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五、料理番デビューします


 ひとまず、髪の毛は黒檀で染めて黒くした。衣服は巫女のそれである。

 朝日はとうに空に上りきり、未来の時間で現せば、今は十一時といったところであろうか。


「ん……?」


 かぐわしいにおいに目を覚ました皇子は、枕元にちょこんと座る人物に、一気に意識を覚醒させた。


「オマエ……」

「お目覚めになりましたか」

「……帰るのではなかったのか」


 のそりと体を起こしながら、皇子はまどかに悪態をついた。

 まどかは苦笑を浮かべながら、向こう側に並べた膳を指差した。


「あちらに朝食を用意しました」


 皇子はここで、寝所のそとががやがやと騒がしいことに気づいた。

 立ち上がりすのこへ歩けば、寝所の外にずらりと、家臣や女房が身を隠し、皇子の部屋を覗き見ていた。

 その視線は皇子ではなく、まどかに注がれている。


「あのようなものを……」

「晴明さまはなにを考えているのか」


 皇子の身を案じているようだが、


「そなたたち。わたしの意向に不満があると?」


 牽制するように窘めて、皇子はしっしと家臣や女房を追い払う。

 人払いをして、ほっとしたのはまどかのほうである。

 昨日とは違い、巫女装束に身を包み、髪の毛を揃え結んだまどかは、皇子のほうを見て照れ臭そうに笑う。


「なんだか、変な感じです」

「はっ。さくじつの衣に比べたら、まともだろう」


 そのまま、皇子はまどかが用意した膳の前に足を向ける。しかし、そこに並んだ料理に、顔をしかめてまどかをにらむように見た。




 そもそも、皇子の寝所に人々が集まっていたのは、まどかが未来から来た人間だからでも、まどかが晴明の弟子だからでもない。


「よし。作りますか!」


 朝は七時。規則正しい生活が身に付いているまどかは、意気揚々と台所――くりにたった。

 食材はもち米に野菜を中心としたたくさんのものが揃うなか、まどかは気づく。


「え……醤油も砂糖もみりんもないの……?」

「しょうゆ……? まどか、それはなんだ?」

「醤油は……大豆と小麦と麹を発酵させた……」

「ああ、ひしおだったら、こっちだよ」


 料理番の男が持ってきたのは味噌にやや流動性を持たせたような調味料だ。

 まどかはひしおを人差し指ですくいとり、口に運ぶ。


「……醤油と味噌のあいのこ……って感じかな……」


 それにしては癖があるが、この際そこは気にしないことにした。なにしろ、平安の調味料といったら、このひしおと塩と、酢くらいのもので、わがままも言っていられない。

 そもそも、ほかの料理番の料理を見ると、どれも『薄い』のだ。薄いというのは、味がないという意味だ。

 まさに、味をつけた料理が存在しない。

 平安の料理はただ焼いただけ、煮ただけの料理がほとんどである。

 ならどうやってそれらを白米のおかずにするのかといえば、先に述べたひしおや塩、酢を各々膳のうえで好みに調合して、魚につけたり白米に混ぜたりして食べるのだ。


「肉はないんですか」

「肉なんて! 仏教の教えも知らないのか?」


 料理番の男はまどかを信じられないものを見るような目で見ている。


「あれが食べたい、これが食べたいと欲することは、あしきことなんだってさ。まどかは恐ろしきひとだな」


 まどかの出自を知るものは、晴明のほかには皇子しかいない。まどかがよもや巫女で、皇子の呪いを解くために未来から召喚されたとは、誰も思いもしないだろう。

 まどかは乾いた笑みを浮かべる。

 確か、大学の講義で習った気もする。平安の食文化は悲惨だったと。

 皇子は、呪い以前に食生活を見直す必要がありそうだ。

 まどかは城下におりて、あるものを調達するのだった。




 果たして、並んだ膳に目を丸くする皇子に対し、まどかはにこやかに説明する。家臣たちが寝所をみていた理由は、まさにこの膳にある。


「城下で猪の肉を手にいれました。鶏の卵も。芋は煮っ転がしにして、あつものはひしおで味噌汁風にしてみました」


 まどかはそのなかでも、煮っ転がしの器を手にとって、


「この時代には砂糖は貴重品、みりんもありません。だから、甘味をつけるのに、なにを使ったと思います?」


 まどかが嬉しそうなのは、これがまどかの『本業』だからである。

 まどかは未来の世界で、料理の仕事についていた。


「これ、濁り酒で代用したんですよ。そもそも、みりんもアルコールを含む調味料ですし、この時代の濁り酒の糖度は高く――」

「もういい、やめろ」


 頭を抱える皇子に、まどかは首をかしげた。

 自分で言うのもなんだが、この少ない材料と調味料で、よくここまで料理ができたものだまどかは自画自賛している。

 だが、皇子にはそうではなかったようで、


「肉食はしない。それに、なんだそのあつものは。色がひどい。まるで食欲をそそられない」


 はあぁっとため息をついた皇子だが、まどかはけろりとしたままだ。


「最初はそうかもしれませんけど。一口、一口だけ。騙されたと思って、召し上がってください」


 ほら、と膳の前に座り促すまどかに、うっとうしさを感じる。もとより、皇子である自分にくだけた態度をとるまどかに、やきもきしているのかもしれない。


「私は皇子さまの料理番です。損はさせませんよ?」

「……誰がこんなもの――」


 ぐう。

 腹の虫は正直だ。

 かいだことのない香りに、正直に言えば興味があった。香ばしさと、甘さと塩辛さが混じった、なんともいえないにおいである。

 どんっと膳の前に座った皇子は、まず最初にまどかに促す。


「鬼食いをせよ」

「鬼食い……?」

「毒味だ」

「あ。ああ、そうでしたね」


 まどかは皇子の向かいに座って、器のすべてから一口ずつ、口に運んだ。あつもの、なます、焼いた肉、こわいい、卵焼き。

 冷めてはいるものの、味はそこそこ自信があった。


「はい。毒味しましたよ」


 すべての毒味をし、ぴんぴんしているまどかを見届けてから、皇子はようやく、自身も膳に箸をつけた。

 皇子はまどかに料理番を命じたが、それはまどかがあのとき――茶をかけられたとき――すぐさま『毒』に気づいたからだ。その、料理への知識を買って料理番に指名したのだが、料理の腕はたいしたことはなかったようだ。


 ――と、思っていた。


 はく、っと、恐る恐るまどかの作った料理を口にいれた瞬間、今までにない味が皇子を幸せの極みへといざなった。

 ただの肉の焼き物であるはずなのに、甘じょっぱい味が病み付きになる。


「これは、なにをした?」

「あ。はい。西京漬け風に……ひしおと濁り酒に浸けました」


 次に皇子は、あつものを喉に流し込む。普段の味のないあつものとは違い、深みと香りのある汁物だ。


「これは?」

「はい。鰹だしの代わりに鶏ガラでだしをとって、ひしおで味付けした味噌汁風……」


「これは?」

「わかめを三杯酢で和えました。酢と煮きった濁り酒と塩を混ぜて三杯酢にしました」


 あっという間に料理を平らげる皇子を見て、まどかは久々に料理人である喜びを感じる。そして、無邪気にまどかの料理を頬張る皇子を見て、まんざら嫌なやつでもないのかもしれないと思うのだった。




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