きらめく星屑の世界
2トンの魔導車=引っ越しの2トントラックのイメージ
君への思いは新雪のように降り積もるばかり。きれいな雪は踏みづらい。綺麗な君も。私の腕にかき抱くには綺麗すぎる。
衝動的に抱きしめて壊れそうな君に、私の理性が腕を緩めた。どうして君は。初めて会ったときもそうだった。
眩しいくらいに純粋で、私の心を白に染める。駆け引きを事前にばらしてしまえるし、大企業になった会社を飛び出すことなんて簡単にやってのける。
私の手の届くところまでためらいもなく飛び降りてきてくれる。こんな小さな下宿にためらいもなく住めるお嬢様で、だれよりも遅くまで一生懸命に取り組む。君の家がここまで大企業になったのもわかるよ。君は受け継いでいる。ひたむきな努力と底抜けな豪胆さを。
「……こういうのは私から言わせてほしい。フリージア。私とーー結婚を前提に付き合ってくれ」
こんな夜の馬車の中では格好がつかないな。私の勢いだけのプロポーズ。いつか君と夜景の見えるレストランででも、もう一度やりなおそう。
「はい、……喜んで」
君の笑顔には涙が光っていた。私の胸を射貫いてくる。ああ、庭園で初めて出会ったときの君も同じような表情をしていた。
泣き虫だった君が私の渡した薔薇の葉に微笑んでくれたその一瞬で単純な私は恋におちてしまったのだから。
『ありがとう』
両手で大事そうに薔薇の葉っぱを握って微笑む君。君の庭の葉っぱをむしって渡した私もどうかしていた。あのときから私はどうかしていた。
ずっとーー君に狂わされている……。
「明日、迎えを寄越す」
馬車を降り際に手を伸ばすと、フリージアの遠慮がちな手がのる。その一瞬のふれあいだけでも胸に響く。世界が色づいて見える。君を手に入れた。君の心を手に入れた。
「はい」
まるで魔法にかけられたのは私の方だ。高揚する心臓。明日が待ち遠しい。一度はすべてをあきらめた私が君を幸せにする権利を手に入れた。
…………
馬車を降りて瞬く夜空の星が綺麗に見えた。月が綺麗ですねが愛の告白なのは、あなたがいるから綺麗に見えるって意味なのだと聞いたことがある。私がこの夜空を綺麗だと感じるのはきっとロイド様が近くにいるからなのだろう。
オーロラのフィルターのかかる世界。
ばちばちとまばたきをしても広がる世界。星屑のきらめきが流星群のように心に降ってくる。喉元にずっと刺さっていた抜けない棘がゆるやかに溶けていく。
新鮮な冷たい空気が肺を満たす。
動き出した私の時間。止められていた私の時間。あのときからずっとずっと囚われていた私の心。
…………
翌日ロイド様の遣いの者が自宅に来た。
ちょうど休日だったものだから午前いっぱいを使って荷物をすべて運び入れるつもりらしい。私は慌てた。身の回りのものはほとんどないとはいえ、家に入られるのは想定していない。仕事着の白衣も部屋干しされているだろうし、台所の流しの食器は片づけてあるだろうかと心配になる。
「お邪魔します」
押し入るようになだれ込まれて私はあきらめた。日ごろから綺麗に過ごしていなかった私の怠慢だ。
自業自得だ。
「こ、これは……」
最低限の家具すらないがらんどうなワンルームに従者は声を失った。茫然と立ち尽くしている隙に台所の流しの上に布を掛ける。とりあえず目くらましでもしておこう。あとでこっそり皿を洗おう。
「なんておいたわしい……!」
小物を梱包する係の女性が口元に両手を当てて嘆いた。いいえ、これは一種の潔癖症のサガですわ。(←ミニマリスト)決して貧しいからだとかそういうわけでもなく。
「クローゼットがないですって……!?」
部屋の小さな押入れの中をあけてメイドが声を上ずらせた。ええ、毎日同じ服をローテーションして申し訳ないですわ。コーディネートを考える時間がもったいないんですの。
「洗濯魔導機がないですって……!?」
ええ、一人分くらい手洗いで十分ですわ。このうっすい壁では洗濯の機械音ですら隣に丸聞こえですもの。
「掃除魔導機がないですって……!?」
ええ、箒とちりとりで十分ですわ。6.48㎡(四畳のこと)ほどしかない部屋ですから。
「電子魔導機がないですって……!?」
一同が驚愕している隙にささっと皿を洗って布巾で拭いた。一客しかない皿だ。洗うのもすぐに済む。ワンプレートのお皿って便利ですわ。
「これでは……2トンの魔導車は必要ありませんでしたね……」
従者が絶句したように言葉を紡いだ。なんだか申し訳ない。そしてちょっぴり傷つきましたわ。
大きめの旅行鞄にすっぽり収まるだけの衣服、一つしかないワンプレートのお皿、圧縮式の寝具、小さな魔導アイロン、細々した小物たち。およそ人の生活できるぎりぎりのスペースを限りなく有効活用した荷物たちは驚くほど軽い。あの無駄に飾り立てていた我が生家がいかに無駄なものに労力を使っていたかがよくわかる。空白を運ぶ2トンの魔導車が先に家を出発し、私は大家さんに最後の挨拶に行く。手土産に試作品の紅茶を選んだ。うちの商品の宣伝も兼ねている。
「短い間ですが、お世話になりました」
「まあ、フリージアちゃん若いのにしっかりしてるわねえ」
大家さんは受け取った紅茶に目を細めた。嗜好品だから好きずきがあると心配していたが大丈夫だったようだ。ほっとする。
「いい香りね。こんな紅茶見たことがないわ。ラッピングもとても綺麗」
「これは私が勤めているロイドカンパニーの非売品で胡蝶蘭のフレーバーティーです。後日感想がいただけたらとても嬉しいです」
ちゃっかりフィードバックも兼ねる。ああ、我が体に流れる商家の血よ。こんなときまで算盤をはじくなんて。
「そうね、ふふっ。お茶の時間が楽しみだわ」
大家さんの嬉しそうな顔に私の方まで心があたたかくなる。
「フリージア、待たせたな」
立派な馬車が停まり、清潔感のあるいで立ちでさらりとロイド様が降りてくる。その立ち上る圧倒的貴公子のオーラに大家さんの目は思わず釘づけだ。
「まあ、色男ねえ!」
ロイド様はもともと美しかった。初めて会ったときの純朴な美しさが私の心を打った。今の彼は成熟された男の色気を纏っていた。この数年間が彼の内面をきっと変えたのだろう。
圧倒的オーラ。代表取締役だと聞いて納得するほどの貫禄だ。
差し出された手に手をのせて馬車に乗り込むと世界が一段高い目線になる。向かいに座るロイド様はまぶしい。いったいなにがどうしたらここまで人は変われるのか。あのころから時間が止まっていた自分がひどく恥ずかしく感じられる。
「搬入に時間がもっとかかるかと思っていたら、フリージア、ああ、私は驚きで失神するかと思った」
ロイド様のまっすぐな瞳に顔から火が出そうだ。
なんということだろう。シンプルに暮らしていることでまさかここまでの辱めを受けることになるとは。
「君の部屋は私の邸宅の二階の日当たりのいい場所に決めた。荷物はすでに全部運んである。荷ほどきは女性のメイドがやるから安心してほしい」