揺れるこの心よ
てっきりロイド様の邸宅にまっすぐ向かうのだと思っていたが、馬車はにぎやかな通りを進んでいく。いったいどういうことなのだろう。
「君の持っていたカーテンは一張りだが、新しい部屋には窓は三つある。どうせなら柄を統一したほうがいいだろう」
馬車の中でロイド様はゆったりと述べた。
魔導車に搬入されたカーテンが部屋に合わなかったのだろう。
確かにカーテンは縦横比もあるし、同じものを使うにはよほど奇跡的に窓の大きさが合うとかでなければ裾丈が合わないだろう。
引っ越しして真っ先に揃えたいものの一つだ。どうやら今からカーテンを買いに行くらしい。おそらく帰るころには荷物はすでに全て運び入れられ荷ほどきも終わっているのだろう。スマートすぎて恐ろしいほどだ。
「お心遣い痛み入りますわ」
本当に心臓が痛みだしてきた。主に良心が。
なにがどうしてロイド様の貴重な休日に私のカーテンを買いに行くためだけに代表取締役ロイド様を引きずり回さなくてはならないのだろうか。
お疲れなのだろうから部屋で寝ていてほしいものだ。どうか疲れをとっていてください。
「気にするな。私がしたくてしているのだから」
まっすぐにこちらを見据える黒曜石の輝きには嘘偽りなく。
ああ……別の意味でも胸が痛くなってきた。
ときめきが心臓を襲う。これは現実だろうか。夢と現の境界線が分からなくなってきたのだとしたらこれほどおそろしいことはない。
休日の人込みに紛れ広々とした寝具店の中を歩く。歩幅を合わせてこちらに視線を送るロイド様の優しさに心打たれる。足の長いコンパスではどんどん先を歩いて行ってしまうでしょうに。ときどき立ち止まってはこちらを振り返る。私は心なしか早足になり置いて行かれまいと急いた。まるで今の二人の関係のようだ。
いつぞやかの藤の花の香りが脳裏に浮かんでは消え、あのときの淡い恋心が浮かんでは消え、変わってしまった二人の足元に伸びる影に吸い込まれては消えていく。私は二度恋に落ちる。
「こちらの紫外線を吸収するタイプのレースカーテンはどうだろうか。外から姿が見えにくいミラーレースカーテンだというのもポイントが高いな。さらに防音、防火も兼ねているだと。スペックも申し分ない」
色が溢れるカーテン売り場の中で、色鮮やかなカーテンより先にレースカーテンを選ぶロイド様はやはりロイド様で。
「ええ本当に素敵ですね」
見栄えよりも質実を優先する、その心根に私は惹かれた。
揺れる、揺れるまっさらなレースカーテン。
揺れるこの心よ。
「では、レースはこれにしようか。遮光カーテンの方はどうにも種類が多すぎるな。なにか気になるものはあるか」
「ええと、そうですね、これにします」
即断即決。こういうものはめぐり合わせなものなので。直観に従いますわ。ちょうど私の左隣にいたあなた(遮光カーテン)、きっとご縁があるのでしょう。お持ち帰りさせていただきます。
「花緑青色か、なんとも君らしいな……いや、とてもよく似合うと言いたいだけだ」
花緑青色とは、水色に緑をほんの少し混ぜたような優しい青緑色。エメラルドグリーンとも呼ばれるこの色は青みがあり明るい色でありながら落ち着いた色。目に優しい色合いだ。無地にうっすらと葉の文様が透かしてあり、よく見ると葉の部分は薄い銀色の刺繍。飽きの来ないシンプルなデザインだ。まるでマイナスイオン溢れる森林の中にいるようでもあり、澄んだ湖の底にいるようでもある。
「ん、そうだ二階も見てみよう」
腕時計に目をやってロイド様は左手を差し出した。その手の平に右手を添えると心臓が早鐘を打つ。ぎゅっと握られて私は息を呑んだ。手をつなぎ二階に上がると、二階は大物家具の展示場だ。
広々とした空間に高級な家具が並んでいる。
「異国情緒溢れる品揃えだな。ラタンのソファか珍しい」
ラタンはここより南の国ダナンの特産品で、熱帯雨林地域のジャングルに自生するヤシ科の植物。ツル性植物で、節があり、とげを持った表皮に包まれている。その繊維は植物中最長にして最強といわれ、通常の木材よりも丈夫で折れにくく、曲線の加工もしやすい。
この国では取れない材料だ。
「輸入品を扱う家具店のようですね」
「ああ、うちの店のディスプレイにも良さそうだな。なにか買っていくとしよう」
ロイド様の夜色の瞳はキラキラと輝きまるで満点の星空のようでもある。
垣間見える少年の無邪気さに心が跳ねる。
今日はなんて日だ。
心臓発作を起こしてもおかしくはない。
「このラタンの種類は 色牙か。さらりとした独特の質感、通気性、吸湿性。みごとな艶だ。象牙とも見紛うこの深み……特級品だな。質のいいものを取り揃えている」
さすがは自ら輸入品販売を手掛けているだけあって 鋭い審美眼を持つ。私は感嘆した。専門分野以外でもこれほどまでに造詣が深いとは。
「こちらのラタン家具は白か、珍しいなとても」
「彩色したものではなく天然由来の色みたいですね」
表面の繊維がつまっている様子から塗装している感じは見受けられない。それでもなお艶めき輝くその存在は確かに植物性の象牙のようでもある。
ふと以前のお茶会で二人囲んだガーデンテーブルが思い起こされる。うちで使うあのテーブルは確か腐食の少ない合金のアルミ鋳物。低価格でありながらも一見すると細かな装飾で値が張っているように見える。表面の白い塗装はなんどもリペアしては使いつづけているものだった。
「その白いのが気に入ったか?」
私がまじまじと白いラタン家具を魅入っていると思ったのだろうか。ただの回想をしていたにすぎず申し訳ない。
「いえ。ただぼんやりしていただけですわ」
「そうか、ああ、そろそろ帰らなくてはな」
ロイド様が時計をちらりとみては嘆息する。よほどここの家具屋が気に入ったのだろうか。
「会計を済ませてくるから、このあたりでもしばらく見て回っているといい」
おそらく家具の注文にでも行くのだろう。私もご一緒します、と申し出たら長くなるからと遠慮された。長いコンパスで風を切るように行ってしまった後ろ姿をみつめる。
そういえば、どうして二階に来たんだろう。
…………
ーー時は少し戻って
「な、これだけしかなかったのか? 本当に」
私は自宅に到着した魔導車の中身を見て目が飛び出るかと思った。仮にも大手商家の一人娘だぞ。一人暮らしをするなら邸宅ごと購入するものではないのか。あのような小さな下宿に住んでいるだけでも驚きなのに荷物がたったこれだけしかないとは。
フリージアはああ言っていたがこれは勘当されたということではないのか……。私との婚約が無くなったことがこれほどまでにフリージアの人生をゆがめてしまっていたとは。
なんということだ。
「旦那様、用意していた二階の部屋がこれでは空白ばかりになってしまいます」
「そうだな、家具がおさまるか心配していたが……これでは家具の方を買ってこなくてはなるまいな。ああ、フリージア、どうしてこんな生活を」
目の前で淡々と運び込まれる家具はどれも小さく、使い込まれており、まるで一週間の旅行に行くかのような身軽さだった。
二階のただっ広い部屋の八分の一も埋まらない。新しい部屋の窓一つ分にも満たないカーテンにメイドは首を横に振った。
「もとの家のガラスのサイズが小さかったみたいですね。縦も横も合いません」
ああ、なんてことだ。
どんな生活をしていたんだフリージア。
どうしてもっと早くに気づけなかったのだろう。
君があまりにも普通に、何一つ不自由していないような顔をしているものだからまったく気づけなかった。社長令嬢である君がこんな、必要最低限のクローゼットや冷蔵魔導すらないような生活をしていただなんて。
執事は外商を呼ぶつもり満々のようだったがそれを制した。どうみても外商を呼んだのでは間に合わないだろう。大家にあいさつをしに行ったとかいうフリージアをこれから迎えに行くのだというのに。
この広いだけのがらんどうで家具一つない部屋を見て聡い彼女は私が彼女が家具を沢山運んでくるであろうことを想定していたのだと気づくだろう。彼女の財力のなさを貶める非常に非情な仕打ちだ。
なんとかせねば。
彼女がここに辿り着くまでに家具を間に合わせる!
「ではこれから馬車で迎えにーー」
「いや、私が行く。君たちは荷ほどきにかかりなさい」
私は外出用の上着を羽織った。フリージアの足止めをする。その間に家具一式を揃える!




