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一、鈴の音の先は異世界でした


 チリン……チリ……ン。

 聞こえてきた鈴の音に、天宮まどかは思わす足を止めた。

 梅雨の雨上がりのちょっとした散歩だ。もうかれこれ一週間も続いた長雨の切れ間に、まどかはふと思い立ってふらりと家を出た。

 別段、用事があったわけでもない、まどかが出掛けた理由があるとすれば、『ただなんとなく』その一言に尽きる。

 いく宛もなくふらふらと歩く。時折水溜まりを覗き見たり、濡れたアジサイの写真を撮りながら、まどかは気ままな休日を満喫していた。

 その、途中である。

 どこからともなく聞こえてきた鈴の音に引き寄せられるかのように、まどかの足は動いていた。

 小さな鳥居である。その先には古びた、薄汚れたほこら。

 まどかが鳥居の前で足を止めると、まるではかったかのように鈴の音も止まった。


「あのぅ」


 誰かのいたずらだろうか。または、誰かのSOSのサインなのかもしれない。

 まどかは恐る恐る、鳥居の向こう側に話しかける。

 しん、と静まり返るばかりで、ひとの声も、気配すらも感じ取れない。やはり、思い過ごしだろうか。


「誰かいませんか?」


 後ずさりながら、もう一度だけ。

 やはり、ひとの声は返ってこない。

 いよいよ気味が悪くなる。そもそも、こんな場所にこんなほこらなどあっただろうか。鳥居だってそうだ。生まれてこのかたこの地に住んでいるが、この辺りに神社や、それにまつわる場所があるなどと、聞いたこともない。

 まどかはきびすを返す。

 チリ……チリン。

 ばっと振り返る。今、確かに聞こえた。向こうからだ、この鳥居を潜り抜けた先から、確かに、はっきりと。

 ふたたびまどかは鳥居に向き直る。そのまま、なんのためらいもなくまどかは鳥居の向こうにしっかりと足を踏み出した。




 バチバチバチっと火花が散ったのは、まどかの体が鳥居の向こう側へ潜り抜けたそのときだった。

 あまりのまぶしさにまどかは思わず目を閉じた。

 ひゅうっと涼しげな風が吹き抜け、雨上がりの緑のかおりを運んでくる。先ほどまではなかったにおいだ。

 そっと目を開けたまどかが見たのは、先ほどとはうってかわって、立派な佇まいのほこらである。


「え?」


 今さっき潜り抜けた鳥居を振り返る。ほこらと同じく、鳥居が大きく赤く、立派にそびえ立っていることにまどかは目を見開いた。


「なに……化かされてる……?」


 稲荷神社にはきつねがまつられているという。ならば今しがた自分が潜り抜けたのは、稲荷の鳥居だったのだろうか。いやしかし、鳥居の周辺にも、ほこらの近くにも、きつねを象った石像――狛狐など見当たらなかった。


「だ、誰かいませんか!?」


 叫ぶも、返事はない。

 化かされているのだとしたら、鳥居をもう一度くぐればもとの場所に戻れるかもしれない。

 まどかはくるりと後ろを向き、そうして来たときとは違って大きく立派な鳥居のしたを足早に通り抜けた。

 通り抜けたあと目を瞑り深呼吸する。そしてゆっくりと開けた瞳に写されたのは、


「うそ……なんで……?」


 やはり、先ほどと変わらない、立派なつくりの神社がそこにあるだけだった。




 よくよく見ると、辺りの風景も大分違うことにまどかは気づいた。地面がやけに獣道である。コンクリートが敷き詰められた道を通ってきたはずなのだが、どういうわけか、今来た道すらまどかの記憶とは合致しない。

 ひとまずまどかはひとを探すことにした。ここがどこなのか、もしかすると神社の主――神々の住む世界かなにかだとしたら、まどかにはどうすることもできそうにない。

 だから、不安をかきけすために、まどかは歩いた。ひとに会いたい。神々ではなく、人間に。

 そうすればここがどこなのか、はっきりするはずだとまどかは踏んだ。もしかしたら、神隠しというものかもしれない。

 見た感じは日本だろうことだけはなんとなくわかったし、ならばきっと、自分はあの神社の神の逆鱗に触れて、どこかに飛ばされたに違いない。実に非現実的ではあるが。

 山道をおりること小一時間、ようやく見えてきた建物に、しかしまどかは目を見張ることしかできなかった。


「……御殿……?」


 明らかに現代建築とは程遠い、言うなれば寝殿造のそれである。

 山道で疲れきっていたはずの足が勝手に走る。

 嘘だ、嘘だ。これは夢か幻か。化かされているか寝ぼけているのか。

 しかし、どうあがいても、まどかが感じるにおいも、動かす足の疲労も、切れる息も。すべてがこれを現実だと訴えてくる。


「何奴!?」


 御殿の敷地に無断であがりこんで、なんなら御殿に土足であがりこんだまどかは、警備の兵に囲まれていた。


「珍妙な衣を着おって……貴様、何者だ!?」


 珍妙なのは、そちらのほうだ。まどかは兵の男たちを見て眉を潜めた。

 歴史の教科書でしか見たこともない、昔の服だ。腰には刀をさし、手には弓が携えられている。衣装は束帯と呼ばれるものだろうか。

 息を切らせるまどかに対し、兵の男数人がかりで、まどかを取り囲み、威嚇する。


「あやかしではないか?」

「待って、私は妖怪じゃないです」

「もしや、異国の侵略か!?」

「違います、私も日本人で」

「嘘を言え。そなたの髪は奇っ怪な色をしておろう」

「こ、これは染めただけで……て、もう!」


 話が通じなくてイライラしてくる。

 そうこうする間にも、まどかとの間合いを兵の男たちがじりじりと詰めていく。さしものまどかも弓や刀にはかなわない。

 どうにか話のわかる人間を探さなければ、もしかしたらこのまま殺されるかもしれない。

 まどかが次の策を思案したそのときである。


「さがれ」


 御殿のなか、もっと言えば、帳の向こう側から聞こえたのは、凛とした男性の声である。

 黒い帳をお付きの召し使いらしき男が捲りあげると、そのしたを潜り抜けて、ひとりの男――年の頃はまどかと同じく二十そこそこであろうか――がまどかに歩み寄る。

 先ほどまで威勢のよかった兵たちは、たちどころに御殿のすのこまでさがり、恭しくこうべを垂れた。

 しかし、まどかにはまるで訳もわからず、ただその場に立ち尽くし、呆けるしかできなかった。

 帳を潜り抜けた男が顔をしかめた。


「そなた、わたしを誰と心得る」

「……え? え?」


 かしずく家臣たちと、男の物言い、華美な服から察するに、この場にいる誰よりも位が高いことだけはわかった。

 まどかは家臣に倣って男に頭をさげた。


「すみません……私……」

「そなた、その衣はどこのものだ? よもや、この世のものではないのか?」


 質問攻めである。男は興味深そうにまどかを上からしたまで見渡すも、まどかはいい気持ちはしない。

 頭をあげて、ひと呼吸すると、


「ここはどこですか」


 臆することなく、男に問う。


「先に質問したのはわたしだ」

「私は……」


 もしもここが平安時代だとしたら、自分の出自をなんと説明したらよいのだろうか。だが、まどかは生来嘘がつけない性格である。


「私は、未来から来ました」

「未来……そなたは平安の人間ではないと?」


 まどかの予想が確信に変わる。やはりここは、平安時代。そしてどうやら、まどかは平安時代に転移してしまったようだ。

 どうしたものかとまどかがため息をついたのと同時だった。


「見え透いた嘘をつくな!」


 帳の向こう側に戻ったかと思えば、男は茶碗を片手に、その中身をまどかの顔にぶちまけた。


「……!」


 咄嗟に手で顔を覆ったものの、当然その液体――おそらくお茶だ――を防ぎきることなど不可能だった。

 理不尽だ。

 怒りたくなるのをこらえて、まどかはポタポタと滴り落ちるしずくを左手でぬぐう。

 そのときまどかは、ある異変に気づいた。


「こやつの処遇はオマエたちに任せる」


 男は茶碗を家臣につきだす。家臣はあわててその茶碗にお茶を注ぐ。その手を、まどかが掴んだ。


「これは、飲んじゃダメです」

「なにを」

「これ、毒が入ってます」


 男の手をつかむまどかの左手の人差し指には、黒く変色した銀の指輪がはめられていた。




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