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二、私を助けてくれたのは安倍晴明でした


 まどかの言葉に、男はピクリと片眉をあげた。


「これが毒であると?」

「はい、そうです」

「なぜ言い切る?」

「それは……」


 ひとまず、男が茶を飲む気配を消したため、まどかは男から手を離した。男はうっとうしそうにまどかに捕まれていた腕をさすると、まどかをじっとにらむように見下ろした。


「この指輪が、黒く変色しました」

「ゆびわ……とは?」

「あ、これです」


 まどかは左手の人差し指から指輪を抜き取ると、黒く鈍い光を男に見えるようにやや高く掲げて見せる。


「これはシルバー……銀製です。その指輪が黒くなるということは、そのお茶にはなにか毒が入っていると考えるのが自然です」


 男は物珍しそうに指輪に顔を寄せ、眉間にシワを寄せている。

 側で見守る家臣が、やや不穏な面持ちを見せた。

 それを、男は見逃さなかった。


「そなたの言葉は半分しかわからん。わからぬが、どれ、この茶に毒が入っていると言うのならば」


 男は側の家臣に向き直る。そうして家臣の手にある急須を奪うように手に取ると、残っていた中身――毒入りのお茶だ――を家臣の口のなかに強引に流し込んだ。


「ぐっ!? 皇子さま!?」

「鬼食いは毒はないと言っていた。ならば、毒を盛れるのはただひとり。そなたしかおるまい」

「皇子……ぐぁっ!」


 まどかがとめる間もなく、男――皇子と呼ばれた――は家臣の男に茶を飲ませた。とたん、家臣はグッと胃を押さえつけ、数秒とたたずに赤黒い血を吐き出した。


「き、きゃああ!?」


 まどかが悲鳴をあげる。だが、皇子はなんら動じることはない。苦しみもがく家臣を、虫けらを見るような目で見下ろしたあと、するりとその視線をまどかに移した。

 冷たい目だ。


「あ、あ。管、管はありますか!?」


 動揺しつつも、まどかは動いた。胃洗浄だ、それをしなければ、この男は助からない。


「管と漏斗。あと炭にぬるま湯……早くしないと死んじゃう!」


 あたふたといったり来たりするまどかの手を、皇子がつかみとった。


「こやつはここで死ぬ」

「え?」

「そなたはうつけか? こやつはわたしを殺そうとした。死罪は免れん」


 淡々とした物言いと、なにより感情のない瞳に、まどかはそれ以上なにも言えなくなった。


「なにをしている。この女を捕らえよ」

「……え?」


 すのこに控えていた兵たちが、まどかを囲む。


「な、んで。なんで私を捕らえるんですか!?」


 兵に縄をかけられながら、まどかは皇子に叫んだ。しかし、皇子は顔色ひとつ変えずに、


「毒と見抜いてわたしに近づく算段かもしれぬであろう? なにより、毒入りの茶を顔に受けて、そなたの肌はなんら爛れることもない。そなたが『異質』であることはうつけでもわかる」


 ずるずると引きずられながら、まどかはそれもそうだと思ってしまう。

 銀が変色するとなれば、砒素かなにかに違いない。砒素入りのお茶を顔面に被ったら、なにかしらの反応があってしかるべきだ。皇子の言い分も一理ある。

 投獄されたまどかは途方にくれた。

 ここは平安時代で、自分は毒を盛った家臣の仲間だたと思われていて、そして未来の人間だ。


「皇子っていうと……次期天皇……? まさか、ね……」


 あんな横柄な人間が、天皇になったら大変だ。そんなことを考えながら、まどかはぼうっと宙を見る。いまだ置かれた状況すら理解できない。ひとまず、今すぐどうこうされるわけではないのなら、弁明の余地があるということだ。

 まどかには勝算があった。今日、出掛ける時に唯一持ってきたものが、まどかのポケットにはちゃんと潜んでいる。




 夜になると牢獄はいっそう暗さを増した。ただでさえ暗く陰鬱な空気が流れているというのに、梅雨の夜は暗く、寒い。


「あのぅ」


 見張りの男に話しかける。


「なんだ」

「ブランケット……いや、毛布? 布団? なにか寒さをしのげるものを、いただけませんか?」

「……罪人の分際で生意気なことを言うな」

「……でも、私が死んだら、罪を明らかにできませんよ?」

「ああ、めでたいやつだ。オマエは投獄された時点で死罪なのだ。今さら獄で死のうが、俺の知ったことじゃない」


 そういうものなのか。まどかは納得しつつも、ならば弁明の機会すら与えられないことに気づいた。それではダメだ。


「わ、私。毒なんか盛ってません!」

「罪人はみな、同じことを言うからな」

「調べればわかることでしょう!?」

「そなた、誰にものを申して――」


 見張りの男がいよいよ腹をたてたとき、獄に来訪者が現れた。その人物を見るや、見張りの男は床に膝をついて恭しくこうべを垂れるものだから、まどかもつられてそちらに目を向けた。


「おや、思ったよりもうら若いかたなのだね」


 物腰の柔らかな男が、いた。見目麗しく、整った顔立ちをした男性だ。もしかすると、そこら辺の女性なんかよりもいくぶんもきれいな顔立ちをしている。中性的な顔立ちだ。

 むろん、昼間の皇子も、この世のものとは思えない美しさや儚さが醸し出されていたが、まどかはこちらの男のほうが好感が持てると思った。


「た、助けてください! 私は毒なんか盛ってなくて」

「ああ、わかっている。そなたを呼んだのはわたしだから」


 穏やかな声が鼓膜に心地よく届く。しかし、今はその声音に聞き惚れる場合ではない。呼んだ、と言った、この男は。呼んだ、つまりまどかを平安時代につれてきた元凶は、この男。


「どういう意味ですか……」

「ああ。ひとまずそなたをここから助けだそう」


 見張りの男から鍵を受け取り、男は牢獄の鍵を開けた。

 そうしてまどかに手を差し出すと、にっこりと人好きする笑みを浮かべた。


「私は安倍晴明、と言えば、そなたにはすべてがわかるかな?」

「安倍、晴明……って、あの安倍晴明!?」


 現代においても誰もが知っている名前だ。安倍晴明、平安時代最強の陰陽師。その力は各貴族だけではなく、帝からも認められたものだという。

 そんな有名人がなぜ、自分を平安時代に呼んだのだろうか。


「そなたは選ばれし巫女。わたしと共に、九十九神の討伐に当たってほしい」


 寝耳に水、まったくもって理解不能。

 だが、これだけはわかる。

 まどかがこの牢獄から出るためには、晴明の手をとるしかない。


「私は」


 差し出された晴明の手に、まどかはそっと自分の手を重ね合わせた。


「私は、天宮まどかです。晴明さんの噂はかねがね聞いています」

「ふふ。噂? あまりよろしくないものでないといいのだけれど」


 ひどくきれいに笑うひとだとまどかは思った。この、得たいの知れない、だけれど穏やかな、歴史上最強ともいえる陰陽師が、なぜまどかを平安時代に呼び寄せたのか。まどかにはまだ、わからない。

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