断片:深海
少女の散歩のはなし
少女は深海へ落下していった。
深く、深く、落ちていくに従って、どんどん光は弱くなる。
透明だった世界は、次第に青色で染め上げられて、群青となり、そして、黒となる。
深く、深く、落ちていくに従って、水圧はどんどん高くなる。
少女はどんどん圧縮されて、海底に着くころには、小指ほどの大きさになっていた。
海底は、まるで砂漠のようだった。
真っ暗な砂漠の中を少女はてくてく歩いていく。
時折、宝石のようにキラキラ輝くクラゲたちが、ふわりふわりと海中を漂っているのが見える。
ギョロリと、大きなガラスのような目をした魚が、少女を見つけると、パクリと少女を丸呑みにした。
魚に丸呑みにされた少女は、食道を通り過ぎながら、自分のお腹が鳴ったのに気づいた。
丁度、おやつの時間で、お腹が空いてきたところだった。
「おなかが空いたけれど、このお魚は食べられるのかしら。」
パクリと魚の食道に噛り付いてみると、コクがあって、とても美味しい。
少女はそのまま、パクパクと魚の体を食べ始める。
魚の体内を食べ進んでいくと、大きなガラスのような目の内側まで来た。
「まるで、潜水艇の中のようだわ。」
少女を目玉のなかに入れたまま、ガラスの目の魚はゆったりと深海を泳いでいく。
少女が魚の目玉を持ってグリンと動かすと、魚はその方向に泳いでいった。
「これは、とても楽しいわ。」
深海にはおかしな形のヒトデや、脚が妙に長いカニや、やけに透き通った魚がいた。
少女は魚の潜水艇で深海探索を楽しんだ後、グリンと魚の目を上へ向ける。
魚の潜水艇は水面へ向かって進みだす。
水圧はどんどん小さくなって、少女はどんどん大きくなった。
魚の目玉は、どんどん大きくなっていく少女の体に圧迫されて、風船のようにどんどん膨らんでいく。
目玉はどんどんどんどん大きくなって、魚の体よりも大きくなる。
それでもどんどん大きくなって、水面が見えてきたあたりで、魚の目玉は、パンとはじけて、少女は海の中に飛び出した。
目玉の破裂した魚は死んだようになって、深海の暗闇に沈んでいった。
少女はスイスイ泳いで水面を破る。
午後の日の光が、水面をキラキラ輝かせている。
向うのほうには陸地が見える。
少女はスイスイ泳いで陸地に上がる。
砂浜は日に焼かれてジリジリ熱くなっている。
少女の服も、髪も、深海に染まって、濃藍色になっている。
少女は砂浜でゴロリと横になる。
深海の濃藍色はどんどん焼かれて透明になっていった。
ひとしきり、日向ぼっこをしたあとに、少女は家に向かって歩き出す。
夕日が空と海を紅色に染めている。
家の扉をあけると夕ご飯の匂いがする。
「今日はどこに行っていたの?」
お母さんが少女に尋ねる。
「今日は、深海にいっていたのよ。」
「そう、それは良かったわね。ご飯にするから手を洗ってらっしゃい。」
少女はお父さんとお母さんと食事をとると、部屋に行ってベッドに横になる。
窓から見える三日月が弱弱しい、薄っ白い光を少女の部屋に投げかけている。