発明しないのは科学ではないの」
「科学ではないですね。利便性なんてものはないですから」
「科学というのは、利便性を追求?」
「そうじゃないんですか?」
「単純に便利さの追求ではないとは言わないけど、どこが便利ですか?」
「なんだって便利ではないですか?昔に比べたらなあ」
「便利だとどうなるの?」
「便利は便利ではないのでは?」
「何を尺として便利というのかな?」
「それは先ほど言いましたように、昔です」
「昔の人が利便性について考察したから今の科学があるというわけね」
「科学ってそうじゃないんですか?」
「利便性のついての考察はないの。科学には」
「へ」
「あなたは利便性の尺の元となる書物や資料に出会ったことがあるの?」
「ありますよ。なんだってそうじゃないですか?不便そうじゃないですか」
「あなたが考えてでしょ。利便性を持っているあなたが、考えてでしょ。あなたが尺でしょ。あなたは神?近年神のごとき思想思った学生が増えているのはご存じかしら?私たちは見せないから、知らないだろうけど。この停滞感はないわね」
「僕は神ではありません」
「そうかしら。尺を自分で構築して昔の人というものを勝手に想像して一人で相撲を取っている状況を神と錯覚した愚かな行為とは言わないのかしら?みんながそのようになってきて、個々人というものが本当の意味でなくなってきていると、私たちは考えているの。間違っているかしら?」
「間違いです」
「あなたはどう考えますか?」
「要領よくないからわかりません」
「やる気ゼロ?」
「いや先生は好きですよ、今日はものすごく気合入ってるし」
「もう一度聞きますね。あなた達、科学を学する者にとって尺とはなんですか?」
「・・・・・・」
「よく考えてね。間違ったら間違ったで良いんだからね。それでは宿題とします。終わります。」
「・・・きみ、いつものところでね」先生は眼でそう。いった。
「気づいてるかな・・・」
「気づいてるわよ、きっとね」




