十六、薬草刈りと氷室と豆腐
十六
天皇陛下の食事のあと、まどかと康仁も食事をとった。
終始無言で食べる康仁だが、その顔は驚きと喜びに満ちている。
まどかの料理人魂がうずいた。
「皇子さま。食事が終わったら、少し出てきてよろしいでしょうか」
「……構わんが……なにしにいく?」
「ええ。ちょっと来る途中で面白いものを見つけたので」
目を輝かせるまどかに、康仁も興味深げである。
結果として、康仁もまた、食後の腹ごなしにとまどかについていくのだった。
天皇陛下の御殿の門を出たすぐそばに、うっそうと生い茂る『草』。
まどかは背中に背負った籠に、その草を刈り取っていく。
「草刈りとは、殊勝な心がけだな」
拍子抜けしたように、康仁が毒づく。しかしまどかは、その『草』を康仁に見せる。
スペードのような形の葉っぱに、白い花が咲いている。
「これはハーブ――薬草のどくだみです。梅雨の時期に花を咲かせますが、花が咲いた状態が一番効能があるんですよ」
「どくだみ……? 物騒な名前だな」
康仁はまどかの手からどくだみを受けとる。強烈なにおいが鼻につく。
思わず顔をしかめれば、まどかが笑った。
「においは強烈ですが、干して煎じて飲むと便秘解消や血管を丈夫にしてくれます」
つんとしたにおいに、康仁は記憶をたどる。どこかで嗅いだことがあるようにも思う。しかし、『どくだみ』という名前は聞いたことがない。
「毒を矯む。毒を矯正することから、どくだみと呼ばれるようになったそうです」
「毒を……」
記憶を辿り辿る。
ふと、お側つきの医官の言葉が思い出された。
「之布岐……! そうかこれは、しぶきの香りだ!」
喉のつかえがとれたように、康仁はすっきりした面持ちだ。まどかはその間も、せっせとどくだみを刈り取っている。
「しぶきっていうんですね、この時代には」
「そうだ。しぶきの茶は強烈なにおいと味で……」
思い出しているのだろう、康仁はぶるりと身震いした。
まどかは苦笑する。良薬口に苦しとはよく言ったものである。
どくだみ茶は健康茶として未来でも人気があるが、味はいまいちだ。
「本当は、アルコールがあれば生のどくだみを浸けて成分を抽出して、化粧水にもできるんですけど。さすがにアルコールはないですし」
「アルコール? 化粧水?」
「えーと。肌をすべすべにしてくれる医薬品です。まあ、煎じたものを肌に塗っても、多少は効果はあると思いますが」
ガリガリと次々にどくだみを刈るまどかと、どくだみのにおいに鼻を押さえる康仁。
まどかにとってどくだみの香りは『いい香り』であるが、康仁にとってはそうではない。
結局のところ、味覚や嗅覚は個々人で感じかたが違う。特にまどかのような料理人は、多々の味覚に触れてきたため、その許容量は自ずと大きくなる。
康仁は鼻を押さえたままに、まどかの隣にしゃがみこむ。
その康仁に、まどかは友達に話しかけるように、
「でも、この時代に味噌や鰹だしがあるなんて、知りませんでした」
「オマエでも知らぬことがあるのか」
「そりゃあ。私の専門は歴史ではなく料理なので」
天皇陛下の食事のあと、まどかと康仁は一緒に食事をとった。そのときの会話で、まどかは煮干し鰹の煎汁と、味噌が存在することを知った。
とはいえ、煮干し鰹の煎汁は、未来のかつお節とは少し違う。煮て干しただけの鰹を煮だして煮詰めた汁と、味噌はペースト状ではなく粒状である。
「皇子さまの御殿の料理番のかたに聞いたら、どちらも『ない』と言われたので」
「ああ、確かに『俺の屋敷には』ないな。あれらは献上品だからな」
「あ……すみません」
康仁が天皇陛下にとって疎ましい存在だと、まどかはここに来て初めて知った。
康仁には、献上品は与えられないに違いない。
この時代の味噌や煎汁は、貴族の給与として使われるほど貴重なものだ。
「皇子さま、その……」
慰めようとしたときである。
「あ! いたぞ!」
御殿の家臣らしき人物がまどかたちを探しに来る。
そうしてまどかと康仁を取り囲んで、
「今一度、天皇陛下のもとまで馳せ参じよ」
なにやら呼び出しを食らったようだ。
どくだみをくりに置いてから、まどかと康仁は再び天皇陛下の御前へと足を運ぶ。
ふたりでこうべを垂れれば、天皇陛下が口を開いた。
「楽にせよ」
その言葉で、顔だけをあげる。視線は伏せたままだ。
天皇陛下がすっと息を吸い込んだ。
「わたしは今後、肉食はせぬ」
「え……でも、それでは栄養が偏ります」
思わず言い返したまどかを、天皇陛下はぎろりとにらんだ。
「そなたの料理を見た貴族たちが、わたしを責め立てた。これは仏教の教えに反すると」
「ですが……天皇陛下の栄養状態を鑑みると、肉が一番……」
「黙れ! そなたはわたしの料理番であろう? 今後は肉を使うな。それから、味気ない豆腐ばかりの料理も好かぬ」
「ええっ、と……つまり?」
「そなたが悪い。先のそなたの料理を食して、今さらもとの味気ない食事に戻れると思うか?」
子供のわがままのようだとまどかは思った。しかし、確かに大豆製品で代用するしかないからといって、毎食豆腐を出すわけにもいかない。
方法はある。あることにはあるが、しかしこの時代に『あれ』を作る技術があるだろうか。
「もうさがってよい」
「……最善を、尽くします」
まどかが力なく答えた。
さて、まどかはくりに戻ってうんうんうなる。そのとなりには康仁の姿もあった。
豆腐を使った料理のレパートリーはそれなりにあるが、豆腐であることにはかわりない。
だとしたら、
「冷凍庫があれば、なぁ」
豆腐をにらみ見ながら、まどかが呟く。
「冷凍庫? なんだそれは」
「えーと、食材を凍らせる機械です」
「機械……凍らせるのなら、氷室はどうだ?」
「氷室……?」
平安時代に冷蔵庫、ましてや冷凍が可能な設備など存在するのだろうか。まどかが訊き返すと、康仁はけろりと答えた。
「畿内には、主水司が管理する氷室が、山城・大和・河内・近江・丹波に合計21室ある」
「今は初夏ですけど、大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ。貴族は夏でも氷を食べる」
にわかに信じがたいが、どうやらそれは本当に存在するようだ。
土を掘ること丈余(ひとつえあまり=3m)、草を以て其の上に蓋く。敦く茅荻を敷きて、氷を取りて、以て其の上に置く。
これは日本書紀にあるものであるが、まどかがそこまでしるよしもない。
「それでは、皇子さま。その氷室に豆腐をそのまま何丁かと、ちぎった豆腐を五丁分くらい凍らせていただけますか?」
まどかの顔が自信に満ちる。さらには、嬉しそうに口許が緩んでいた。
さて、この料理番は次はどんな風に自分を驚かせてくれるのだろうか。
康仁の口もまた、弧を描く。
「わかった。それで、なにを作るのだ?」
「はい。『凍み豆腐』と『大豆ミート』を作ろうと思います」
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