十三、天皇陛下に会いに行きます
十三
朝は四時。
まどかは眠い目をこすってようやく布団から這い出た。
今は六月だからまだいいものを、平安の朝は薄暗い。
まどかは朝食作りに取りかかる。
平安時代の貴族は、朝五時に起きて粥を食べ、正式な朝食は十一時に食べるのだという。
不健康だ。
「んー」
昨日のうちにメニューは決めていた。今朝は魚のホイル焼きにだし巻き玉子、それから大豆の呉汁に香の物。
ホイル焼きは葉っぱで代用したし、味付けは酢とひしおで事足りる。だし巻き玉子は四角くは焼けないものの、形より味だ。濁り酒を煮きってみりんの代わりにして、蒸し焼きに近い形で焼き上げた。
あつものの代わりにすりつぶした大豆で作った呉汁は栄養満点だ。
「皇子さま。おはようございます」
「ん……朝か……」
まどかの料理に、ほかの料理番たちは目を丸くするばかりであるが、まどかは気にしない。
「毒味をしますね」
「……必要ない」
家臣が皇子の着替えを手伝う。まどかは膳を並べながら、それを横目で見ている。
寝起きの皇子のなんと無防備なことか。
「……? なにを笑っている?」
「いえ。平和だなと」
昨日のことがうそのようだ。
まどかは懐の携帯を服の上から撫で付ける。
九十九神を封印した携帯は、それに付随するように電源が回復した。どうやらやはり、このスマホはまどかの霊力になんらかの関係がありそうだ。
朝食を終えると、皇子がふいにまどかを呼び止めた。
「オマエ、飲水病は知ってるか」
「飲水病……?」
「喉が乾き、やがて手足が腐り、目が見えなくなる病だ」
「あー……」
思い当たる病がある。現代で言う糖尿病だ。
「治せるとは言い切れませんが、緩和させることは可能かもしれません」
無難な答えだ。
糖尿病といっても、進行具合によれば、食事療法ではカバーしきれない。
まどかの答えに、皇子は少しだけ逡巡したあと、
「では、俺の父――天皇陛下の具合を見てくれないか?」
「……天皇陛下の!?」
断るべきであるのはまどかにもわかる。万が一、症状が末期だったとしたら、まどかの手にはおえない。
だが、天皇陛下の診察まがいなことをしておきながら、『無理でした』ではすまないだろう。
「いや……でも私……」
「案ずるな。はなからオマエに期待はしてない。治せなくとも罪には問わん。どうだ?」
「えー、と」
「無理か?」
珍しく皇子がしたてに出るため、まどかも断るに断れなくなってしまう。
迷いに迷ったまどかは、仕方なくではあるが、「はい」と答えるしかできなかった。
牛車に乗ったまどかは、やや興奮ぎみである。平安の移動手段、教科書でしか見たことのなかったそれに、興味を抱かないほうがおかしいというもの。
「でも、天皇陛下と皇子さまは、別の場所にお住みなんですね」
「……俺は『嫌われもの』だからな」
「きらわれ……?」
目を伏せる皇子に、それ以上は聞き返せなかった。
皇子には皇子の思いや立場あるのだろう。まどかはそんな風に思っていたのだが、現実はそうやさしくはない。
天皇陛下の御殿につくと、そこは皇子のそれより何倍もきらびやかで、ひとが溢れていた。
なかでもひときわ目を引く少年がいた。
見た目は皇子にそっくりなのだが、性格は皇子に似ても似つかない。
「そなたが兄上の料理番か?」
「あ。はい」
「わたしは直仁。第二皇子の直仁だ」
第二皇子。
そっくりで当たり前だ、直仁は皇子の弟だった。
あわててまどかは平伏し、直仁に恭しく挨拶をした。
「はじめまして。私は天宮まどかと申します」
「よい。面をあげよ」
「ありがとうございます」
歳のわりにしっかりした直仁に、だが皇子の表情は苦いものだ。
「兄上がこちらにおいでになるなんて。父上もおよろこびになります」
直仁が笑うと、家臣の表情が明るくなる。愛されていることは明らかだった。
なにより、天皇陛下の住む御殿に同居しているという時点で、直仁と皇子の待遇の差は明らかだった。
「今日は、天皇陛下のお体を治すためにきた。通せ」
家臣に話をつけて、皇子はずかずかと御殿にあがっていく。まどかも焦りながら、皇子について歩く。
家臣たちの冷たい視線が皇子に、まどかに突き刺さる。
嫌な場所だ。
まどかは居心地の悪さを感じながら、御殿のなかを歩いていった。
寝所に横たわるその人物が、今の天皇陛下らしい。
弱々しく見えるが、どこか威厳や風格も見てとれた。
皇子が近づくや、天皇陛下は起き上がり、皇子に挨拶を促した。
皇子は恭しく頭をさげる。
「第一皇子、康仁、参りました」
今初めて、まどかは皇子の本当の名前を知った。天皇家のこの名前が、諱の由来であるのだが、まどかは知るよしもない。
「なにしに来た」
しかし、天皇陛下の言葉は冷たく放たれる。
皇子は目を伏せたまま、答えた。
「天皇陛下のご病気を、この巫女が治せるかも知れません」
まどかは康仁にならって頭をさげている。そのまどかを、天皇陛下の視線が射抜く。
神々しいと思う。病床に臥せてなお、天皇陛下には妙な雰囲気が醸し出されている。それが恐ろしくもあり、不思議でもある。
怠そうな天皇陛下の様子に、まどかは内心で首をかしげる。
糖尿病だけで、こんなになるはずがない。なにより、牛車のなかで康仁から聞いた症状によれば、おそらく天皇陛下はもうひとつ、病を患っている。
「そうか。そなた、わたしの病が治せるか?」
「……確証はありませんが。おそらく天皇陛下は、飲水病のほかに脚気も患っていらっしゃいます」
聞きなれない名前に、康仁すらもが怪訝な顔をしていた。