001
少年は願う、一筋の光を求めて。
少年は望む、万能の力を求めて。
『良かろう。その願い、私が叶えよう。だが、その願い、相応の対価無しには叶わぬぞ』
それでも少年はどこからともなく聞こえる声に求めた、この腕の中に眠る少女を生き返らせて欲しい、と。
『……承った。お前が十五になる日、お前の人生を貰い受けに行く、覚えておけ』
瞬間、光が少女と少年を包み込んだ。
それはあまりに暖かく、穏やかな光だった。
「昔のことじゃ。この村を一匹の魔物が襲った。その魔物は村を焼き、人々を殺した。その中で生き残ったのがお前達の親達じゃ。お前達は死んでしまった村人との分も強く生きねばならないんじゃぞ、分かったか?」
『はーい!』
話の内容を理解しているのかいないのか、元気な子供達の声が聞こえる。
子供達はばあちゃんの話を聞き終えると、すぐさま外に出て行ってしまう。
「ばあちゃんも毎年毎年良く続けるね、その話」
俺は耳タコになった話を聞き流しながら、昼食を作っていた。
俺の場合、一ヶ月に一回は聞かされていた話だったので、もう何度目になるか分からないのだ。
「こういうことは伝えていかねばならないと何度言ったら分かるんじゃ。辛いことを思い出させれるのは悪いとは思っておるが、あの子達にはこの村のためにもこれから頑張ってもらわねばならん」
ばあちゃんは昔と言っているが、その事件があったのは九年前、俺が六歳の頃の話である。
僕はその時の記憶は割と鮮明に覚えている方で、両親が死んでしまったことも覚えている。
「はいはいっと……昼食作っておいたから、先に食べてて」
そう言って僕は家の外に出る準備をする。
「分かった。墓参り、頼んだぞ」
「うん、行ってくる」
事件が起こったのはちょうど九年前の今日のことだった。
あの日も僕はいつも通りの時間に起床し、いつも通りの生活を送っていた。
唯一変わったことと言えば、その日が俺の誕生日であったことだろう。
「お母さん。僕も何か手伝うよ!」
「あら、レインはいい子ね。じゃあ、お皿を出してくれる?」
夕食の時間になると僕は決まってお母さんの手伝いをしていた。
そして、手伝いをしていると、お父さんが畑から帰ってくる。
「ただいまー」
「お父さん、おかえり!」
僕はお父さんに方に駆け寄り、おかえりを言う。
「おお、レイン、いい子にしてたか?」
「うん! 今お母さんを手伝ってるんだ!」
「そうか、偉いぞ、レイン」
そう言って、お父さんは僕の頭をくしゃくしゃと撫でてくれる。
「あなた、レイン、そろそろご飯が――」
お母さんがちょうどそこまで言った時だった、外からけたたましい鐘の音が鳴り響く。
『ま、魔物だぁぁぁ!! 全員村の外へ避難しろぉ!!』
すぐ後に家の外から大声がした。
僕は何が起きているのか分からず、ぼーっとそれを聞いていたが、体がふわっと持ち上がったのを感じて、頭が働き出した。
「逃げるぞ、サラ!」
体が持ち上がったのはお父さんに抱えられているからだと気づき、僕は異常事態なのにも関わらず、内心安心していた。
「……だめよ、あなた……私達は……」
しかし、何故だか、お母さんは俯いて、そこを動こうとしない。
「馬鹿言ってるんじゃない! 俺達にはもうこいつがいるんだ。危ない真似をして、こいつを残していくようなことになったら……」
お父さんは必死にお母さんを説得している。
「でも、それでもやっぱりだめよ。私達には力がある、皆を守る為の。それを今振るわなくてどうするのよ! ここに人達にはお世話になったじゃない」
「……だ、だが……」
二人が何を言い合っているのか、僕には全く分からなかったが、僕は直感的に何か嫌な予感を感じ取った。
二人が遠くに行ってしまうような、もう会えないような、そんな予感だった気がする。
その時、家のドアが開けられた。
「大丈夫か!? 今の話が聞こえたろ!? 早く逃げろ!」
声の主は隣に住む僕の親友、セリカちゃんのお父さんだった。
「……ライフォードさん、レインを頼みます」
お父さんはそう言って、僕をセリカちゃんのお父さんに渡す。
そして、お父さんとお母さんはあろうことか、空から火を吹いて回る魔物の方へ歩いていく。
「お、お父さん、お母さん! どこ行くの!?」
僕が言うと、お母さんは振り返る。
「大丈夫、必ず帰ってくるから。セリカちゃんのお父さんに迷惑かけないようにね」
いつもの優しい笑顔だった。
でもその笑顔はどこか悲しげで、僕の心は不安を覚える。
「お父さん!お母さんを止めてよ!一緒に逃げようよ!」
「レイン、俺達にはこれから村の皆を守りに行くんだ、笑って送り出してくれ。それに俺達は絶対に帰ってくる」
その時の僕にはもう何が何だか分からなくなっていた。
僕はセリカちゃんのお父さんの手から無理矢理降りて、二人の元に駆け寄ろうとする。
しかし、それは横から倒れてきた燃え盛る炎の塊に阻まれてしまう。
それが倒壊した家だということにも気づかない程には僕はもう正気ではなかった。
「行かないで!! お父さん、お母さん!!!」
その声さえ、二人には届かない。
こちらを振り返って微笑んでいる二人の顔を見た時が二人を見た最後の時だった。
しばらくして、気づいた時には僕は村の外れにいた。
セリカちゃんのお父さんが連れてきてくれたということだけは分かったが、それ以外はもう何も頭に入ってこなかった。
勢いを更に増して燃え盛る巨大な炎に包まれ、村はどんどん燃えていく。
僕達の住んでいた村はもうそこには無かった。
そんな時、聞き覚えのある声が聞こえた。
「あなた、セリカを見なかった!? 途中ではぐれて、どこにもいないの!!」
声の主はひどく焦った様子のセリカちゃんのお母さんだった。
「いない!? 俺はてっきりお前が連れてきたものだと……」
その時、空虚だった僕の心に火が灯ったことを良く覚えている。
村を、大切な人を焼く邪悪な炎ではない、心の闇を照らす灯火だった。
瞬間、僕は走り出していた。
後ろから僕を止める声がした気がしたが、そんなものを気にしている余裕はなかった。
走って走って走って、僕は再び村の中に入った。
火の粉と熱風が肌を、喉を、体中を焼く。
それでも僕は走った。
大事な人を失いたくない、守りたい、ただその一心で。
ふと気づくと、目の前には倒れている何かがあった。
いつの間にか浮かんでいた涙で良く分からなかったので、僕はそれを振り払い、再度見てみる。
そして、一瞬でそれが自分の親友、セリカ・ライフォードだと理解した。正確にはその亡骸だ、と。
しかし、それと同時に美しい死体だった。
外傷は一切無く、若干煤がついていても、綺麗なままだ。
多分、煙を吸い過ぎて、窒息してしまったのだろうということは幼い僕にも容易に想像できた。
けれど、やっぱり涙が溢れた。
何の過失もなかったはずなのに、僕の親友は死んでしまった。こんな理不尽なことがあるだろうか。
神様がいるのだとしたら、多分、そいつは間違っている。
どんな道理があろうとも、こんな理不尽な理由で人が死んで良いはずがない。
そして、僕は親友の死と何より自分に対しての不甲斐無さから泣き続け、最後に願った。
「僕の……俺の命はどうなったっていい。だけど、お願いだから、誰か、俺の親友を生き返らせてくれ! 頼む、誰か、お願いだ! 俺の、俺の大切な親友を生き返らせてくれ!!!」
その時だ、あの声がしたのは――
俺は父母の墓前に花を供え、黙祷する。
あの後結局、父さんと母さんが帰ってくることはなかった。
不思議とそこまで涙は出なかった。
多分、二人と別れた時に先払いしていたからだろうと思う。
あの時、既に俺はどこかで二人が帰ってこないであろうことを予感していたのだ。
そんなことを考えながら、ぼーっと二人の墓を眺めていると、横から足音がした。
「レイン、こんにちは」
俺が見ると、そこには俺の親友、セリカ・ライフォードがいた。
「こんにちは、セリカ」
セリカも俺と同じように俺の父母の墓前に花を供え、黙祷する。
ばあちゃん曰く、父さんと母さんは村を守った英雄だそうだ。
魔物と相討ちになって、そのまま死んでしまった父さんと母さん、死後に英雄などと呼ばれても何の意味もない気がするのは俺だけなのだろうか。
まぁ、何はともあれ、セリカのように未だに墓にお供えをしてくれる人もいるというわけだ。
「今年もありがとう、わざわざ来てくれて」
「当然だよ。レインのお父さんとお母さんがいなかったら、私はあのまま死んじゃってたかもしれないんだから。あ、でもレインにも同じくらい感謝してるからね。危ない村の中にわざわざ入って、私を助け出してくれたのはレインなんだから」
セリカには、というか村人全員にはそう伝えてある。
あの奇跡について何か言ったって、錯乱していた子供の戯言としか思われないだろうし、何より俺が未だに信じられていないからだ。
あの時、天から降ってきた光が止んだ時、そこには変わらない姿のセリカがいた。
だが、セリカの体は光を受ける前と比べて明らかに温かく、『生きている』ということを即座に感じることができた。
実際、あの時は心音がしたし、息をしていた。
要はセリカはあの時寝ていたのだ。
俺はあの時、自分が幻覚を見ているのでは、と思った。
光を受ける前のセリカの心臓は確かに止まっていたし、生きているはずはなかった。
それが生き返っていたのだから、まずは自分を疑うのが正常と言えるだろう。
そういうわけで俺は周りの人にあの話をしていないのだった。
「この話、毎年してるよな?」
そう言いながら、僕は思わず笑ってしまった。
難しいことを考えていても、結局最後には今の日常の楽しさを思い出す。
毎日家族と、友達と話せる喜び、農作業の達成感と充実感、変わり映えしない日常ではあるが、それが何にも変え難いものだと、僕を含めた村な皆は九年前の時間を通して実感している。
そういう意味で、やはり父さんと母さんは偉大だったのだ。
敵と相討ちになってでも、皆の日常を守ろうとした二人は俺の自慢の両親なのだ。
「そうだね。でも本当に感謝してる。それに今日は――」
微笑んでいるセリカがそこまで言ったところで、僕はセリカを止めるように手のひらを彼女の顔の前に出す。
肌が、体が感じ取っている。
例え九年経っても忘れはしない、言い知れぬ本能的な独特の悪寒、それが俺の体を走り抜けた。
『久しいな、少年。その後どうだ』
それは突然現れ、どこからともなく声をかける。
姿形は見えず、空は晴れ渡ったまま、声がするだけでそれ以外には、何の異常もない。
それが余計に俺の不安を煽った。
「な、何!? 誰なの!?」
セリカは慌てて周りをキョロキョロしている。
俺はそんなセリカの手を掴み、抱き寄せる。
もうどこへも行かせはしない、と。
「ちょ、どういうこと!?」
『その娘は……なるほど、美しく育っているではないか。それでこそ、助けた甲斐があったというもの』
愉快そうな口調で声の主はそう言った。
俺はセリカを抱く力を強める。
「何しに来た」
『ふふふっ、何しに来たかなど、お前が一番良くわかっているであろうて』
「……約束の時ってことか?」
『その通りだ。覚悟はできているか?』
「……分かった。少し待ってくれ」
そう言って、俺はセリカに向き直る。
「これ、本当にどういうことなの?一体どこから声がしてるの?悪戯とかだったら、怒るからね?」
怒る、という割にはセリカからは全く覇気が感じられなかった。
不安、疑念、恐怖、様々な感情が渦巻いていることが容易に想像できた。
「これから話すことを良く聞いて欲しい。全部本当のことだから、どうか驚かないで」
俺はそう切り出してから、セリカにあの時あった全てを伝えた。
セリカは一回死んだこと、この声の主により、生き返ったであろうこと、そして、俺とは今日でお別れになるだろうということ。
「そ、そんな……本当に、本当なの……?」
唖然とした様子で、目を丸くしている。
「ああ、全部本当。俺の命に賭けて嘘偽りないと誓う」
「何で……そんなことしたの?」
「何でってそりゃあ、セリカを助けたくてだよ。あの時は無我夢中で良く覚えてないけど、間違ったことをしたとは――」
俺がそこまで言ったところで、突然に頬に痛みが走り、それと同時に乾いた音が鳴り響いた。
すぐに自分は頬を叩かれたのだと理解した。
「何するっ……」
俺はセリカを怒鳴りつけようとしたが、そんな行動はすぐに引っ込んでしまった。
それは俺の目に怒った顔をしながら、大粒の涙をぼろぼろと溢すセリカの姿が映り込んで来たからだった。
「何で……何でよ!! 私、そんなことされても嬉しくないよ!……レインにはもっと生きて欲しいよ! 何で、私を置いて行っちゃうのよ!!!」
俺の胸をどんどん叩きながら、セリカは顔をぐちゃぐちゃにしてそう言った。
俺も自然と涙が溢れてきて、止めようとしても、止められなかった。
やっぱり、別れは悲しいものなんだ、そう改めて実感した。
「ごめん……ごめん、セリカっ……! 俺の分までこれから生きてくれっ!!」
そんなセリカを再び抱きしめて俺はそう言う。
「嫌だ、嫌だよぉ!! レインのいない世界なんて、生きてる価値ないよっ!!」
セリカはそれでも泣き止まない。
「俺も嫌だよ……セリカと離れたくない。だから、最後に一つだけ言わせてくれ」
俺はセリカの涙を拭いながら、覚悟を決めた。
息を大きく吸って、自分の涙を拭い、そして、言う。
「……俺はセリカが好きだ。友達として以上に、異性として、セリカが好きなんだ。だから、俺が死んでも、俺はお前の心の中に生き続ける。邪魔だと思ったら捨ててもいいけど、それまでは一緒だ」
不思議と、この時は恥ずかしくなかった。
「わ、私もっ……私もレインが大好き。離れたくないけど、レインが私を助けてくれたからなんだよね。さっきは酷いこと言っちゃったけど、やっぱり、助けてくれたのはすごい嬉しかった。本当にありがとう……さよう、なら……」
顔をどちらもぐちゃぐちゃにして、そんな汚い顔で最後の時間を過ごす、良い人生だったじゃないか。
自分の想い人と両想いを確かめて、それで死ぬ。
もう少し生きたかったけど、それでもこの想いは永遠に残り続けるとそう信じたかった。
「……お前が誰か知らないが、もう思い残すことはない。こんな命が欲しいなら、持っていけばいい」
俺は虚空を真っ直ぐに見つめて、そう吐き捨てた。
『……あー、何だ、その……非常に言いにくいのだが……私、お前の命を取りに行くなんて、言ったか?』
だが、帰ってきた言葉はあまりに意外なものだった。
「「…………へ?」」
そんな声に俺とセリカは思わず変な声を上げてしまう。
『私は確か、お前の人生を貰いに行くと言っただけで、命を取りに行くとは一言も……』
何分昔のことなので、俺はそこまで正確に覚えているわけではないが、命を貰いに行くとは言われていない気がしてきた。
瞬間、俺は顔が急速に熱くなってくる感覚に襲われる。
今、俺、なんて言った……?
ものすごく恥ずかしいことを口走った気がするのは気のせいか……?いや、気のせいのはずがない。
恐る恐るといった感じで、俺は顔をゆっくりと、ゆっくりと、横に向けていく。
すると、そこには顔を真っ赤にしたセリカの姿があった。
「おお、おま、お前!!なんてことしてくれんだよ!」
俺は即座にセリカの顔から目を逸らして、正体不明の声を糾弾する。
もう俺にはセリカと顔を合わせられる自信はなかった。
『え!? 私が悪いのか!? お前が勝手に勘違いしたんだろう!』
声は急に慌てたような口調になって、自分は悪くないと言い張る。
「あんな状況であんな言い方されたら、普通命を取られると思うだろ! お前の言い方が紛らわしいんだよ!」
『き、貴様ぁ! それを世の中では逆ギレと言うのだぞ!』
わけの分からない存在に正論を言われ、俺は思わず黙ってしまう。
「ね、ねぇ、良く分からないけど、レインは死なないってこと?」
セリカは心配そうに虚空を見つめながら、そう言った。
『ん? 無論だ。殺すのが目的ならば、お前を助けた代償として、その場で命をもらっている』
「その言い方だと、お前にも何か目的があって、俺達を助けてくれたように聞こえるんだが、どうなんだ?」
九年前の事件の時、運良くセリカは助かったが、もしこいつが俺の求めに応えなければ、セリカは死んだままだった。
そういう意味で俺は出来過ぎているのでは、と思ったのだ。
『……まぁ、簡潔に言えばその通りだ。しかし、私はあくまであの場に通りかかっただけだ。そこでたまたまお前の声が聞こえ、この筋書きを思いつき、お前の求めに応えたのだ』
声は俺が疑っていることに気づいたのか、あくまでも偶然だと言い張る。
だが、それで信じられる程、俺は人間が出来ていない。
『それでも信じられないのであれば、こう考えろ。自分には人を生き返らせるに釣り合う十分な価値がある、とな』
俺は思わず顔を強張らせてしまう。
こいつは『あのこと』を言っているのでないか、と俺は考えてしまう。
「……それならますます分からない。俺に一体どんな価値があるって言うんだ?」
『それはお前が一番良く分かっているのではないか? まさか知らないとは言わせんぞ……《精霊術師》』
不気味な声は、はっきりと語気を強めてそう言ったのだった。