三十八、家臣の噂とシチュー
三十八
「腹が減ったな」
あのあと、難度か舞を舞って、そのまま夕餉の時間となった。
まどかはくりに走り、正盛に頼んでいた鶏ガラのだしを味見する。
「まどか。俺たちの出入りを禁じて、なにしてたんだ?」
「え? えーと……」
修行の場には、正盛はもちろん、家臣すら傍には置かない。晴明と康仁とまどかと黒雲、この四人だけでの修行に、家臣たちはいささか不信感を募らせているようだ。
「せ、晴明さんの式神が危ないので……」
「式神だのなんだのと。それはまことに存在するのか?」
「いや、まあ。存在しますよ?」
「百歩譲って存在するとして、なんでまどかまであそこに呼ばれるんだ?」
鈍いようで鋭い。正盛の出自が明らかになっていない以上、まどかは自分が巫女であることは隠さねばならない。
言い訳を考えていると、正盛がふうん、と納得したようにうなった。
「まどかは皇子さまのお気に入りなのか」
「や。まさか! むしろ嫌われてますよ」
「誰が誰を嫌うと?」
正盛との会話と料理に夢中で、まどかは背後の気配に気づかなかった。康仁である。
ぬっと現れて、鶏ガラのスープを見て顔をしかめた。
「これは、作り直せ」
「え?」
「わからんか。俺はオマエが作ったもの以外は信用ならぬ」
「で、でも。味見してもなんともないですし」
あたふたと答えるまどかだが、康仁は頑として首を縦に振らない。
仕方なく、鶏ガラスープは家臣たちに出すことにして、まどかは料理を再開する。
「今日はなにを作るのだ?」
「はい。シチューを作ろうかと」
「シチュー?」
鶏ガラのだしを取ったのはそのためであるが、この際間に合わせで作るしかない。
鍋に油を敷き、小麦粉を加える。弱火で炒めて、サラサラの状態になったら、冷たい牛乳を注ぎ入れる。
本当はバターで炒めたいところだが、時間の都合上油で代用した。牛乳はヤギの乳で。
ヤギの乳は癖があるが、具材の野菜に香草を入れ、臭み消しにする。
「これが、シチューです」
野菜たっぷりの、シチューの完成だ。
鶏ガラの代わりに煎汁を使い、ひしおと味噌で味をつけた。
付け合せはチキンソテーだ。シンプルに塩をつけて食べる。表面は多めの油でカリッと焼いてある。
「そうか。では、部屋まで運べ」
「はい」
「正盛。そなたは来るなよ?」
「分かってますって。皇子さまは本当にまどかが好きだなぁ」
正盛のこの言葉に深い意味は無い。無いのだが、したし当の本人たちは過剰に反応する。
「好きなわけなかろう!」
「で、ですよ! 正盛さんはなにを言うんですか!?」
あわあわしながらまどかが膳を運ぶ。康仁は康仁で、ずかずかと歩いて先に部屋へと行ってしまう。
正盛は首を傾げながらふたりを見送った。
あんなに分かりやすく動揺して、気づかれないと思っているのだろうか。
家臣たちの噂は目下、康仁とまどかのただならぬ仲だというのに。
部屋について、まどかは康仁の前に膳を置いた。
「どうぞ」
「ん。ああ」
しかし、妙な気恥しさから会話がない。
康仁がシチューを口に入れると、パッと顔が明るくなる。
「これは、うまいな!」
「はい。西洋のスープ――汁物です。スープにすることで、野菜の栄養が余すことなく摂れます」
まどかのうんちくなどいまだ半分も理解できない。だが、まどかは料理について語るとき、なにより楽しそうにするものだから、康仁もその話を遮らない。
もっとその顔を見たいとさえ思う。
「……っ!?」
いまだまどかはシチューについて語っている。そのまどかを見て、康仁はひとつ、気付いてしまった。
気づきたくなかった。なぜならまどかは単なる巫女だ。この平安の人間ではない。
「さがれ」
「え、っと、皇子さま?」
「下がれ。今日はひとりで食したい気分だ」
くりまでわざわざまどかの様子を見に行ったのだってそうだ。正盛に変なことをされていないか、不安で仕方がなかっただけだ。
まどかの料理ならと信頼して、毒味をさせないのだって。
全部全部、まどかという人間を信頼し、そして――。
「誰が認めるか。好きなどと」
康仁はすべてを持たない皇子である。いまさら、好いた人間が手に入らないと分かったところで、落ち込むとか、落胆するとか。そんな気持ちは微塵もない。
そう、思っていた。思いたかった。




