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君を守る、何を引き換えにしても



「ロイド、婚約破棄を申し出たとは本当か」



 クリスタル商会の代表取締役ドン、マッカーサ・クリスタルは一代で財を成した敏腕。だがしかしその内面は卑劣極まりない。周囲を蹴落としてでも上に這い上るその反骨精神ハングリーが彼を今の地位に押し上げた。



 今回の婚約だってそうだ。



 ていのいいM&A、つまるところ合併吸収でしかない。彼女の商会の利益を余すことなく享受するための策略だ。



 こんなことがあっていいわけがない。



 それにしても屋敷に帰っての第一声がそれだとは。地獄耳だな本当に。まあ、相手の家からすぐに確認の連絡が来たのだろうことは想像に難くない。



「はい」



 私の言葉に鉄拳が飛ぶ。



 口の中を切ったのか血の味がする。糸の切れたマリオネットのように私の身体が宙に浮き床にたたきつけられる。短気、横暴、すぐに手が出る忌々しい親父殿。腫れた頬よりも怒りで燃える心を鎮めることの方が難しい。



「土下座でも何でもしてつなぎ留めろ! お前にはそれしか能がないのだからな!」



 見目麗しく産んだ母上にも似たようなことをいっていたな、親父殿よ。膨れ上がるように拡大していく事業とは裏腹に離れて行った母上の心。母上に逃げられてそんなにご立腹か。母上も息子の手くらい取って逃げてくれたらいいものを。……などとは傲慢か。そんな余裕がなかったことくらい私にだってわかるさ。



「お前の一存で家同士の婚約が破棄できるとでも思うな! 思いあがるな!」


「できます。……経済状態の極度の悪化。婚約を破棄された者の経済状態が日常生活に支障が出る程度に悪化した事由に置いて、婚約破棄の正当な理由になる」


「何を莫迦なことを、アーカス商会で困窮している話など聞いたことがないぞ!」


「ええ、ですから。うちが(・・・)


「何を言っている!」



 ばたんと書斎の扉を開けてかっちりとした青の隊服を着こんだガタイのいい騎士がなだれ込んでくる。



 事前に内部告発していたもののあまりにもいいタイミングだ。自分でも鳥肌が立つ。




 フリージア、私は君の為ならば自分の幸せなどどぶ川にでも簡単に捨ててみせる。




「マッカーサ・クリスタル。貴殿を脱税、収賄の容疑で確保する」




 硬質な手錠の音と共に、騎士の無情な硬い声が室内に響いた。

 





…………





「そう、お父様はもう婚約破棄のことをご存じで」



 私がロイド様を馬車まで見送って屋敷に戻るとともに、不憫な子を見るような目で見られた。



 婚約を破棄されるだなんて女性としての魅力を踏みにじられるなんとも酷い仕打ちだと屋敷中のものが腹を立てている。



 私以上に腹を立てているものだから、私は一体どんな顔をすればよいのかわからなかった。私はただ読みかけの本のつづきが気になって仕方がないだけだ。むしろいでいる。澄み切った湖のように凪いでいるこの心。



 茫然ぼうぜんとしているといった方がいいかしら。



「おお、フリージア! 我が家のリトルプリンセス! なんてことだこんなに可愛い娘だというのにロイド殿の気が知れないよ」



 お父様が暑苦しいくらいに慰めてくる。



 いいえ、私、おそらく皆さまが思っているほど傷ついてはいませんわ。ですから……放っておいてくださいませ。大丈夫だと首を振る私の様子に、気丈にふるまっているのだと涙する使用人たち。



 貴方たちの感受性の豊かさにはいつも驚かされる。どうして私以上に私のことを嘆くことができるのか。



 二階の自室に戻るとモスグリーンのカーテンに若木色のデスク、座り心地の良い白いソファに寝転ぶようにして私は読みかけの本のしおりを取った。



 栞は葉の葉脈部分のみを残して青色に着色してレジンで固めたものだ。



 この葉っぱはいつだったかうちの商会に訪れた少年がうちの庭園の白薔薇の葉っぱをもぎ取って私にプレゼントしてくれたものだ。



 子供だからゆるされた行為だ。お母様がよく怒らなかったものだと思う。うちより格上の家のお坊ちゃんだったはずだがもう顔も思い出せない。でもなぜだかこの葉っぱだけは今でも栞にして大事に使っているのだ。私が初めてプレゼントされた品だからというのもあるのかもしれない。



 お父様から婚約破棄の話を聞いてお母様は大層ご立腹だった。



 けれど、お相手の家の電話を掛けた声色はいつものワントーン高い声で、こちらの怒りを一切悟らせないにこやかな口調。そして何かの手違いでしょうかとどこまでもへりくだってお伺いをたてている。



 ええ、手違いではないでしょう。



 私、本人の口からききましたから。



 ペラリ、一枚ページをめくるとたちまち物語の世界が私を引き込んでいく。

 夢かうつつか。



 この世界はどちらが本当なのだろうか。



「どうやら先方はひどく驚いていらっしゃったわ。もしかしたらロイド様の心変わりかもしれないわね。ああ、あんなに綺麗な方だもの気が多い方では困るわ。フリージアの未来の旦那様となるのだからもっと一途に大切にしてくれる方でなくては」


「そうはいってもジョゼフィーヌ。クリスタル商会といったらこの業界でも大手。将来は安泰だよ」


「あなた! そういう問題ではないのですわ。愛というものがなくては、女性は幸せにはなれませんの!」



 一階の小競り合いが二階まで聞こえてくる。扉を開けたまま声を張り上げているのだろう。うちは子爵家だから家が豪華なのは見た目だけだ。防音など目につかないところまでお金はかけられない。見栄えのいいところだけささっとお金をかけてそれなりの生活をしているように見せかける。そう、特別な来賓にのみ使われる最高品質のティーカップのように。



 相手を牽制する部分には湯水のようにお金を使う。



 これが商人うちのお金の使い方。相手にお金を落とさせるためのお金は出し惜しみしない。



 私はそんな家に生まれた。



 打算の多い世の中に愛を求めるなんてばかばかしい。私はこの本の中でのみロマンスがあればいい。



「フリージア! こちらに降りてきなさい!」



 お母様の声が響く。



 使用人たちは来客時のみの時間制勤務パートタイムだ。来客があるときだけ給仕する。どこまでも人件費削減。うちのこの積み重ねが塵も積もって利益を呼ぶ。



「はい」



 読みかけていた本はいいところだったのに。ため息と共に栞を挟んで階下への階段を下る。敷かれた赤い絨毯は取り外され、木の枠が丸見えだ。いくら手織りの高級品だからといって来客時にしか敷かないのであれば絨毯も仕事のし甲斐がないだろう。まあおかげさまで何十年も新品同様の輝きを保っているらしいが。



釣書つりがき、どれがいいかしら」



 お母様の変わり身は早い。さすがは時流に乗りきるお母様。先物さきもの取引はお手のもの。クリスタル商会をキープしつつも損切りは忘れない。



 そう、もう切り替えていくのね。



 並べ立てられたお相手の釣書の山に眩暈がする。どれともなくぺらりとめくるとやはり商会の御曹司。我が家も企業拡張に余念がない。



 私の心はそんなに軽くはないのだけれど。



 今日の今日でもう新しい方を伴侶にと考えなくてはならないとは。



「この方なんてどうかしら。とてもイケメンでしかもクラリス商会といったら南の大手企業よ。ちょーっと偏屈へんくつそうだけれど軟派な方より断然好感がもてるわ!」



 お母様は我がことのようにきゃっきゃっとしてとても楽しそうだ。私も他人事だったら楽しかったかもしれない。また破棄されるんじゃないかというおそれが心の中に黒いインクのしみのように広がっていく。



 私は商家の一人娘だから。



 想いつづけるだなんてそんな還元率の低いことしてはいけない。



 してはいけないのに……。






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