十二、夕餉の時間です
十二
風呂からあがったまどかは、まずなにより先に髪を黒く染めねばと思った。
「晴明さん。黒檀はありますか?」
「はい、ありますよ」
それを聞いていた黒雲は、少しだけ表情を曇らせた。
「アナタはアナタなのですから、髪の色をどうこうする必要はないのでは?」
まるで、そのままのまどかを受け入れるような言いかたに、まどかは黒雲を見る。目を真ん丸にするまどかがおかしかったのか、黒雲がふわっと笑った。年相応のそれである。
「黒雲さんが言うなら、そうしようかな……」
嬉しさと気恥ずかしさの混じった言葉だ。
端から見ていた晴明はふたりに気づかれぬよう、微笑を浮かべた。
いい意味で黒雲はまどかに刺激を受けたようだ。今までは、人形のように表情を変えず、ただ晴明に従うばかりだった。そんな黒雲を、晴明は案じていた。
「晴明。黒雲は最近変わったか?」
黒雲を案じてかまどかを案じてか、晴明の屋敷についてきていた皇子にも黒雲の変化は明らかなようだ。
不服そうな、だけれど嬉しそうな声が、晴明に向けられた。
「まどかどのの影響でしょう」
「アイツの?」
「ええ。好敵手とも、姉とも同志ともつかない関係でしょうか」
「なんだそれ。訳がわからん」
皇子にはにわかに信じがたい。それは黒雲自身もそうであるに違いない。
知らず知らずまどかのペースに巻き込まれていることに、黒雲自身も気づいていない。
「それはそうと」
黒雲とまどかの間に、皇子が割って入る。黒雲は恐縮しこうべを垂れたが、まどかは何食わぬ顔である。
まどかのこういう、肝の据わった部分が、黒雲には理解できない。だが、それがまどかがまどかたるゆえんなのだとも思う。
それは皇子も同じようで、もはやまどかに無礼を叱責する気もない。
「夕餉の時間だ」
「あっ。そうでしたね」
まどかは晴明を見やる。
「キッチン――くりを借りても大丈夫ですか?」
「はい。大したものはないのですが」
それにしても。
朝食は十一時、夕食は十六時といったところだろうか。
本来ならば貴族の朝は四時、五時から始まるのだという。今日は先日の事件もあり、皇子の朝は遅かった。
明日から、平安時代のタイムスケジュールに体をあわせられるのだろうか。
「少しだけお待ちくださいね」
まどかがくりに歩くと、黒雲もまた、まどかのあとについて歩く。
「黒雲さん?」
「皇子さまのためです。皇子さまをお待たせするわけにはいきませんから」
素直でないだけで、黒雲はとても優しい子なのではと、まどかはそんなことを思いながら、黒雲に笑いかけた。
夕餉のメニューは、焼いた魚と固粥、それから味噌汁風のわかめのあつものに、野菜のなます。それから、あわびの酒蒸しを添えた。
「あわびとか初めて見ました」
「公家のかたがたが、わたしにわけてくださるのですが、なにぶんわたしでは料理ができなくて」
運んだ膳を見て、晴明はほうっと息を吐き出した。
皇子はすでに箸を持ち、まどかの料理を口に運んでいる。
「コイツの料理は変わった味付けだが、不思議と箸が進む。晴明も食べてみろ」
「ありがとうございます。それでは、いただきます」
まどかの料理はあらかじめ下味がつけてある。あわびの酒蒸しだって、ちゃんと塩味をつけた。本当はバターソテーにしてもよかったのだが、バターなど手に入るわけもなく、それならばと酒蒸しにした。
はくはくと皇子が料理を口に運ぶ。それを見て、まどかは気づいた。
「あっ!」
「なんだ?」
「あ、いや……毒味を……」
すっかり忘れていた。まどかは毒味――鬼食いの役割も与えられている。
しかし、皇子は箸を運ぶ手を止めないままに、
「黒雲が毒など盛るわけがない」
「そんなに私が信用できませんか」
「そうだな。そういうことになる」
本当は、理由なんてない。皇子にもわからない。まどかには邪心がない。自分に毒を盛るはずがないと思わせるなにかがある。
それがなにかはさておいても。
「やはり、オマエの料理の腕だけは確かだな」
「ありがとうございます。栄養もちゃんと考えてるので、体調もよくなるといいんですけど」
「えいよう……?」
皇子が聞き返す。
「あ。えっと。食べ物は毒にもなり得るということです。バランス――食べ物には調和があって、それが保たれないと体に不調をきたし――」
「もういい。飯が不味くなる。オマエの言うことは半分しかわからん。うまければなんでもいい」
職業柄、語りたくなるのは悪い癖だ。
まどかは下座に座りながら、自身が作った料理を口に運ぶ。
やや塩気の強い魚や、初めて食べるアワビは思いの外おいしくて、自然と頬が緩んでいた。