七、呼ばれた理由を知りました
七
まどかは黒雲からやや距離をとる。
黒雲はふっと笑みを消して、
「そう警戒せずとも、私ごときがアナタにかなうわけがないでしょう?」
すんとすました表情である。
読めない。
まどかは戸惑った。この、黒雲という少女の感情が、まるで読めない。というよりは、感情がないようにも感じられる。
「黒雲。それではわたしの予言をしてくれぬか?」
戸惑うまどかをよそに、皇子がほうっとした表情で黒雲に命じた。
その表情は、黒雲への恋慕ともとれるし、敬愛や崇拝のようにも見える。
黒雲が皇子のほうを向き、目を閉じる。
「皇子さまは……」
はっと目を開ける。黒雲はいましがた見えた予言に、息を忘れた。
先日までは見えなかった予言だ。まどかがこの世界に来るまで、絶対にくつがえせなかった、皇子の未来。それが、たった一晩で――黒雲ですら変えられなかったそれを、ものの数刻でまどかが変えてみせた。
「黒雲? なにを呆けている?」
「あ……申し訳ありません。皇子さま、は……」
汗が吹き出す。しかし黒雲は仮にも巫女だ。その動揺を悟られないように、小さく深呼吸する。
黒雲の汗が引く。心臓も凪ぐ。
「皇子さまの呪いが解ける、そのような未来が見えました」
「本当か!?」
「はい。まぎれもなく、そちらの巫女のお力で」
ふつっと黒雲の視線がまどかに寄越される。その瞳に宿る、なんとも形容しがたい感情に、まどかはあてられた。
嫌われている?
だが、それがなぜだかまどかにはわからない。
「黒雲さん、私が呪いを解くって……」
「ああ。アナタはまだ聞いていないのですか」
しらっと、まるで戯言を発するかのような口調で、
「皇子さまの呪いはいざなみと九十九神によるもの。その、いざなみの呪いを解けるのは、いざなみの生まれ変わり――つまり、アナタだけです」
女の嫉妬はおそろしいというが、今はそれより先に、まどかには戸惑うことしかできなかった。
いざなみの生まれ変わり。いざなみのみことの。つまり、この世界に黄泉とうつしよの別を作り、それどころか、一日に三千の人間が死にゆく世の中を作り出した根元。
「私が……いざなみの……?」
黒雲の隣に座っていた晴明が、黒雲をいさめる。
しかし、黒雲は涼しい顔である。
「自覚が足りないのです。未来から呼ばれ、皇子さまの呪いを解け。それだけでは誰だって納得いかぬもの」
黒雲はまるで自分が正しいと言いたげだ。
しかし、晴明としては、まどかにはこの事実を隠しておきたかった。その責を背負うには、まどかはまだまだこの世界を知らなすぎる。
「なんだ。オマエはそんなことも知らずに俺の料理番を請け負ったのか」
「……私、のせい。なんでしょうか」
九十九神がこの世にはびこるようになったのも、いざなみの呪いだと聞いた。すべての責任がいざなみにあるとしたら、生まれ変わりのまどかにも、同じく責任が伴うのではないだろうか。
「まどかどの、落ち着いて」
「晴明さんも、知っていたんですよね?」
「まどかどの……」
立ち上がる。
いたたまれなくなったまどかは立ち上がり、そのまま御殿のすのこを通り、きざはしをかけ降りていく。
「まどかどの、どちらへ!?」
引き留めたのは晴明のみである。皇子も、黒雲も、御殿のなかに座ったままに、ぼうっと宙を眺めている。
「少し、散歩に」
「では、わたしもついていきましょう」
「……すみません。ひとりにしてくれますか」
ぴりぴりとまどかの霊力が晴明を威嚇している。もっともそれは、無意識であるが、あの黒雲ですら動揺を見せるほどには、まどかの威圧は常軌を逸するものがある。
先程までまどかを軽視していた黒雲でさえ、まどかの異変に気づき、警戒し、臨戦態勢をとっていた。
むろん、式神が見える皇子もまた、まどかの霊力にあてられて、毛穴という毛穴から汗が吹き出た。
「まどかどの、気をおしずめに」
晴明だけが、まどかに対峙できる。黒雲や皇子程度の霊力では、到底まどかには敵い得ない。
「私、私は」
「まどかどの、こちらに」
「晴明さん。私をなぜ、平安に呼んだんですか」
ぶわっと庭に土ぼこりが舞う。まどかの霊力が制御できなくなったのだ。急激な霊力の上昇に、まどか自身もその力をもて余している。
晴明は、下手な嘘は通じないと踏んだ。ゆえに、
「千年に一度、いざなみの生まれ変わりが現れる。その巫女を平安に呼んで、九十九神を討伐する必要があるのです」
「……なら、私じゃない生まれ変わりでも」
「いいえ。ほかの生まれ変わりはみな死にました。貴女だけが最後のたよりなのです」
ごうっと風がなる。そうして空には黒い雲が立ち込めて、ますますまどかの周囲には、近づけないほどの霊力が流れ溢れる。
晴明が庭におりると、まどかは一歩後ずさる。
「来ないで」
「まどかどの。生まれ変わりとて、別の人間なのです」
「でも、でも……!」
「生まれ変わったとして、貴女は別の人生を生きてきましたね。魂は人生の歩みにより形作られるもの。貴女といざなみは、似て非なるものなのです。ただ、貴女にいざなみと同等の霊力がある以外には」
慣れない場所――もっといえば、過去に召喚されて、まどかは心細かった。
なぜ自分が平安に呼び出されたのか、知りたくなかったわけではない。けれど、知ったら知ったで、恐ろしくなった。
なにより、今こうして、まどかの周りに立ち込める霊力が、自分は『あしきもの』の生まれ変わりだと証明している気がして、まどかは居心地が悪かった。
「まどかどの。こちらに」
なにをどうしたらいいのかなんて、まどかにもわからない。わからないのだが、まどかは晴明が差し出した手を、その手をしっかりと握った。
その瞬間、ふっとまどかの周りの風も霊力も、すべてが静かに凪ぎやんで、まどかの体はがくんと倒れ落ちた。