第2話
社員通用口を出た辺りでぼんやり突っ立っていた。イヤホンを耳に突っ込んで流行りのJ-POPを聴きながら川島を待った。
「何聞いてんの?」
7センチヒールを履いたアタシより15センチ以上は背の高い荒木が、左耳からイヤホンを抜きとって自分の右耳にあてる。その身長差で右耳からもイヤホンは抜けてしまった。
「止めて下さいっ」
荒木の手からイヤホンを奪い取ると、大きく一歩横にずれる。
「で、誰待ち?」
「.........」
荒木の誘いを散々断っておいて、川島と飲みに行くとは言えずに聞こえなかった振りをした。
「まぁ、いいや。じゃあまた」
予想外にあっさり解放された事に驚いた。細身のスーツをきっちり着こなした背中から視線をそらし社員通用口に目をやると、みんな疲れた様子で駅に向かって歩いていく。
アタシだって日曜日は週報があるので通常より残業で遅くなっているけれど、それにしても遅い。いい加減帰ってしまおうかとイライラし始めた時、川島が現れた。
華やかなオーラとレザーソールの高い音を響かせて近づいてくる川島からはほんのり甘い香りがした。
「お待たせ。じゃあ行こうか」
駅とは逆方向に歩き、日曜の夜なのに人が多い繁華街で川島とはぐれてしまわないようぴったりと後ろからついていく。人混みを抜けると閑静な住宅街が見えてくる。どこに連れていかれるのかとびくびくしていたら、小さなY字路の角にあるビルの中に入っていく。
階段を登った2階の店に慣れた様子で入っていく。どうやら川島の行きつけの店のようだ。
「いらっしゃーい」
藍染ののれんをくぐると、中は6人座れば一杯になるカウンターとこあがりが2席だけのこじんまりとした小料理屋だった。明るい声で迎えてくれる40代後半の女将さんの笑顔に、一瞬で癒される。
「あら、てっちゃん。随分可愛い彼女ね」
女将さんの言葉に川島はニヤニヤ笑うだけで否定する気配がない。アタシは慌てて首を横に振った。
「違いますっ!あの...」
「そんなに必死に否定することなくね?コイツは取引先の新人ですよ」
コイツって...いきなりなんなのよ。
仕事中とは雰囲気も言葉遣いも全く違う川島に戸惑いつつも、ラフな空気感に少しずつ肩の力が抜けていく。川島は女将さんに目配せをしてこあがりに座り、突っ立っていたアタシにも席につくように促す。 席について一呼吸すると、タイミングよくおしぼりが渡され、それからすぐに付け出しとグラスが2個ずつテーブルに置かれた。
「お疲れ様」
女将さんが川島にビールを注ごうとするのをぼんやり見ていると、川島がアタシの足をテーブルの下で小突く。
我にかえって川島の顔を見ると小さな声で注意された。
「お前がやんの!」
女将さんはアタシに瓶ビールを手渡すと、後はよろしくね、と言ってカウンターの中に入ってしまった。
慣れない手つきで川島にお酌すると、今度は川島が瓶ビールを手にしてアタシにグラスを持つように急かした。
「あの、アタシビール飲めないんですけど...」
上目遣いで川島に訴えるが、えげつない言葉で却下される。
「何言ってんだよ!もっと苦いもん飲んでんだろ?」
なみなみと注がれたビールを見ながら、何でここに来る事を断らなかったのか後悔した。
それから2時間近く川島に付き合って飲んでいた。
いつの間にかビールから焼酎にかわり、氷や烏龍茶を入れてはマドラーでかき混ぜる。ホステスにでもなったような気分だ。
気がついた頃には天井が少し歪んで見えた。
「あらあら...大丈夫?てっちゃん飲ませすぎよ」
心配そうに背中をさすってくれる女将さんに、アタシは呂律の回らない口で挨拶した。
「らいりょーぶれすぅ。ご馳走様でしたぁ...」
「おい、柳井...帰るぞ」
いつの間にか会計を済ませた川島に脇腹を抱えられながら千鳥足で階段を下りる。
飲み慣れない甘くない酒にすっかり泥酔したアタシはやっと眠れる安心感に隙だらけになっていたようだ。
ビルを出て駅に向かって歩きだそうとしたアタシは脇腹を掴まれていたせいでその場で足踏みをする間抜けな行動をしてしまう。
「あれ…?」
暫く気がつかずにじたばたしていたアタシの様子を見た川島が笑いを堪えながら口を開く。
「お前明日仕事?」
「……いえ、あ、仕事れすぅ」
泥酔状態にもかかわらず、保身の為に慌てて言い直した。
「分かりやすいんだよ。休みならもうちょっと付き合えよ」