第一話⑦
旅行二日目の朝。
少し早起きをした私は身だしなみを整えるのもそこそこにして、朝ご飯を食べにホテルの1階に向かっていた。
……なんだかもの凄くお腹が空いているのだ。
というのも昨日体験ダイビングのツアーを終えてホテルまで戻ってきた私は、ベッドにダイブするや否や、晩ご飯も摂らずにそのまま寝てしまったからである。
自分で感じていた以上に、旅や初めてダイビングの疲れが溜まっていたのだろう。
それに喜友名くんとの予期せぬ再会に、ずっと緊張しっぱなしのドキドキしっぱなしだったせいもあると思う。
◇
ホテル1階に設けられた宿泊者向けのモーニングブュッフェ会場には、すでに数組の先客の姿がちらほら見えた。
みんな旅行者のようだ。
時刻はまだ7時前だと言うのに、この先客さんたちもきっと丸一日いっぱい旅行を堪能するつもりで早起きをしてきたのだろう。
それなら私とおんなじだ。
私も今日は竹富島での観光を予定しているから、思いっきり羽を伸ばして楽しむつもりである。
その為にも先ずは腹ごしらえだ。
「……えっと、お皿はどこかな?」
辺りを見渡す。
このブュッフェ会場はランチやディナーでは少しお高めなレストランになるからか、白を基調にした内装がとても落ち着いていて小洒落ていた。
「これかな? ん、そうみたいね」
ブュッフェ用の大きな仕切りプレートを一皿トレイに乗せて、美味しそうな品々をひとつずつ吟味していく。
定番の目玉焼きやソーセージ、ベーコンの他に、沖縄らしくゴーヤーチャンプルーや変わったところでは海ぶどうの小鉢なんかもあって、見て回るだけでも楽しく目移りしてしまう。
ぐぅ、と、少し大きな音でお腹が鳴った。
「……ぅあ……」
ちょっと恥ずかしい。
私はコホンと咳払いをし、キョロキョロと辺りを見回して誰にも悟られていないことを確認してから、再びブュッフェメニューに目を向ける。
「あ、これ……」
数々のメニューの中に、ひとつ特に私の目を引いたものがあった。
それはポークのランチョンミートだ。
なんでも沖縄では戦後にアメリカの軍人さんが持ち込んだ缶詰のポークランチョンミートが一般食材として定着したらしい。
そのランチョンミートを厚切りにして両面をこんがりと焼き、スクランブルエッグなんかの卵料理と一緒に供したものが『ポーク玉子』と呼ばれ、定番のメニューになっているんだとか。
「よし。これにしてみよう」
少し欲張って分厚いポークを4枚もプレートに取り、スクランブルエッグもたっぷり乗せる。
次いで白米とお味噌汁。
それに小鉢の温泉玉子や、味付け海苔に納豆も忘れない。
空いているテーブルに座り、早速頂くことにする。
「いただきます」
手を合わせてからお箸を持ち上げた。
まずはやはりポーク玉子からだろうか。
厚切りのポークを摘み上げ、少し大きめに口を開いて齧り付くと、ほんのりとした温かみが唇を通して伝わってくる。
軽く炒られたとろとろの玉子も一緒に口の中に放り込んだ。
もぐもぐと咀嚼する。
するとポークからじわりと染み出した脂が舌の上でふんわりとした食感の玉子と混じり合い、得も言われぬ絶妙な味わいへと変化していく。
分厚いランチョンミートのずっしりと重みのある食べ応えも、いまの腹ぺこ状態の私にちょうど良い。
「んー、美味しい! これがポーク玉子かぁ」
これ絶対お米に合うと思う。
今度はほかほかと湯気を立ち上らせる白ご飯と一緒に頬張ってみた。
うん、思った通りだ。
お米の甘みにポークの塩気が実にいい塩梅に馴染む。
口とお椀とに何度もお箸を往復させ、むぐむぐと咀嚼してから次々ご飯をごくんと飲み込んでいく。
喉を通り食道から胃に落ちたご飯から満足感が身体中に広がった。
「ああ、美味しい。次はこれにしようかな。ポーク玉子も最高だけど、この納豆巻きも堪らないのよねぇ」
広げた海苔に白米を乗せ、納豆と一緒に巻いてから口に運ぶ。
パリッとした海苔の食感がまた心地よい。
白米とおかずを食べ終えた私は、温泉卵の小鉢に下唇を添えて出汁ごとちゅるんと吸い込み、最後にお味噌汁を啜ってから充実した朝食を終えた。
◇
「ふぅー、満足満足! ごちそうさまでした」
お箸を置いて手を合わせる。
するとちょうどそのタイミングで、テーブルに置いていたスマートフォンがブルブルと震えた。
画面に表示された名前をみると、どうやら乃江ちゃんからのようだ。
『おはよー、詩。もう起きてる?』
通話口を通して明るい声が聞こえてきた。
「おはよう乃江ちゃん。うん、起きてるよ。私はちょうどいま朝ご飯を食べたところ。これから準備して観光に行くんだぁ」
『そっかー、いいなぁ。こっちは今から会社よぉ。今朝は早朝会議だってさ。……はぁ、かったるいわねぇ』
今日は木曜日だから出勤前に私の様子を伺ってくれているのだろう。
昨日といい今朝といい、こうして私を心配してくれる乃江ちゃんの心遣いがありがたい。
『それはそうと旅行はどう? 楽しめてる?』
「楽しんでるよー。昨日なんて到着早々に体験ダイビングしちゃった! 海亀と泳いだの! ねぇ乃江ちゃん知ってる? 沖縄の海って水中から見るとすっごいんだよ!」
『うふふ、楽しんでるみたいね。良かったわ。あ、でもナンパには気をつけなさいよ。いちおう女の一人旅なんだから』
「いちおうって酷いなぁ。分かってます。でも注意してくれてありがとう」
『どういたしまして。……って、詩にはこんなこと言うまでもなかったわね。なにせ退職した経緯が経緯だし、むしろ男嫌いになってないか心配なくらいだし』
「そ、それは……」
一瞬、あの会社で上司や同僚だった男性たちのことを思い出して、返す言葉に詰まってしまう。
そんな私の変化を乃江ちゃんが察した。
『あ、ご、ごめんなさい! あたしったら何言ってんのかしら。せっかく気分転換の旅行中なのに、ちょっと無神経だったわね』
「ううん、そんなことない。もう別に気にしてないから。それにね……」
男性の話題になって、自然と私は喜友名くんのことを思い出していた。
優しく私を気遣ってくれた彼。
昨日のことを思い返すだけで、なんだか胸がドキドキして、けれども暖かくてこそばゆいような何とも言えない不思議な気分だ。
思わず少しの間、無言になってしまう。
『……もしもし? もしもーし? 詩、聞こえてる?』
おっと、いま通話中なんだった。
軽く頭を振ってふわふわし始めた意識を戻す。
「う、うん、聞こえてる。ごめんね。ちょっとボーっとしちゃって」
『どうしたの? なにか困りごと?』
「そ、そんなんじゃないんだけど……」
彼のことを話してみようか。
こうして心配してくれる乃江ちゃんに、私は男性嫌いになんてなってないよって伝えたい。
「えっとね。実はこっちで偶然昔の知り合いと再会したんだけど……」
『へえ、そうなんだ? あんたってば沖縄に友達いたのねぇ』
「友達とは少し違うんだけど、……き、喜友名くんって言う3つ下の男の子なんだけどね」
『――はぁ⁉︎ お、男⁉︎ それも年下ぁ⁉︎』
受話口から素っ頓狂な声がした。
それと同時に電車の発車アナウンスが聞こえる。
乃江ちゃんはいま、駅のホームにいるらしい。
『え? なに⁉︎ ちょっと詩! あんた旅行行ったばかりで、一体どうなってんのよ? いまその男と一緒にいるわけ⁉︎』
乃江ちゃんが凄い勢いで食いついてきた。
その向こうでは電車の発車メロディが流れている。
「い、一緒にはいないよ! 再会したって言っただけで昨日別れたよ。……でもまたこの旅行中に会えると思うんだけど」
きっと会えるよね?
別れ際に待ってるって言ってくれていたし、今晩にでも彼のバーに行ってみようと思う。
『ちょっと、詩。詳しく聞かせなさい!』
「それはいいんだけど、それより乃江ちゃん、電車は大丈夫なの?」
『……っと、やばいわね。この電車を逃したら会議に遅れちゃうわ。でも気になるー! ええいもう仕方がない! あとでその話、ゆっくりと聞かせてもらうわよ! それじゃ!』
「う、うん! またね」
慌ただしく通話を終えた。
乃江ちゃんも大変そうだし、彼との話はまた今度ゆっくりするとしよう。
「ん、んんー」
伸びをしてから、窓の外の景色を眺めた。
キラキラと眩ゆい光が降り注いでいる。
今日も石垣島は気持ちの良い快晴だ。
「さて。旅行2日目も楽しむぞー」
私は出掛ける準備をするべく、テーブルを立ちトレイを戻してから部屋へと戻った。