愛のこもった調度品
「おかえりなさいませ」
入り口の大門の前からずらりと並ぶ執事、メイド、フットマンの列に思わず怯んでしまう。さすが本物は違う。うちならばとっくに皆勤務時間が終わり誰一人いなくなっている時間だろう。思いのほか楽しんでしまったロイド様とのデートで時間はもう夕方過ぎだ。本当に時間を忘れさせてくれる。恐ろしいほどの手練手管。
「二階は」
「滞りなく」
耳打ちをするほどの小さな声でやりとりをするロイド様と執事長の会話をうっかりひろってしまった。どうやら二階の私の部屋はもうすべて荷ほどきが終わってしまったもよう。なんだかとても申し訳ない。
「フリージア、君の部屋を見に行こう」
立派な大きい屋敷の広い玄関ホールから螺旋階段を上り、二階の長い廊下を歩き日当たりのよい角部屋に私の部屋があった。こっくりとした色のチークの材質の木の扉には真鍮のドアノブがつき、飴色の味のある色合い。時の流れと共に表情が変化する真鍮の魅力を遺憾なく発揮している。
扉を開けてまず目に飛び込んできたのはその壁紙だ。薄い緑を基調とした下地に細かな花柄が芸術的に描かれており、なおかつ存在を主張しすぎない、広い窓と窓にかけられた花緑青色のカーテンともけんかしない絶妙な色合い。
そして白い家具はよく見れば今日ロイド様と見て回ったあの白いラタンのソファーセットにラタンローテーブル、おそろいのクローゼットまである。整いすぎている部屋に私は絶句した。私の荷物はいったいどこに消えたのだろうか。
「どうだ? ……気に入ってもらえただろうか」
遠慮がちに尋ねられて顔を向けるとなぜかロイド様が不安そうな顔をしている。
「ええ、素敵すぎて……声も出ません」
私が立ち尽くしているとロイド様がすたすたとなにもおかれていない部分の壁に歩み寄り壁のスイッチを押した。全自動で開かれた壁の向こう側には広い収納スペースがあり、その収納スペースのなかに私の荷物がすべて収納されている。私は卒倒しそうだった。私の部屋の中の荷物は収納スペースの半分にも満たないのだ。
「君の荷物はここに入っているから。あとで整理するといい。ああ、運び入れたのは女性のメイドだから、気にするな」
私の気にしているのはもはやそこではなかった。ロイド様は私の為にここまで広い部屋を用意しておいてあの荷物の量を見たものだから私を今日一日連れまわしたのだろう。そして家具を今日買って今日送った、そしてセッティングも今日終わった。なんて手腕。おそろしい。おそろしすぎる……!
床に敷かれている白いラグを見てはっとした。これは、私が「もこもこですね」と一声かけただけのラグ。そしてあちらに飾られている花瓶は今日「珍しい形ですね」と何気なく感想を述べただけの花瓶。アートに捻じり曲がった白磁の花瓶に白いラナンキュラスの大輪の花が生けられている。その丸っこく花弁の多い花の姿は薔薇のようでありながらより柔らかな印象を与える。ラナンキュラスの名前の語源は蛙で、葉の形が蛙の足に似ているところからきているという。花言葉は『晴れやかな魅力』『純潔』。……仕事が早すぎないだろうか。さすがはロイド様。私にはここまでのホスピタリティとても真似できませんわ。
「いろいろと歩いてつかれただろう。しばらく横になるといい。私は書斎にでも籠っているから、何かあればメイドを呼ぶように」
小さな呼び鈴を置いてロイド様は気を使って出て行った。私がぐったりしているようにでも見えたのだろう。ぐったりしてはいる。なにもかも大きく変わりすぎだ。茫然と部屋を見回すと入ってきた扉とは別に扉がある。
入り口から向かって左の扉を薄く開けるとその向こうは寝室だ。こちらはクリーム色の壁紙に天蓋付きのベッドが用意されている。とても豪華だ。ホテルのスイートルームみたいだ。うちは見えないところにはお金をかけない主義だからこんな寝室、客室にも使わないだろう。うちならば天蓋は外して、代わりに面積の小さい足置きの布に高級な布地を使い同色のクッションでもおいてそこはかとなく高級感を漂わせるはずだ。天蓋はいくらなんでも布地が多すぎる。ベッドのスプリングも申し分なく。まるでお城のベッドだ。どこまでいたせりつくせりなのだろう。こんな高級なベッド慣れてしまったら大変だ。どこでも寝つけるという特技が使えなくなってしまいそうだった。
寝室を戻って緑の壁紙の主部屋から出入り口向かって右側の扉を開ける。どうやらこちらは浴室とトイレのある部屋だったようだ。またもや思っていたよりも広すぎる空間に広すぎるトイレと、バスルームがある。これは、普通に最上階のスイートルームだ。家の中に何個もお風呂があってどうしようというのだろうか。と思ってはっとする。これはもしかして同棲なのでは? いや、居候か。というよりこの空間で私の生活が完結することも考えると隣人といったほうがしっくりくるだろうか。遠慮がちにノックの音が響きはっとする。
「どうぞ」
また物思いに耽ってしまっていた。悪い癖だ。なおしたいものだ。
「失礼します」
綺麗な礼とともにメイドが入ってきた。輝く金の髪に瑠璃色の瞳。ふわりと色づくような雰囲気はやわらかい。
「お食事の準備ができました」
そういわれてはっとする。そういえばこの部屋には台所がない。ということは食事はロイド様と一緒にとるということだろう。なんておそれ多い。
メイドの後について長い長い廊下を移動する。前を歩くメイドの長い金髪が綺麗にポニーテールになっていて思わず視線が留まる。
「綺麗な髪色ですね」
なんとはなしに話しかけると、メイドは驚いたように振り返り頬を赤らめた。
「ありがとうございます」
「ここで長く勤めているのですか?」
「ええ、三年ほどです」
「そうなのですね。いつもはなにをされているのですか?」
「私は清掃とランドリーが主ですね」
「このお屋敷どこも隅々まで綺麗ですね」
「ありがとうございます」
長い道中あまり沈黙するのもよくないかなと話をとりとめもなく繰り広げる。
「胸元のプレートはお名前ですか? ミアさん……?」
「ええ、そうです」
長い廊下を曲がり、何度目かの扉を抜ける。食堂までが遠い。さすがは大豪邸。
「着きました。こちらです」
ミアさんの案内でスムーズに来れたが、ここまでの道のりを一人で行けと言われたら相当苦労しただろう。辿り着いた扉の先には広い部屋に赤い毛織物の絨毯、長方形の長いテーブルの上に白いぱりりとしたクロスがかかり、銀食器の銀の燭台。壁にはタペストリーが掛かっている。タペストリーはよく見れば輸入取引先の国のものだ。おそらく親交の印として貰った品だろう。
「それでは、失礼します」
ミアさんがすっと綺麗な礼と共に入ってきた扉から出て行った。私はためらいながらも席に着く。
「どうだ? 少しはリラックスできていたらいいのだが」
「ええ。お心遣いありがとうございます」
ロイド様の合図で給仕が前菜を運んでくる。色どり鮮やかなグリーンサラダだ。オーロラソースが目にも鮮やかだ。
「このソースは西のビーツという野菜をすりおろしたものを入れていてな。ああ、ビーツはアカザ科フダンソウ属ビートに分類される植物だ。赤カブに似ているな。『食べる輸血』とも呼ばれていてミネラル・ビタミン・抗酸化物質など栄養価が高いのが特徴だ」
「まあ」
シェフなみに熱い解説に思わず目を丸くする。本当に博識でいらっしゃる。はむはむとサラダを食む私の方をじいと熱い瞳で見つめてくる。こ、これは。感想を求められている……!
「おいしいです」
「そうか、……よかった」
花が綻ぶようにふわりと目尻だけで笑って口元を緩めるその一瞬の表情に悶える。
喉元まで呑み込みかかったサラダにむせそうだった。




