愛しのフリージア
『リチャードジノル』は某有名茶器メーカーのパロディです。わかる人にはわかってしまう……!(汗)
百花繚乱。くらくらと眩暈がしそうなほど咲き誇る花に埋もれるように。フリージアの姿は人の姿を借りて現世に降り立った妖精のそれだ。
私は自分を恥じた。
君を家の格を盾に引き入れようとしている自分の浅ましさにだ。君は取引に扱われるものなんかじゃない。
白一色の庭園に君の緑の黒髪は映えた。君のお母様の意図がよくわかる。愛娘が一番映える庭園を創りあげたんだ。白と緑と黒。このボタニカルな配色は君の内面の清純さをよく際立たせる。どんな殿方でも君にくぎ付けになるだろう。
私の想いは君には伝わらないだろう。
この輿入れで君が幸せにならないのだとするなら私は自分の幸せなどどぶ川にでも簡単に捨ててみせるさ。君がうちの汚職にまみれた商会に属するだなんて考えただけでも失神しそうだ。まだ政略結婚であるうちはいい。君は一歩引いて現実を見れるだろう。傾きかけたうちの内情を見て見ぬ振りできるだろう。連帯責任の欄に名前を書くことなど、あってはならないのだから。
「ではお気をつけて」
形式通りの見送りの挨拶。君の心が揺らいでいないことが手に取るようにわかる。そうだ、それでいい。ちくりと胸を刺すこの痛みは気がつかなかったことにできるから。
「ああ」
振り返りは、しない。私は自分の信念を曲げない。これが私の騎士道。君を守る。
「ところで来月の日程はいかがいたしましょうか」
ぐっ。
息が詰まり呼吸が浅くなる。来月の日程だと? 私は今しがた婚約の破棄を申し出ていたはずだが。夢だったのだろうか。
「何をいっている」
どうか冷たくきこえてくれ。
私が内面で嬉しくて仕方がないのだということを悟らせないでくれ。
「来月の日程ですわ。まさか誉れ高いクリスタル商会のご子息様が取引の内容をお忘れだとかおっしゃいませんよね」
私の商会はフリージア・アーカスの家で取り扱っている紅茶を安く買いたたき高値で売っている。
彼女のいう取引とは紅茶の話だ。わかっている。わかっているさ。私に会いたいだとかそんな話では断じてないことなど私が一番よくわかっている。
「遣いのものを寄越す」
「あら? 良い商人というものは扱う商品は実際に自分の目で見て香りを確かめるものです。私が上辺だけ質の良い茶葉をかぶせて悪質な茶葉を底の方に忍ばせていたらどうするのでしょうか」
「……そんなことをするのか」
「本当にするのなら黙ってやりますことよ」
「……そうだな」
ああ、紅茶の話をしているだけだ。
彼女が私をこさせたくて仕方がないように聞こえるのは私の耳が腐っているからに違いない。
「来月もこの日程に合わせる」
「十五日午後一時三十分ですわね。承知いたしました」
これは紅茶の取引であって、デートではない。
デートではないから……。婚約破棄を告げた相手に何度も会いに行く未練がましい男だと軽蔑しないでくれフリージア。
停めてある馬車までの道のりを並んで歩きながら白藤のアーチの下を歩く。まるでガーデンウエディングのバージンロードを二人歩いているかのようだ。二人だけの結婚式か。それも悪くない。
馬車の前まで見送ってくれるなど、私に気があるのではないかと浮かれてもいいだろうか。いや、婚約破棄を言い出したのは私だ。何を莫迦な妄想に耽っているのだろう。正気になりたまえ。
「来月は梅雨の時期ですから紫陽花が綺麗に咲くことかと思います。雨のことも鑑みると今日のような屋外の茶会は難しいでしょうから、今日見て回った温室で取引しましょう。それでは、また来月」
「ああ、また」
次回の約束を取り付けながらの帰宅がこれほど高揚するものだとは。私の心は波打ちだった。これでは何のために婚約を破棄したのだかわからない。
いや、私は確かに今日婚約破棄を言い出さなくてはならなかった。
初対面時に惚けてしまって何もできなかったのだから。本当は前回の初手でこの話はなかったことにと申し出るはずだったのに。
…………
「お初にお目にかかります。アーカス家が長女、フリージア・アーカスです。ロイド様のお噂はかねがね。新しい着眼点で数々のヒットを打ち出しているだとか。お会いできて光栄ですわ」
涼しい顔で紅茶を口に運び、ゆるりと流し目を送る君に私の心臓は跳ねた。
長い黒髪は庭園の白に映え、まるで君の為にあつらえたかのようなこの純白のガーデンテーブルがレフ板かのように光を反射する。
目の前の三段重ねのアフタヌーンティーは下からサンドイッチ、スコーン、季節の果物を使った小さめのタルトと並んでいる。
湯気の立つ紅茶は香り高い。ひとくち口に含むと雑味のない綺麗な味わい。丁寧に淹れられている。
「私も君のことは、聞いている」
私のまっすぐな視線に君の睫毛は伏せられた。控えめな態度にぐっと熱いものがこみ上げる。聞いている、などと恰好つけてみたものの、実は私は君のことは前から知っている。というかまだ五歳ほどの時には取引のついでに二人遊ばされていたのだが、君はもう覚えてはいないのだろうな。
私の初恋だったのだが。
初等部に入ってからは習い事などで忙しく、ここ十数年は会っていなかったのだから忘れていてもおかしくはないだろう。むしろ覚えている私の方が異常なくらいだ。ここで初対面の対応をされたからと言って気にするのはやめにしよう。
「そんなに口にあいましたか? うちの紅茶」
フリージアの言葉にはっとカップを見れば、ただひたすらに飲み続けた紅茶はティーポット丸々一つ分は飲み干していた。
執事があまりにさりげなく注いでくるものだから気がつかなかった。本当に喉が渇いていたのだろう、緊張で。
「ああ、いい香りだな」
紅茶好きを装う。
フリージアの視線が、痛いほどだ。
そんなに見つめないでくれ。
「それはようございました。この商品は新鮮な香りとまろやかな口あたりが特徴の飲みやすい紅茶です。芳醇な甘い香りと、濃いオレンジ色の水色・強いコクのある味わい。濃く入れてミルクティで飲むと味わいも引き立ちますわ。オレンジペコ、50グラムで定価600Gで売り出しておりますの」
な、流れるようなセールストークだ。
ぜひ嫁にほしい、じゃなかった。
婚約を破棄しにきたのだった。結婚を申し込むところだった。
「そうか、それは素晴らしいな」
「ええ、ちなみにストレートがお好きなようでしたらこちらのオリジナルブレンドだと高い香気と繊細な味で、高地栽培紅茶の特徴がでています。マイルドでさっぱりした後味。自信をもってお勧めできる一品ですわ。お値段も控えめ50グラム500G。ワンコインで買える贅沢ですわ」
これは、買わされる流れだな。顔合わせに来たのだと思っていたのだが。
「今日のお土産にラッピングして試供品をお渡ししますね」
と思わせておいてタダか。ここにきてマーケティングの手法を使ってくるとは。なんてやり手なんだ。ぜひ嫁に、じゃなくて一刻も早くこの婚約を破棄しなくては。
彼女の未来を閉ざすわけにはいかない。
「こーー」
「紅茶は奥深いものです」
婚約破棄の頭文字が紅茶にすり替えられる。
ほうと流し目を送り目を伏せるその顔の立ち上る色気に圧倒されてうまく言葉が紡げない。
「この茶器も紅茶の色を楽しむため、内側は白地のものを使っておりますの。形も香りの広がりやすい浅い形のものを用意いたしましたの。この流曲線の文様、どこのメーカーか一目でわかるようでお恥ずかしいですわ」
「ああ、これはリチャードジノルか」
陶器メーカーの高級ラインだ。一客でかなりの値段がする。ペアカップソーサーか。随分と高く見られているものだ。それなりの客賓にしか使わないだろう代物だ。
「ええ。リチャードジノル……のアニバーサリー限定ラインですわ」
確かにソーサーの目立たない箇所に年代が刻まれている。なんだと、これは値段がつけられないぞ。もう製造されていない型だ。
手が震えてきた。
万が一割ってしまったら弁償のしようがない。完全に主導権を握られた。それ以降の私は借りてきた猫のようにフリージアの会話にただ相槌を打つばかりだった。次回あったときは真っ先にこちらから切り出さなくてはならないのだと心に沁みたのだ。
先手必勝、次回は冒頭で婚約破棄を切り出す。
でないとこのままずるずると……幸せになってしまいそうだった、私が。