017
「…………い……おい!いい加減起きろ!」
目を開けると、そこにはティナの顔があって、そして、両頬がじんじんした。
どうやら、叩き起こされたらしい。
「……え、何この恥ずかしい体勢。もしかしなくても、俺、ティナの膝枕で寝てたのか?」
お陰様で寝心地は良かったのだが、非常に恥ずかしい。
「そうだ。やらなきゃ良かった。腿の感覚がない」
百年の恋も冷めそうな勢いの酷く後悔した顔と言葉を頂いてしまった。
しかし、そんなことはすぐに頭の中から排除されてしまった。何故なら、俺達の他にも人がいたからである。
「ティナさんもそんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃない」
腰まである長い銀髪と異様に長い耳と整った顔立ちが非常に特徴的な俺と同じか少し上ぐらいの少女だった。
「お前なんぞに膝枕をしているところを見せたくはない」
そして、この様子を見る限り、二人は知り合いのようなのである。
「ええと、二人はどういうお知り合いで?」
俺が聞くと、二人は一度顔を見合わせて、続けてこう言った。
「「古い知り合いだ(だよ)」」
ティナをして古いということは、この少女は少女などではないということだろう。
やれやれ、全く人は本当に見かけによらない。
この二人は人間の年齢であれば、とんでもないお婆さんということなのだから。
「どうしてだろう?今凄い失礼なことを思われた気がする」
「奇遇だな。私も今何故か腹が立った」
なるほど。長く生きているだけあって、勘も鋭い。
「ま、まぁ、そんなことはどうでもいいとして……」
そういえば、まだこの人の名前を聞いていなかった。
すると、また俺の考えていることを察したのか、少女(仮)が口を開いた。
「シルフィリアだよ。よろしく、ええと……」
「レインです。よろしくお願いします。それでシルフィリアさんは何故こんなところに?」
それがとりあえず、気になっていたことだった。
「君達を助けに来たつもりだったんでけど、ティナさんがいたようだから、何の問題もなかったね」
あれから何時間経っているのか分からないが、腹時計的には正直言って、かなり迅速な救助だと思った。
てっきり、もっと大部隊を率いてくるものだと思っていたのだが、そんなこともなかったようだ。
いや、違う。このシルフィリアさんが他ならぬ『大部隊』と同等の戦力を持っているということなのだろう。
「そうだったんですか。わざわざありがとうございます」
「おろ? ティナさん、案外真面目な子じゃない」
シルフィリアさんは不思議なものを見るような目でこちらをまじまじと見てくる。
「……それはどういうことだ?」
「いや、私の知っているティナさんの契約者は皆お礼なんて素直に言わないような性格のねじ曲がった人達ばかりだっ――」
「死ねッ!」
ティナはシルフィリアさんの言葉を遮るように、容赦なく《黒球》を放つ。
「うおっと!? 今本当に殺す気だったよね!? 私は長生きなだけで、死なないわけじゃないって、分かってるよね!?」
しかし、シルフィリアさんは達人級の身のこなしで、それを軽々と避ける。
「何故避ける? どう考えてもお前はここで死ぬべきだろう?」
「うわっ! 自分が間違っているとは微塵も思っていない! それに目が完全に据わってて怖い! レインくん、ティナさんに危ないことは止めろって言ってあげてよ!」
シルフィリアさんは素早く俺を盾にするように俺の背中に隠れる。そして、シルフィリアさんは俺にぴったりくっついている。
シルフィリアさんは素晴らしいものをお持ちである。
「ティナ、今のはお前が全面的に悪いから、謝った方がいいと思うぞ?」
「お前もその肉の塊に釣られたかッ! ええいっ、お前とついでに死ねぇッ!!」
というわけで、体力をある程度回復できたことの確認が一応できたので、俺は帰路に着こうとしたのだが……。
「何帰ろうとしてるの?」
「どういう意味ですか?」
「君にはあの扉が見えないのかい?」
そう言って、シルフィリアさんが指差した方向には背丈の2倍程ある鉄製の大きな両扉があった。
「あっ! すっかり忘れてた。ダンジョンには稀に宝物庫があるんだった。危うく、くたびれ儲けになるところだった」
ダンジョンにはボスの待つ部屋の更に奥に宝物庫という呼ばれる部屋があることがある。
部屋の中にある宝物の価値はダンジョンの難易度に比例すると言われ、今回の場合なら、かなりの価値ある宝物が眠っているはずだった。
「折角黒等級の魔物を倒したのにお宝を持って帰らないんじゃ、ただの損じゃない」
「そうだな。それに黒等級ダンジョンの宝物を売ってしまえば、一生食うには困らないだろうよ」
金に余裕ができるというなら、何か保存の効く食料を村に送ってみるのも悪くないかもしれない。
「それじゃあ、さっさと全部頂いて帰りましょうか」
俺は重厚な扉に手を当てて、全体重で扉を押していく。
すると、果たしてそこには――
「…………ん? これだけ、ですかね?」
一生食うには困らないとまで言うから、部屋一杯に金銀財宝が敷き詰められていると思ったのだが、結局宝物庫にあったのは、膝ぐらいの高さの宝箱のような物と、如何にも立派そうな剣、盾、杖二本の計5点だった。
「そうみたいだね。だけど、見た限り装備品はどれも最高級品だよ。問題はその宝箱の中身だけど……」
シルフィリアさんは剣や盾の材質を確かめるように触ってからそう言った。
そして、問題の宝箱にティナは既に手を掛けていた。
「……どうやら、これがお前の求めている金目の物のようだぞ?」
宝箱の中には一杯の宝石や貴金属製の装飾品が入っていた。確かに、これだけあれば、かなりの金になりそうなことはまず間違いがなかった。
「……まぁ、細かい査定はギルドに任せよう。すみません、シルフィリアさん。流石に全部は持てないので、いくつか持ってくれませんか?」
「それなら、この《袋の魔道具》を貸してあげよう! これぐらいの荷物なら余裕で収納できるよ」
《袋の魔道具》とは、見かけの袋の容量よりも、実際の容量の方が格段に大きくなるように魔術が施された便利な代物である。
しかし、それ故にとても貴重な物で、それこそ貴族などしか持つことのできない物なのだ。
「そんな便利な物を持っているんですね。ありがとうございます。使わせてもらいますね」
このダンジョンの、とりわけこの辺りの部屋からは正直一刻でも早く去りたかった。
今は元通りになっているとはいえ、一時は五体満足ではなかったのは事実だから、やはり少しそれを思い出してしまうのだ。
そして、腕が切断された時の壮絶な痛みを思い出す。
「……おい、ティナ。そういえば、俺の切断された方の腕はどうした?」
「ええっ!? もしかして、レインくん、腕を切り落とされちゃったの!?」
「ええ。まぁ、今はこの通り元通りなので安心してください」
「精霊術ってやっぱり便利だね。そんな便利な精霊術を使えるレインくんは優秀なわけだ」
と、話が逸れてしまった。見たところ、《ミノタウロスキング》と戦った部屋には腕は落ちていない。
それならば、ティナがどこかにやったと考えるのが自然だろう。
「あれなら、なんか気持ち悪いから消しておいた」
「け、消したって……」
確かに気持ちは分からなくはない。ただそこら辺に腕が落ちているだけでも気持ち悪いのに、自分の手元にそれと同じような腕を持った人間がいるのだから、気持ち悪さは倍増だ。
「あ、いや、だから、俺はそんなことが言いたいんじゃなかった。あの時俺は《再生》の精霊術を使えてたんだよな?」
「ああ、見事なものだったぞ。あの状態から精霊術を使ってみせるとは、中々に気合いが入っていた」
しかし、ティナはここでただし、と付け加えた。
「《再生》が使えるのはまだ自分の体だけだと考えた方がいいだろうな。自分の『知っているもの』を治すのと、『知らないもの』を治すのとでは勝手が違う」
ティナの言う通り、俺は自分の体くらいは治せるのではと思い、《再生》を使った。
そして、結果治せた。今までは壊れた物を相手に修行してきたが、それではできなかった。
それを分かっていたなら、ティナも言ってくれれば良いのに、俺が自分で気づくのを待っていたのだろう。嫌な奴だ。
「それに、お前が一番良く分かっているだろうが、《再生》はお前が使える精霊術の中でも群を抜いて消費霊力が大きい。その証拠に、今までどれだけ精霊術を連発しても倒れることがなかったお前が倒れてしまっただろう。それには勿論、緊張の糸が切れたとか、私が精霊術を使うためにお前から膨大な霊力を借りていたなどの様々な理由が考えられるが、それを抜きにしても、あの消費霊力に関しては気をつけるべきだ。下手をすれば、霊力の完全枯渇で死ぬからな」
確かに、《再生》の消費霊力に関しては他の精霊術の追随を許さないと実感できていた。
最初は《黒装》を異常な方法で使用したことによって、霊力を切らしたのかと思っていたが、冷静に戦闘を振り返ってみれば、あの《黒装》は霊力最大保有時の一割程の消費量で、《再生》はその約六倍の消費量の六割程。
つまり、比ぶべくもない圧倒的な霊力消費なのだ。
「死ぬってのは初耳だぞ?《再生》ってそんな精霊術なのかよ?」
「そこにないものを作り出す、そんな術が簡単に使えるわけがないだろう。ちなみに言うと、この術で人体を再生させた者は私の知る限りお前で初だ。おめでとう」
そう言って、ティナは大して面白くもなさそうにゆっくりと拍手をする。
「…………マジかよ?それって、母さんにすら使えなかった精霊術ってことか!?」
「厳密には単純で小さな物になら使えた。しかし、それは技術的な面ではなく、霊力的な面での問題だ。お前の霊力の保有量が規格外なんだよ。まぁ、それと引き換えに、ということかどうかは分からないが、お前は眼がイカれてしまっているがな」
ティナに残念そうな目を向けられてしまった。
しかし、その自分の眼の欠陥のことを聞く前に、前から光が差してきた。
一日ぶりの太陽に眩しさを覚え、俺は思わず手で庇を作ってしまう。
「ではこの話の続きはまた今度ということにしよう。流石に飛びながら喋るのは危ないからな」
飛ぶ、などという人間にはおよそ不可能な所業を表す不穏な単語に俺は不安感を覚えていた。
「ティナさん、酷いよ! 今の私をティナさんが知ってる頃の私と一緒にしないで! 今は五人までなら安全かつ高速で運ぶことが可能なのですっ!」
俺の不安を煽るようにふざけた口調で話すシルフィリアさん。正直言って、嫌な予感しかしない。
「私はお前を信用してないから、一応元の姿に戻っておく」
ティナはそれだけ言って、俺からは姿が見えなくなってしまう。
「シ、シルフィリアさん、何をする気なんですか?」
「うーん……言葉で言うのは難しいから、とりあえず体感してもらった方がいいかな」
とりあえず体感するのが嫌だから聞いているのに、この人はそこら辺を全く分かってくれない。
「できれば教え――」
「じゃあ、行くよっ!!」
シルフィリアさんがそう言うと同時に体が下から何かに支えられるように、ふわりと浮かんだ。
体が浮いてるって、普通に怖ぇ……。
「余程のことがないと落ちないけど、あんまり体勢を変えたりすると落ちちゃうから気をつけてね」
シルフィリアさんがにっこり笑った瞬間に俺の体は高速浮上し、俺は空高く舞い上がった。
後のことは良く覚えていない。気づいた時には王都に着いていて、『始めはこんなもんだ』とティナに慰められていた。
結局何があったのかは怖くて聞くことができなかったが、口の中が少し酸っぱかった。