今なら変われる気がする
白薔薇の蕾の花言葉『愛するには若すぎる』
魔導車のーーBMMは企業名に配慮して一文字かえたものです。BM●に詳しい方はきっとどの車の型番の話かまでぴんとくるかもしれませんが私は車は詳しくないので単語の意味はわかりません!(汗)そう、これは意味が解らないのがスタンダード、それが正解です!
もう何度目のお見合いかなんて数えるのも飽きた。聞き飽きた美辞麗句に私の心は動かない。
「フリージアさんは今日も美しく、まるで大輪の花のようだ」
ロットマン商会のヒラリーさんはかっちりとした髪型ににこやかな表情でいかにも敏腕の売り手の片鱗を見せる。流れるような話術。アイスブレイクに小話を挟むのも忘れない。私の視線はもう人事担当のそれだ。この方は我が社にいたら随分と頭角を現すだろう。けれど、これは採用面接なんかじゃあない。私の結婚相手を探しているわけで。
「ご趣味は? ヒラリーさん」
薄い会話を繰り広げるいつもの私。趣味だってなんだっていい。何が好きだからと言って偏見を持ったりしない。でも他に声を掛けられる話題なんてないから。
「私は魔導車が好きでしてね。BMMのこの愛車も実はオークションで競り落とした年代物で、ほらトランスミッションが8速スポーツAT。ダブルVANOS、バルブトロニック、高精度ダイレクト・インジャクション・システム。そしてツイン・スクロール・ターボチャージャーうんぬんかんぬん」
「まあ、すごい」
この話術があればたちまちなんでも売りつけてしまえるだろう。私の視線は宙に向いた。そういえば私も初対面のロイド様に同じような仕打ちをしたような気もする。人のふりみてわが身を内省しなくては……。
馬車が我が屋敷に着くと決まって水やる咲かない薔薇。
そうね、こんもりとしげってはきたものの私はいつまで意味のないことをしているのかしら。
私の頑なな心はだいぶ柔らかくなったような気がする。あれだけとげとげしていた角がとれてきたとでもいったらいいだろうか。今ならば素直に駆け落ちできただろう。あのちんけなプライドなんかへし折って泣きながら婚約を破棄したくないと縋れたかもしれない。
でも、もう遅い。
時の流れは残酷に過ぎ去っていく。彼の話は風の便りにも聞かない。私はあれから何年も経つのだというのに未だに独身を貫いている。くすぶり続けるこの想いは喉に刺さった小骨のようにいつまでも溶けてなくなってくれない。いつだったかロイド様に趣味は読書だったとお伝えしたけれどその言葉を訂正しなくては。私は今はもう本を読んではいません。もっぱら刺繍にいそしんでいます。時間の流れを教えてくれる。貴方に止められた時が私を呪い殺すまえに。渡すあてもないハンカチに今日も白薔薇を刻んでいます。
咲くはずもない花。白地に白い糸で見えない薔薇を刻んでいますよ。
「養子をとろうかと思う」
思いつめた様子で口にするお父様に私は首を縦に振った。私がいつまでも嫁の貰い手が決まらないものだからお父様も焦りの極みだ。
「ええ、その方がよろしいかと」
「フリージア。その、どうしても妥協、できないのか?」
お父様の言葉は力ない。わがまま娘に手を焼かせて本当に申し訳ない。私、もうこのまま独り身でいいと思っていますの。それも一つの幸せではないでしょうか。心の浮気なんてできませんから。
「ええ」
妥協、だなんてお相手にも大変失礼ですわ。我がクリスタル商会は隆盛の極み。婿入りすれば身売りだと後ろ指さされても仕方がないほどの盛況ぶり。これで愛がないなんてどんな気持ちで婿入りすればよいのでしょう。
「私、後を継ぐのはやめにして他の方に譲ろうと思いますの」
「本気かフリージア!」
家族経営でやっていくにも限界がある。社内で娘が大きな顔をして歩いているのもこれ以上の事業拡大に支障が出る。風通しをよくしなくては。私はもうここにいては駄目なのです。自ら追放されにいく所存ですわ。
「私、夢があったのでしたわ」
もし、うちが商家でなかったなら。……通訳家になりたかった。
ーー世界中を飛び回って価値観の凝り固まった日常を破壊してみたかった。
こんなぎちぎちに未来の決められた私じゃあなくて、もっと自由に。
「ままならない人生ですもの。もう、十分ですわ」
私は荷物をまとめた。どうせ一人で生きていくと決めたのならば好きにしたって誰にも迷惑など掛からないのだ。
「まってくれ、行かないでくれフリージア!」
お父様の縋る声が聞こえる。大門を潜り抜けるときいつもの癖で薔薇の生垣に目をやると小さなつぼみがついている。咲かない薔薇に、蕾。
「ごめんなさい」
親不孝者の娘でごめんなさい。敷かれたレールにのれなくてごめんなさい。いつまでもこの恋をあきらめきれなくてごめんなさいーー。
私は船着き場から船に乗った。
もともと語学は独学で勉強してきたから特に不安もない。かき集めてきた自分のお金と身の回り品だけの小さな旅行鞄。駆け落ちならまだしもこれでは家出娘だ。
「泡になってきえてしまいたい」
大企業財閥アーカス家のご令嬢。年々重くなってく肩書き。今の私にはあのときロイド様がどうして息を詰まらせていたのかがよくわかる。息が詰まりそうだもの、本当に。呼吸しているか自分でもわからなくなる。いっそめちゃくちゃにしてほしい。完璧な存在でなどいられるはずもないのだから。
大いなる運命の風に翻弄されるのならば流されるところまで流されてみたいもの。
停滞するのは性にあわない。ただ流れる川のように。
揺れて、揺れて、揺れる船の上で私は水平線を眺めた。
こんなにも世界は広いのに、どうして私は息苦しいんだろう。
遠ざかっていく我が家、私のわがままで、私はもう、帰れない。
…………
「仕事が欲しいんです」
役所で通訳の仕事を探すがなかなか見つからない。いざ求人を受ける方になると大変だ。実務経験が求められる。趣味でやっていた語学力など歯牙にもかけられない。
私がやっていたのは研究職部門だから、研究職で同業他社に入るともはやこれはわが社への謀反になるといっても過言ではない。恩を仇で返すのはやめにしたい。
「うーん。通訳の仕事は今募集してないみたいね」
求人ギルドで役場のお姉さんが帳簿をめくる。
隣では魔道具をカタカタとせわしなく打っているお姉さんが甘ったるいクリームののった飲み物を飲みながら真剣な顔で画面を見つめている。
せわしない職場だ。ふだん家の仕事場だと緊張感がなかったが外はこういうものなのか。
「あ、そうだ。外国輸入食品の販売なんてどう? ほら通訳の必要性もあるだろうし、販売の実績ならあるんでしょう?」
「そんな仕事があるんですか?」
渡された紙を見ると確かに求人だ。求める人材には……誠実性とある。人間性を重視する好感の持てる文面だ。
「ここにします」
初めての面接。人事の方ならやったことがあるが、ただ社長の娘が座ってるだけのようなものだった。お父様はこれ以上ないほどの広告塔だとか息巻いていたけれど集客効果があったかなんて知らない。
「御社の仕事内容に私の販売の経験が生かせると思いました。御社が手掛けている紅茶については私の前職の紅茶の知識が生かせることと、趣味でエマヌール国とガンジス共和国の言語は日常会話レベルまで習得していますので現地での取引の際にお役に立てることと思います」
面接官の鋭い瞳が私の姿を上から下まで吟味する。
ひるんではいけない。これはストレステストだ。この程度の圧迫で動じるようでどうして外国で交渉できるだろうか。
「前職はどこで?」
きわどい質問だ。我がアーカス家の顔に泥を塗るといっても過言ではない。でも私が娘だなんて、きっと悟られることもないだろう。
「アーカス商会です」
私の言葉に面接官の年配の男性の顔が引きつる。どうしてそんな大手を退職したのだろうという疑惑の視線にかわる。なにか問題児だとでも思われただろうか。……問題児ではある。
「君の退職理由はーー」
「採用だ」
面接官が言葉を紡ぐ前に、後ろの扉が開きコクのある低い声が響いた。
けして大声でなかったというのにはっきりと耳に残る声。