三十三、火の九十九神とイザナギ
三十三
昨夜のことである。
康仁が息苦しさに目を覚ますと、そこには例の火の九十九神がいた。
康仁の枕元に立ち、なにかをしきりにつぶやいている。
『は……え。……え』
小さな小さな声である。康仁はその声に耳を傾ける。自身の息苦しさを忘れるほどに、その声にはなにか『きっかけ』が隠れているような、そんな予感がした。
ぽろぽろと火の九十九神が火の涙を流している。
ホロホロと零れ落ちた涙が、康仁の左手に滴り落ちる。
「痛……」
思わず声を漏らしてしまい、康仁ははっと口をつぐんだ。しかしすでに遅く、火の九十九神は康仁に気づくと、今日はどういうわけか、康仁に牙をむく。
カパッと大きな口が開き、火の九十九神は康仁の左手にかみついた。
ジリッと音がする。焼けこげるにおいも。
「やめ、ろ」
『はは……なぜ……』
一向に火の九十九神の言葉は聞き取れないし理解できない。だが、康仁に向けられた言葉であることは確かなようだ。
火の九十九神は、今まで康仁に危害を加えることはなかった。それが今日、あっさり覆った。
普段から夜は家臣の見張りもつけていない。それが今日は裏目に出た。
まどかを呼ぼうにも部屋が離れているし、今日の火の九十九神はどこか『おかしい』。
「はな、せ」
『……うえ、なぜ』
康仁の左腕にかみついた口をいったん離して、火の九十九神はもう一度大きく口を開いて、再び康仁の手にかみつこうとする。
だが、康仁のほうが速い。
火の九十九神が康仁から離れるや、身をひるがえして火の九十九神を交わし、康仁は構えた。
「オマエはなにがしたい?」
答えなんか来ないと思っていた。もとより、九十九神に言葉が通じるとも思っていない。
しかし、意外にも九十九神は答えた。
『なぜ、です。ははうえは、なぜオマエを助けるのですか』
「……!?」
なぜ。
火の九十九神ははっきりとそう言った。しかも、心配しているのだ、まどかを。
しかし、まどかが康仁を助けたところで、火の九十九神には『封印される』こと以外の不都合はないはずである。
火の九十九神に顔はないが、しかし康仁にはわかる。火の九十九神はまどかを『案じている』。
「オマエこそ、なぜアイツにこだわる」
もう一度問いかける。
火の九十九神はくるんと首を大きくかしげて、大きな口から火を吐き出しながら答えた。
『イザナミを裏切ったイザナギが、なぜ母上の傍にいる?』
「……っ!」
ひゅっと息をのむ。
天皇家には何代かに一度、康仁のような『呪い持ち』が生まれてくる。その理由を誰かに聞いたことはなかったし、あの晴明ですらなにも教えてくれなかった。
イザナギの生まれ変わり、つまりそれが、康仁だ。そしておそらく、それが呪いの根源である。
「……オマエこそ、母を殺した火の神が、アイツに近づけばどうなるかわかってんのか」
ぼっぼっぼっぼ。
怒っているのだろうか、辺りに火の粉をまき散らして、火の神はほえた。
『いずれオマエを葬り去る!』
そうしてすうっとなりをひそめた。
なにからなにまでわからない。
火の九十九神は康仁をひと思いに殺すことをしない。そして、まどかに執着している。
ははうえ、といっていた。つまり、まどかをイザナミだと思っている。
だがそれよりも今は、康仁自身のことのほうが先である。
「俺が……イザナギの生まれ変わりだと……?」
左手のあざは胸まで広がっていた。しかし、痛みより衝撃より先に、疑問が康仁を支配する。
康仁がイザナギの生まれ変わりだとしたら、前世ではまどかと夫婦だったことになる。
「俺がアイツの……」
しかし、晴明も言っていた通り、生まれ変わりといったって、別の人生を歩めば全くの別の人間である。
前世でどのようなえにしがあろうとも、康仁は決してまどかに特別な感情など抱いていない。断じて。断じて……。
昨夜のこともあり、康仁は一睡もできなかった。それに加えて火の神からの呪いの浸食が広がったとなれば、倒れてもおかしくはない。
しかし康仁は、火の九十九神の言葉をまどかに伝えることができなかった。
変に火の九十九神に肩入れして、封印できなくなるのではと危惧したのだ。
「オマエ、もしもだが」
「なんでしょう。皇子さま」
「もしも、九十九神にも感情や……やむに已まれぬ事情があったら、それでも討伐できるか?」
遠回しな言いかたに、まどかは首を傾げた。しかし、一切迷いはないようで、
「私は皇子さまの呪いを解きます。だから、なにがあっても九十九神は封印します」
まどかの優しさが、表情が、存在が。
妙に安堵を覚えるのは、昨日の九十九神の言葉に惑わされているからだ。
康仁はそう思いたかったのだが、果たして康仁のまどかに対する表情が、日に日に穏やかなものに変わろうとは、誰も思いもしなかっただろう。
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