十四、天皇陛下と康仁の軋轢
十四
天皇陛下が聞き返す。
「かっけ……?」
「はい。ビタミンB1……えーと。つまり、大豆や肉をあまりとらず、米ばかり食べているとなりやすい病気です」
脚気は江戸時代に流行った病だ。江戸患いと呼ばれたほど、江戸で頻繁に起こった。その理由のひとつが、白米である。精米技術の発展は、くしくもその病を流行らせた。
江戸の武士の食事と言えば、質素なものが好まれており、白米に香の物だけなど、極端な食生活が脚気を引き起こしたのだ。
「それで、どうすれば治る?」
「はい。今日から米を少なめに、大豆製品や肉をきちんと召し上がる献立にすれば、一ヶ月ほどで効果が出るかと」
「一ヶ月……? そなたは巫女ではないのか」
「……え?」
「一ヶ月も待てとは、わたしを軽んじているのか?」
布団から立ち上がり、天皇陛下はまどかを見下ろす。威厳や風格というよりは、権力をかさにきた、という表現が正しかったかもしれない。
いや、しかしこれは、病気がなせるわざだとも思う。栄養の過不足は、精神にも大いに影響する。
「一ヶ月、それで効果がなければ、どうぞ私を投獄するなりなんなりしてください」
「……自信家だな」
「私は巫女です。しかし、巫女は巫女でも、病気を治す力はありません」
「こやつ……!」
天皇陛下はますます怒りに表情を染める。端から見ている康仁のほうがはらはらするくらいには、今日の天皇陛下は機嫌が悪い。
その理由を、康仁だけが知っている。
「陛下、わたしを嫌うのはわかりますが、この巫女は本物です」
「黙れ! そなたの紹介だからこそ、あやしいのではないか!」
天皇陛下の怒号が飛ぶ。
さしものまどかも、天皇陛下と康仁の間にある軋轢を感じ取った。
どうにかせねば。自分がなんとかしなければ。
「て、天皇陛下」
「なんだ」
「わ、私を料理番としてひとつき、お側においてください!」
突拍子もない申し出に、面食らったのは天皇陛下よりも康仁である。
一ヶ月、となると、まどかは次の新月で未来に帰れない。そうまでする理由はなんなのだろうか。
「面白い。ひと月だ。それ以上は待たぬ」
天皇陛下が布団に座り直す。と同時、康仁が天皇陛下にがばっと頭をさげた。
「天皇陛下。この巫女ひとりでは心配です。わたしもひと月、陛下のお側においてください」
「そなたを……?」
「はい。この巫女がしくじったときは、わたしも罰を受けます」
「ほう……」
まどかはおろおろするばかりだ。康仁と天皇陛下の間で話が進み、天皇陛下はふっと息を吐き出した。
「もしわたしの体調が変わらなかったら、康仁。そなたの皇位継続権を剥奪する。よいか?」
康仁の顔はわかっていたかのようなそれである。
「わかりました」と康仁が小さく答えるも、まどかは納得がいかなかった。
天皇陛下を向き直り、頭をさげて、
「天皇陛下。それは少し、ひどすぎませんか?」
「ひどい? そなた、誰に向かってもの申す?」
だが天皇陛下の言葉には怒りより呆れの色が濃いことに、まどかも気づいた。
まどかが言い返しても、隣にいる康仁は表情ひとつ変えない。
「康仁は忌み子だ。生まれながらに呪われ、九十九神を引き寄せる。いわば生け贄だ」
「生け贄……?」
「第一皇子でなければ、皇位など継がせたくなかった。わたしは直仁に皇位を譲りたいと思っている」
口惜しそうに、天皇陛下は康仁を見ている。
呪いのことはまどかも知っている。その呪いを解くために、まどかはこの世界に呼ばれたのだから。
「もし」
「なんだ」
「もし私が、皇子さまの呪いを解けたら、天皇陛下は皇子さまを皇位継承者として認めてくれるんですか?」
やけに食い下がる。天皇陛下の顔が歪む。
そんな気はさらさらない。今さら愛着を持てと言われても、どうしても康仁を受け入れられそうにない。
康仁は幼い頃から優秀で、まわりからも一目おかれていた。たがなにぶん、体が弱い。さらには『みえる』
何代かに一度、康仁のような『呪い持ち』が生まれることは知っていたが、まさか自分の息子――しかも第一皇子がそうなるとは思いもしなかった。
だから拒絶した。天皇陛下は康仁を認められなかった。
「万が一にもそのようになれば、考えてやらぬこともない」
無難な言葉だ。約束はしないが否定はしない。
だが康仁にもまどかにも、この約束があまりいいものではないことは、なんとなくわかっていた。
わかっていたのだが、まどかはあえて言ったのだ。
「約束、しましたからね」
まどかと康仁の、運命をかけた一ヶ月が、始まる。