21話 ジグ
休憩を終えた俺達は足を踏み出した。鞍部の終わりの地点にある石灯籠の横を通り過ぎるとそこからは急な坂が始まる。山道となっている坂道の横には杉の巨木は勿論の事、シャガも群生している。シャガはアヤメ科の植物で四月から五月になると淡い紫色の花を咲かせるのがポイントだ。仄かに湿った環境を好む為この木場山は絶好のポイントである。
『 岩神神社』と書かれた看板を通り過ぎると再び小さな鳥居が俺達を向かい入れる。馬野神社の中には複数の神社が隣接して建っている。俺は岩神神社から更に二つ神社を潜り、足を進める。
「はぁ……はぁ……」
ペースが速い。俺は早くも息が上がってしまっていた。しんどい。俺が周囲に目をやると同級生達は喋る余裕が無い程に息を切らしていた。ただ一人を除いて。速瀬だ。奴は表情を一切変えずに……と言うよりかはつまらなそうに歩いていた。
あれがポーカーフェイスなのか、強がりなのか、それとも本当に辛くないのか……それは分からない。
しかし、先輩達は何が楽しいのかにやにや笑いながら登っている事を考えると本当に辛くないのかも知れない。先輩達は本当に何が楽しくて笑っているのだろうか?謎だ。
登山道を進むと左の方にあった山道と今俺達が通っている山道が合流して、広い山道になった。神社を過ぎてからは、木製の階段が増えている印象だ。登山道はかなり整備されている。合流した左の道の更に左には大きめの谷があり、水が流れている。だが、今の俺には景色を見る余裕など無かった。マジでしんどい。俺の視点は正面では無く、地面の方を向いていた。
ザックによって後ろに移動した重心と急な坂道。その二つが相まって、かなり辛いのだ。特に俺は走っている訳では無い。歩いている。そのペースは普通の人が歩くペースより多少速い位だ。それなのに、なんだ、この心臓の鼓動は……。
「はぁっ、はぁっ」
俺の息は更に乱れる。帽子の隙間から汗が垂れ、蒸れ、頭部にも不快感を感じる。早く休憩が取りたい。先程休憩を取ってからまだ五分も経っていないだろう。それなのに、俺は休憩を渇望していた。喉も渇いた。水を飲みたい。
だが、俺の水筒はカバンの中だ。休憩時間以外では水を取る事も出来ない。その点で言うとプラティパスは収納スペースも取らない上、本体も軽い。そして、何よりも歩きながら水分補給が出来る。プラティパスやっぱり必要だったか?俺はそれを痛感した。
俺は上を見上げた。俺の視界に移ったのは絶望……。ひたすら続く坂道だった。ゴールなど見えない。今の状況が永遠に続くとさえ思う程に続く坂道だった。
「嘘だろ……!?」
「おい、何言ってんだ。さっき出たばっかりだろ?足元に注意するのも良いけど、ちゃんと地図見ながら歩けよ?」
早くもバテている俺の様子を後ろから見た鬼登先輩が、声をかける。
「大丈夫か?マジでヤバくなる前に言えよ」
「……はい。分かりました」
言える訳が無かった。みんな同じなんだ。どうせ、ここで休憩した所でまた五分も経たない内にバテるに決まってる。それならば、変にペース乱して迷惑かけない方が良いだろう。I字ターンを曲がり、木の足場に足をかける。ここで、野原先生の足が一旦止まった。
「はい、ザックダウンしなくても良いからここで地図を見てくれ」
俺達は肩で大きく息をしながら地図を拡げ、マップケースに入った地図を取り出した。手は大きく浮腫んでおり、汗でベトベトだ。もしもマップケースが無かったとしたら手汗で地図が濡れてしまっていただろう。
「ここは道を往復しながら登っていく。ジグザグするよね?だからジグだ。こう言う道をジグと言う。覚えておこう」
野原先生がジグと言って呼び、指差した部分は急な斜面に設けられた登山道だった。急な斜面に登山道を作ると普通は危険だ。その為、急な斜面をジグザグに横に這うようにして歩ける登山道が設けられている。それをジグと言う。
山を断面として見てみると、ジグを通る事によって傾斜がどれだけ軽減されるのか分かりやすいだろう。それこそ斜面を真っ直ぐに登った方が速いのでは無いか?と思うかも知れないが、そんなものは泣く子も黙る大腿筋と半端では無い体力でも持っていない限り普通にジグを登った方が速く、体力消費も少ないと思われる。そう言った要素もさながら、なんといっても安全度が段違いである。
何だかんだで登山道は計算されて作られているのだ。
「分かったかな?分からなかった部分は先輩達に聞いてね。はい、じゃあ行こう」
マジかよ。休憩時間は時間にして一分。休憩と言える休憩では無かった。ジグがある場所は大抵急な坂である事が多い。その道をジグザグと切りながら上を目指すのだ。
何回ジグを切ったか、分からない。俺達の視点からは先程まで俺達がいた場所が見えた。ジグ沿いの道には咲かかっているアワブキの白い花や、ヤマボウシ、アカシデの木が臨在している。まだ季節が早いのか、ヤマボウシとアカシデは花や実を付けていない。春という季節なのに未だに落葉している木すらある。
少しジグを登っただけでヘトヘトになっている俺達とは違って斜面でも元気よく根を張って生き生きとしている木々は俺にとってはより力強く感じた。
ジグの終わりにポツンと佇む直径八十センチ位の岩に手と足をかけ、全身の力を使って俺は顔を上に出す。
「はぁ、はぁ……やっとジグが終わった」
「この様子だと多分、『山天狗の相撲場』までお前ら持たねえな。多分『野智の滝』を越えた辺りに平地があるからそこら辺で休憩を挟むんじゃないか?」
俺が息を切らしながら言葉を紡ぐとその小さな音を聞き取った鬼登先輩が地図を見ながら喋った。野智の滝は木場山の名所の一つだ。先程から左側を流れている水は野智の滝を通じて流れている。神社が祀られている事もあり、神の水が流れているとも言われているみたいだ。
俺は徐に地図を開いた。野智の滝までは俺たちが馬野神社から歩いてきた道よりも若干長い。直線距離にしてみたら五百メートル無い位だろう。だが、日常生活の五百メートルと登山においての五百メートルは全く意味が異なる。
俺達は三百メートルを進むのに既に十五分近くを消費していた。たったの三百メートル。それを進むだけでこれだけ時間がかかるのだ。あくまで三百メートルと言うのは目的地までの直線距離であり、歩行距離では無い。傾斜の分も考えられていなければ、登山道の曲がり角やジグなどの距離も含まれていないのだ。
登山道に書いている看板の数値は登山道の歩行距離ではあるものの、近くに看板が無ければ、地図でおおよその直線距離を見る他無いのだ。幸い俺の目の前には看板があった。その看板には
『この美しい自然を大切に。野智の滝まで0.5キロメートル』
と記載されていた。
ジグを終えた事によって傾斜はかなり軽減された。だが、俺は少し地図が読める様になった事である事に気がついた。この緩やかな登山道を超えた先に最初に登った坂よりも急な坂道が待ち受けている事に。
植物など
シャガ……アヤメ科の植物。春に紫がかった花を咲かせる。暗く、湿った場所に生えやすい。EDが神曲の漆黒のシャガのシャガである。(知らない人は調べない方が良いかと思います)
ヤマボウシ……落葉高木。夏前に白い花を付け、秋には赤く熟した集合果実を付ける。
アワブキ……白く小さな集合体の様な花(泡の様な白い花)を咲かせる。春から初夏にかけて花をつける木で、道端でも見かける事がある。
アカシデ……雑木林で比較的よく見かける落葉樹。長い若芽を付け、花を咲かせるが、花はあまり目立たない為、観賞用にはあまり向かない(個人的見解です)。
用語など
ジグ……山の急な斜面(ほぼ崖の様な見た目の斜面)を登るために復路で作られた登山道。山を横から見て斜面をジグザグと登っている感じである。ジグのせいで歩行距離は遥かに増えるが、ジグ自体の斜面はかなり緩やかに設定(ジグ無しと比べると歴然の差)されていて登りやすく、体力を消耗し難く、安全性にも優れている。ジグの上方からは下のジグを登っている登山部隊を見渡す事が出来る。
看板……環境保全面の事や、安全面、主要スポットまでの距離、標高が書いてある事が多い。大事な目印。登山道の山中にあるピンクテープなどの目印はあてになる場所とあてにならない場所があるので鵜呑みにするのは危険。ともあれ、読図能力があれば、迷う危険性はかなり減ります。




